隠れた秋は雪の下に
「え...?」
その一言は律を驚かせるには十分な威力だった。
雪が降る寒空、レンガ造りのケーキ屋の目の前。今までの草原や森とは場所が違うが、目の前の人物はどう見ても、自分の背後を2回も取ったあの少女だ。そんな圧倒的強者が、何かに気を取られていたとはいえ自分に気づいていなかった?
そんなことは考えられない。何かの罠と思った方がいいだろう。
そのため、律は彼女に何か裏があるのではと疑いの目を向ける。しかし当の本人は目の前で口を少し開け、呆然と目を見開いているだけだ。まるで知りもしない人を見るような目で。
「......申し訳ない、もしかして人違いだったか?」
「い、いいえ...。たぶん合ってます?」
返ってきた、そのぎこちない返答に律の思考は一拍遅れる。
今まで自分が会っていた少女は、どこか神秘的で安易に触れてはいけないような、とても遠い存在だと感じていた。しかし今の彼女は、年相応の女の子のようにしか見えない。
本当に本人なのかと疑いたくなるほどの噛み合わなさ。意外な一面を見れたと思うべきだろう。けれども、何故だろうか。こっちの方が今までよりも自然に見える。
今まで作っていたと言われた方が、よほどしっくりくるくらいだ。
「驚いたぞ、人違いなら恥ずかしいからな」
「いえ...まさか話しかけられるとは思っていなかったので」
「まぁ確かに、話しかけるかは少し悩んだな」
「いえ、そういうことではないのですが......。まぁいいです」
少女は前髪をつまみながら視線を店の中に戻す。
「ところで何か御用ですか?」
「いや、用ってほどではない。何を見ているんだ?と思ってな」
「あぁ。なるほど、あれです」
少女が指をさす。その方向に視線を飛ばすと、濃い緑色をした抹茶タルトがあった。値札の横に期間限定と書いてあり普段は売っていないことが分かる。
「食べたいのか?」
「......いいえ、見ていただけです」
「本当に?」
「......」
少女は答えない。
だが、律の接近に気づいていなかったほどなのだ。凛とした顔をしているが、そんなに見入るなんて食べたいに決まっている。
「......少し待ってろ」
「え?あ、はい」
律は心の中でため息をつきつつ、店に入る。室内は外とは違い適度に暖かく、甘いにおいと落ち着いた空気が流れていた。奥にはイートインスペースもあり非常に心地いい休憩場所にもなるだろう。今度お茶をしに来てもいいかもしれない。
「すいません、このタルトを三つください。一つは個別包装で」
自分のとルージュのは同じでいいだろう、どうせ仕事中に突撃してくるのだ。
「はーい。2700ユークです」
「これで」
「ちょうどお預かりします。しばらくお待ちください」
軽く会釈した店員が奥でタルトを箱に詰める様子を背景に、律は室内を改めて見渡す。
様々なケーキにクッキー、チョコレートまである。初めて入る店だが、かなりの人気店のようだ。値段は全体的に少し高めではあるものの、それに合ったクオリティーであることは間違いないのだろう。
(素直に食べたいと言えばいいものを......)
外にいる少女から発せられているであろう、氷漬けにされそうな視線に耐えつつ、律は時を待つ。
正直、彼女を見たときはどんな厄介ごとが降りかかってくるか不安だったが、今の視線やここに入る前の彼女の反応を見るにどうやらただ食べたいだけのようだし、警戒することは無くなったと言っていいだろう。
視線がかなり痛いが、余計な仕事が増えなさそうで何よりだ。しかし、今日の少女はどうしてこうも違うのか。それだけは気がかりである。
「お待たせしました。こちらお品物です。すぐに食べない場合は5度くらいで保存してください」
「分かりました」
律はそう思いながらもひとまず商品を受け取り店を出る。
「またのお越しをお待ちしております」
元気のいい店員だ。今もいい店だが、今後はもっといい店になるだろう。
律は店を出て、一人外で待っていた少女にタルトが一つ入っている箱を渡す。
「ほら」
「あ、ありがとうございます?あの、お代は...」
「ん?あぁ。別にこれくらいはいい」
「え、でも......あ、では代わりにこれを」
そう、うれしそうな表情を見せつつ、少女が何かを右手で渡そうと向けてくる。
「ん?それは......なんだ......」
「見てわかりませんか?金です」
......?
