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もう家には戻りません~婚約破棄されたら、辺境伯様とお試し結婚することになりました~  作者: ミズメ


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21 おままごと

 街歩きから数週間あまりが経った。

 今日はティナのお部屋で一緒に遊んでいるところ。


「クーちゃんは、きょうおたんじょうびなの!」


 ティナが布のぬいぐるみを抱きしめながら、きっぱりと言った。

 丸いテーブルの上には、小さなティーセットと、木の皿にのったビスケットが並んでいる。そしてそれを、クマやうさぎのぬいぐるみや女の子の人形が囲んでいる。


「まあ、そうなのね。それはおめでとうございます」

「はい、ありがとうございまーす!」


 ティナがぬいぐるみの声を代弁しながら、ぺこりとお辞儀をする。

 フィオレッタは笑みをこらえきれず、思わず口元に手をあてた。


「今日は、ティナがケーキをやきましたの。クーちゃんはおうじさまで、ティナはおひめさま!」

「ふふ、それは素敵なお話ね」

「そしてね、おうじさまはティナにこういうの。『おひめさま、けっとうしてください』って!」

「……けっとう? 結婚ではなく?」


 ティナの言葉に、フィオレッタは思わず聞き返してしまった。聞き間違いだろうか。


「うん! おうじさまはティナとたたかうの!」

「本当に、決闘なのね?」

「そう! けっとう! そしてね、ティナがかつの!」


 ティナがぬいぐるみを高く掲げ、勇ましく宣言する。

 その小さな腕がぷるぷる震えていて、どう見ても戦闘には向いていない。それでも本人はいたって真剣だ。


 フィオレッタは口元を押さえて笑いをこらえきれず、肩を震わせた。


「ふふっ……すごいわね、ティナ。勝ったらどうするの?」

「ティナが、おうじさまのかんむりをもらうの!」

「まあ……勇ましいお姫さまですこと」


 ティナは得意げに胸を張り、ぬいぐるみの頭を撫でる。


「ヴェルフおじちゃまも、おうじさまだから、ティナもいつかけっとうするの!」

「まあまあ、それは楽しみね」


 フィオレッタは笑いながら、そっとティナの髪を撫でた。

 その笑い声が、かつての静まり返った屋敷にふわりと響く。

 まるで春の風が通り抜けるように、やさしく明るい午後だった。


「ヴェルフおじちゃまはね、すごくつよくてやさしいの。ティナのこともまもってくれるの!」

「そうね、ヴェルフリート様はとても立派な方ですもの」

「だからね、ティナ、おおきくなったらおじちゃまをまもるの。フィオおねえちゃまもよ」


 ティナの笑顔がまぶしい。

 ほんの少し前まで、笑顔を見せなかった子とは思えないほどだ。クラウスやヴェルフリートから聞くティナの様子は、フィオレッタが聞いたものと大きく異なっている。


(元気になってくれているのよね)


 無邪気に笑うその姿を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなる。


「……本当に、よく笑うようになりましたね」


 不意に扉の外から聞こえた声に、フィオレッタが振り返ると、そこにはクラウスが立っていた。


「この光景をヴェルフ様にも見せてあげたいですよ」

「ふふ、お忙しいですもの。でも……見せてあげたいですわね」


 そうしたら、きっと喜んでくれたはずだ。彼がティナのことを大切に思っていることは、部外者のフィオレッタにもよくわかっている。


 ティナがぬいぐるみを抱えて笑う声を聞きながら、クラウスがそっと声を落とした。


「奥様、城での暮らしにはもう慣れましたか?」

「ええ。皆さん親切にしてくださって、本当に助かっています」


 穏やかにそう答えたものの、クラウスはすぐに首を傾げた。


「そうですか。それなら何よりですが――もし不便なことや困ったことがあれば、遠慮なく仰ってくださいね」


 その言葉に、フィオレッタの指が一瞬止まる。


(困ったこと……)


 脳裏に、あの冷ややかな笑みを浮かべるメイドたちの姿が過った。

 廊下ですれ違うたびに交わされる、わずかな視線の棘。そして以前厨房で聞こえた「悪女」という言葉。


 決して直接的な危害を加えられたわけではない。

 けれど、あの視線を受けるたび、胸の奥に小さな痛みが残る。


(でも……言うほどのことではないわ)


 あの程度の陰口など、これまで散々浴びてきた。王都ではもっとあからさまな侮辱もあったし、泣いている暇もなかった。


 それを思えば、今の生活はあまりに穏やかで、幸福で――比べることすらおこがましい。


 フィオレッタは小さく息を吐いて、いつもの微笑みを浮かべた。


「いいえ、本当に不自由はありません。皆さんのおかげで、とても過ごしやすいですわ」


 クラウスは安堵したように目を細める。


「そうですか。それなら安心しました。屋敷の中には色んな者がおりますからね。もし何かあれば、遠慮なく私に言ってください」

「ありがとうございます」


 丁寧に頭を下げながら、フィオレッタはこの人は本当に誠実な方だと思う。


 クラウスのような存在がヴェルフリートの隣で屋敷を支えているからこそ、この場所は成り立っているのだろう。


 ティナがちょうどおままごとのカップを持って駆け寄り、ふたりの間に笑顔を咲かせた。


「クラウスもクーちゃんのおたんじょうびかいにきたの? どうぞ」


 ティナがおままごとのお茶をカップに注ぐそぶりをして、カップを差し出す。


「これは恐れ入ります、姫様。オレは決闘しなくていいですか?」

「うん、クラウスはおたすけがかりだよ」

「ンンッ! ありがとうございます」


 笑いを噛み殺しながらカップを受け取るクラウスの声に、ティナは満足げに笑った。


 そのやり取りに、フィオレッタもつい笑みをこぼす。


(私、いまとっても穏やかな気持ちで過ごせているわ。ここに来て、良かった)


 先ほどまで胸の奥に浮かんでいた小さな棘が、ほんの少し溶けていくようだった。


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