2.旦那様の本性現る……!?
しかし数日後。頑張ろうとした矢先に、リアは盛大に体調を崩してしまった。
夫婦の寝室とは別の、応接室のベッドで横になった彼女は、ふう、とため息を吐いた。
「もう……せっかく頑張ろうとしていたのに……」
そんな独り言が漏れてしまうのも仕方ないもの。
2週間後に、再びレオナルドとともに王宮の夜会の予定が入っていて、そのために頑張ろう、と決心したところだったのだ。
侯爵夫人としての仕事をしつつ、貴族の知識を身につけ、ダンスや作法を完璧にする。
そうすることによって、レオナルドの悪評を増長させることをなるべく控えたかったのだ。
「奥様は急に頑張りすぎですな。1週間ほど回復に勤しむのがよろしいでしょう」
「い、1週間、ですか!?」
診察器具を仕舞いながら医師の言った言葉に、思わず目をみはる。
これから1週間休むとなると、準備の時間が半分も減ってしまう。そうしたら、また死期が近くなってしまう。
焦りのあまりガバリと体を起こす。しかし、めまいのせいで再び横になった。
「1週間ですよ。頑張るにしても、体調が万全じゃないとダメですからね」
そう言って、医師は応接室から出ていき、入れ違いで侍女がやってきた。
男爵家から連れてきた唯一の侍女、フローラだ。
同い年の平民の子だったが、仕事ができ情報に精通する能力がピカイチということで男爵家で雇われるようになり、嫁ぐリアについてきてもらった。
くりんと可愛らしいどんぐりまなこはどこか幼気な雰囲気であるものの、その容貌を使って情報を得ていたり得ていなかったり……とリアは聞いたことがあった。
「奥様。ご体調はいかがですか? ……といっても、大丈夫です、としか言いませんよね」
「フローラ……」
普段と同じ可愛らしい風貌ながらも、フローラは有無を言わせぬ口調でリアのもとに近づき、せっせと汗を拭いたり服の準備をしたりする。
「旦那様にお伝えして、家庭教師と夫人としてのお仕事はお休みにしましたから、ちゃーんと休んでくださいね」
「え、旦那様にお伝えしたの……!?」
「ええ、もちろん。それがどうかされました?」
きょとんと首をかしげるフローラを見て、リアは震えあがる。
脳裏に浮かぶのは、あの遠慮のない男の姿だ。
リアが体調を崩したと言おうものなら、いつもの真顔で淡々と告げるだろう。
『体調管理ができないとは、あなたはまるで子供のようだな』
『家庭教師の予定を変えるのは構わないが……向こうにも予定があるというのを忘れてはいけない』
『こんなことで侍女たちの手を煩わせるとは……まったく』
いや、あくまで噂から派生したものであり、実際にリアが聞いたものではない。
ただ幼馴染や自身の父親から聞いた情報をまとめると、どう考えてもそんな言葉が返ってくるとしか思えなかった。
「ね、ねえフローラ、風邪をひいたことは、旦那様にはお伝えした……?」
「いえ、それはお伝えしていませんが……」
訝るフローラを横目に、リアは内心で拳を握った。
「じゃあ、他の言い訳を考えてほしいの!」
「……まったく、病人が何をしているんだ」
とそのとき、応接室の扉が静かに開き、髪をかき上げながらレオナルドが入ってきた。
よく見ると、肩を上下させて息をしている。外が暑かったのだろうか。
「奥様、お伝えはしていません。すでにご存知でしたので」
フローラは苦笑まじりにそう言うと、レオナルドに一礼して部屋を出ていった。
残されたのは、どことなく不機嫌そうなレオナルドと、そのレオナルドに怯えるリア。
どう考えても、これから怒られるような雰囲気に、リアは掛布をぎゅっと握って頭までかぶった。
「……風邪を引いたと聞いたが」
「は、はい……」
姿は見えないが、いつもよりも低い声が怖い。
リアの返事にレオナルドはため息で返すと、部屋に沈黙が下りた。
怒っているのか、呆れているのか。それともとくに興味もなく部屋から去ってしまったのか……
しばらく沈黙が続き、リアは確信した。
もう、旦那様は部屋から出ていったわ、と。
衣擦れの音もしないし、こちらに話しかけてくる様子もない。
部屋の扉の音もしなかったけど、きっと掛布を頭まで被っていたり、緊張しすぎて胸の鼓動がうるさすぎて聞こえなかったりしただけ。
――うーん、肩の荷が下りたわ……!
少し頭がガンガンするし、熱っぽい体にだるさはあるが、急に気分が良くなる。
そうだ、フローラに果実水でも持ってきてもらおうかしら。
そんなことを思いながら頭までかぶった掛布をおろした瞬間、こちらに顔を近づけたレオナルドの顔面が視界に入り、落ち着いていた胸の鼓動が一気に跳ね上がった。
「やっとこちらを見たな」
驚愕して再び掛布で顔を隠そうとするも、レオナルドの手に片手を掴まれて阻まれる。
「子供のような振る舞いでごまかせると思ったら、大間違いだ」
「す、すみま、せん……」
子供っぽいと言われると、急に恥ずかしくなってくる。
言われてみると、成人して結婚した大人が、こんな悪いことをして隠れるような子供じみたことをするなんて。
リアの顔が耳の先まで真っ赤に染まる。
しかし彼女の考えを知ってか知らずか、レオナルドはハッと眉をひそめると、リアの首元に手で触れた。
「すまない。病人にするべきことではなかった。熱が上がっている」
「ち、違うんです、これは……」
「言いたいことはたくさんあるが……体調が戻ってからだ」
やはり怒られるのか……
それはそうだ。
無駄なことと曲がったことが嫌いで、常にまっすぐに考え物を言うレオナルド。
仕事のできない人間はすぐに降格したりクビにしたりして、優秀な人材しか周りに置かないと聞く。
――こんなダメな妻じゃ、失格ね……
リアはふいと顔を逸らす。
するとゆっくりとレオナルドの手が離れ、「ゆっくり休むと良い」という言葉とともに、足音が遠ざかっていった。
「あなたのような魅力的で可愛らしいな妻の体調不良に気づかないなど……夫失格だっ……!」
――…………ん?
何かとんでもない呟きが聞こえた気がして、リアは軽く顔を上げる。
しかしそれと同時に応接室の扉が閉じ、レオナルドの後ろ姿は消えてしまった。
「い、今のは……?」
聞き間違い……にしては、ずいぶんと鮮明にリアの頭に入ってきた。
悔しそうで、まるで自分を戒めるかのような物言いだった。
「……え? え?」
ぽぽぽ、と顔が熱くなり、リアは目をみはったまま辺りをきょろきょろと見回す。
「あれはいったい……?」
「奥様、服をいったん着替えましょうか――って、すごい熱!!」
遠くでフローラの叫びとパタパタと焦っている足音が聞こえてくる。
しかしリアは呆然としたまま、あの小さな呟きを消化するので精一杯だった。