なんということだろうか、彼女が渡してきたのは金の延べ棒だった。律はそんな彼女の想像の斜め上を行く行動に、思考の全てが完全に停止する。
「これを渡せば大抵のことは解決するって、エスティーネも言ってましたし。どうぞ」
無垢な瞳で渡してこようとする少女に、律は意図せず引きつった顔を向け反射的に後ずさる。
瞳に濁りは一切なく、それが当たり前だと確信しているようでもある。
「ええっと、いらないかなぁ......」
「え?」
今まで断られたことがなかったのか、口元に手を当て意外そうな表情を見せる。
確かに金はほぼすべてを解決できるだろう。しかしそれになびくということは安い人物だと誤解されかねず、それは律にとってはこの上ない不名誉だ。金も重要なことは分かる。否定もしない、だがそれではだめなのだ。
「じゃあ、何がいいですか?」
「え?あーえぇ......?」
この状況はまずい、非常にまずい。目の前には未だに、金の延べ棒を右手に持ちながら、無垢な瞳を向ける少女がいる。はたから見たらとんでもない光景だ。
しかし、律の脳内は現在。金の延べ棒を渡せば大抵のことは解決すると、教えたエスティーネという人物が居るという別の思考に占有され、うまく思考がまとまらずにいる。
(まずい、何か平和的な要求を考えろ......)
恐らく何も言わずにいたら、彼女が今右手に持っている金の延べ棒がそのまま落ちてくるだろう。それだけは絶対に避けなければならない。
しかし冷静な判断力など今の律にはない、そのため周囲をチラ見し解決策を考える。
すると先ほどの店内で、二人のペアがケーキを食べている姿がふいに映った。
「じ、じゃあ......。さっきのタルト食べながら話さないか?」
「物質的なものではなくていいのですか?」
「あぁ。いつも食事は一人で食べてたからな。たまには話し相手が欲しい」
少しぎこちなくなってしまったが、いいプランだろう。もしかしたら彼女について、いろいろ聞けるかもしれない。警戒対象の情報も本人の口から多く仕入れることができるだろう。
少女の姿を見るとふむ......と、何かを考えるように顎に指を置き目を細める様子を見せていたが、瞬きをする間にはすでに律の横におり、そのままいきなり手を握られていた。
「分かりました。では行きましょう」
「え? どこへ......?」
何故だろうか、すごく嫌な予感しかしない。どこかで選択肢を間違えたのだろうか。
律は急な展開に戸惑い思わず警戒態勢に入ったが、この時点ですでに手遅れだった。
彼女に手を引かれて転ばないように一歩進んだのは確かだ。油断はしていない、瞬きすらしていない、それなのに目の前の光景は、雪の降る店前ではなく紅葉が風に揺られ、小川はとても心地よい音を奏でている優雅な秋色の景色に変わっていたのだ。
律はいったいいつここまで移動したのかと理解が追い付かず呆然とする。対照的にいつものことという風に少女は数歩前に出て、こちらに振り向く。
「お茶をしながら、お話しするのでしたらやはりここですね」
彼女のその一言に律は、はっと我に返る。
......どうやら転移したらしい。
(あぁ、これはやってしまったな)
少女のやわらかい視線、暖かくも少し涼しい空気。夢よりも夢のような空間だろう。
しかしここは現実だ、現実なのだ。
律は額に手を当て、こいつが普通の少女ではないことを何故忘れていたのか、と優雅に流れる美しい川の音を背景に、乾いた笑みを浮かべて空を見上げた。




