32 守りたいもの
「では、どうしたらいいというのでしょう」
調査官が軽く右手を上げると、後ろの騎士たちが一歩前へ進み出た。
剣の柄に手を添え、フィオレッタを囲むように配置を変える。そしてそれに対抗するように、辺境伯家の騎士がフィオレッタとティナを守るように立ち塞がる。
「な、なんですか、お前たちは。我々は王家の命により、あなたを一時拘束し、王都まで同行していただきます。抵抗するならお前らも同罪だぞ!」
「お待ちください」
フィオレッタは一歩前に出て、王家の騎士たちを見回す。
「無関係の民が大勢いるこの場所で剣を手にするおつもりですか? 私は、この場で暴れるつもりはありません。ここにはティナもいますし、町の皆さんに危険が及ぶことは望みません」
騎士たちの手が、わずかに柄から離れる。調査官も、細い眉をわずかに持ち上げた。
「それは賢明なご判断です」
「ただ一つだけ、確認させてください」
フィオレッタは静かに息を吸った。
「この件について、ヴェルフリート様――エルグランド辺境伯のご意思はあるのでしょうか」
調査官の視線が、微かに冷たさを増す。
「領主閣下には、おって王都からの通達が行くでしょう。あなたを拘束し、調査に協力を仰ぐこと。それが王命です」
「つまり、あの方の意思はここにはない、ということですね」
「王命の前に、個人の意思は関係がありません」
言下に切り捨てられる。
調査官は広場の人々へ向き直り、よく通る声で告げた。
「王家の権威のもとに行う正当な手続きです。皆さま、ご協力をお願い致します。――さあ、フィオレッタ様」
再び、騎士の一人がフィオレッタの腕に手を伸ばした。
その瞬間、きゅっと、掌に小さな力がこもる。
「フィオおねえちゃま……」
見下ろせば、ティナが大きな瞳でこちらを見上げている。
唇を噛みしめ、今にも泣き出しそうな顔。
「ティナ。大丈夫よ」
できる限り柔らかい声で告げる。
本当は、自分でも大丈夫と言い切れる状況ではないのに、それでもこの子の前だけでは不安を出したくなかった。
「少しだけ、王都に行って話をしてくるわ。そうしたらすぐに――」
言い終える前に、ティナはフィオレッタの腕を離した。
くるりと身体の向きを変え、調査官と騎士たちの前へと、小さな体で飛び出していく。
「ティナ!」
呼び止める声も聞こえないかのように、ティナは両手を広げてフィオレッタの前に立ちふさがった。
その背中は、震えているのに、まっすぐだった。
「フィオおねえちゃまを、つれていかないで!」
張り裂けそうな声が、広場に響き渡る。
「わるいひとじゃないもん! フィオおねえちゃまは、やさしくてつよくてかっこいい……ティナのだいじなひとなんだから!!」
ティナの泣き叫ぶ声は、広場の空気を震わせた。
誰もが息を呑み、動きを止める。
その小さな背中を見た瞬間、フィオレッタは胸の奥がぎゅっと締め付けられるのを感じた。
(ティナ……そんな、私のために)
この小さな子にとって、対峙する騎士たちはどんなにこわいことだろう。それでも彼女は、精一杯に手を伸ばしてフィオレッタを守ろうとしてくれている。
騎士たちもティナの様子に戸惑って、どうするか決めあぐねているようだった。
「何をしているんです。さっさと被疑者を馬車に入れなさ――ぶわっ⁉︎」
調査官トーマスの顔が、突然真っ白に弾けた。
粉雪のような白い何かが、ぶわっと一面に舞い上がる。
「なっ……こ、これは……! 粉……? ぐっ……!」
調査官だけでなく、後ろに控えていた王都騎士たちも一斉にむせ返る。全員の頭から肩まで、小麦粉でまっしろだった。
その粉袋を投げつけた主は――勢いよく走ってきた二つの小さな影。
宿屋のニコルとトールだ。
息を切らせながら、ティナの横に飛び込むように並び立つと、震える腕を大きく広げ、粉まみれの調査官へと向かって叫ぶ。
「ティナさまとフィオお姉ちゃんに、近づくなっ!!」
「オレたちが守るんだからな!!」
粉袋を二つ抱えていたらしく、ニコルは二つ目の袋を胸に抱えたまま全身で威嚇する。トールは粉まみれの手でティナの前に腕を広げ、必死にその小さな身体を隠した。
広場の人々が一斉にどよめく。
「な、なにをしている!? 無礼だぞ、お前たち!」
王都の騎士が怒鳴るが、ニコルの足は震えながらも一歩も引かない。
「フィオねえちゃんは悪いことなんかしてない! 悪いのはお前らだ!」
「だから……だから、連れていかせない!!」
二人の声は子どもらしい高さなのに、不思議と広場の隅々まで響いた。
粉まみれの調査官は咳き込みながら、怒りで顔を歪める。
「こ、こざかしいガキどもがっ……民草の分際で調査を妨害とは……!」
真っ白になった調査官と騎士たちが、ニコルとトールを排除しようと動きだす。怪我をする前に二人を逃さなければとフィオレッタが思った時だった。
「フィオ様は……悪女なんかじゃありませんよ!」
マルタが屋台から出てきて、震えるニコルとトールの肩をそっと抱くように押しやりながら、フィオレッタの前へ一歩踏み出した。
その声は、よく通った。
調査官が不機嫌そうに眉を寄せるより早く、宿屋の主人ヨエルが大股で前に出た。
「この町の誰より働いとった。宿屋でも教会でも! 子供達にもよく懐かれて……素晴らしい人ですよ!」
「そうだ!」
「フィオちゃんがお金を勝手に使ったなんて、ありえん!」
「領主様のところに来てくださってから、我が領地は平和そのものだ!」
「普段は辺境など切り捨てている中央のもんが勝手なことを言わないでくれ!」
声が次々に重なっていく。パン屋の夫婦も、洗濯屋の娘も、大工も、教会の神父も。次々と人々が輪を広げ、フィオレッタとティナ、そして子どもたちの前に壁を作る。
目の前の光景にフィオレッタの胸が、強く強く震えた。
(私のことを……こんなにも……信じてくれるひとがいるの?)
王都では決して得られなかったもの。ずっと欲しくても手に入らなかったもの。
ずっと誰かに必要とされたかった。ここにいていいと、言われたかったのだ。
調査官は顔を真っ赤にし、怒りに任せて声を荒げた。
「下がれと言っている! 民草如きが国家の命令に逆らうつもりか! 武力行使も――」
「我が領地で武力行使と口にしたな」
その一言に、広場の空気がぴん、と張り詰めた。
威圧でも怒号でもなく。低く、地を這うような声音。
フィオレッタを守っていた人々が左右へ割れるように道を開ける。
ヴェルフリート・エルグランド。
銀の髪が陽光を受けてきらりと光る。馬に乗ったまま駆けつけたらしいその人の瞳には、凍てつくような怒りが宿っていた。




