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第一話

「晴れて良かったわね」


 キラキラと輝く水面を眺めながら、立花照虎(たちばなてとら)が嬉しそうにほほ笑んだ。デッキの上には数名の客がいて、それぞれ思い思いの方向を指差して、歓声を上げたり、写真を撮ったりしている。進行方向の右手、水平線の彼方にポツリポツリと小さな島が見えた。あれは確か……何という島だったろうか?


「羊くん?」

「ん?」


 荒草羊(あれくさよう)は視線を戻した。夕日が眩しい。逆光に思わず目を細めた。それで無くても、気恥ずかしくてマトモに彼女を見ることが出来なかったのだが……まさか二人で旅行に行ける日が来るとは。羊の胸中は、ここ数日掻き乱されっぱなしだった。


 本当に人生、何が起きるのか分からないと思う。再会したのは()()だった。高校を卒業し、別の大学に通うことになった羊と照虎は、そのまま自然と疎遠になってしまった。


 友達以上恋人未満……の関係だった、と羊自身は思っている。話せば長くなるのだが、色々と幽霊騒ぎやら殺人事件やらに巻き込まれ、二人の仲は近づいたり離れたり……そして無常にも時だけが過ぎてしまった。


 そして、夏休み。偶然、地元で照虎を見かけた際、羊は思い切って声をかけた。お互い再会を喜び、昔話に花を咲かせ……久しぶりの彼女の眩しい笑顔に、羊は不意に胸が締め付けられた。


「今度六門島ってところにフィールドワークに行く予定なんだ」

「六門島? 聞いたことあるわ。生贄の儀式とか、人身御供伝説があるところでしょ?」

「え……そうなの?」

「良いなぁ。私も行ってみたかったのよ」

 照虎が目を輝かせた。

「ね、今度行ってみましょうよ」

「え?」


 羊はぽかんと口を開けた。夏だった。頭上から蝉の音が降り注ぐ。信号機が赤から青に変わる。目の前で、真っ白なワンピースを着た照虎が、高校時代より少し大人びた表情をした彼女が、何とも不思議な笑みを浮かべていた。



 数日後。

 二人は長崎行きの船に乗った。夕方過ぎに港を出発し、船の中で夜を過ごし、明け方過ぎには到着する予定だった。羊たちの他にも、関東地方と長崎をつなぐ浜南フェリーには、数十名の観光客が乗っていた。


「船旅って、結構時間かかるのね」


 羊の横で照虎がほほ笑んだ。くるくるにウェーブがかった茶色の巻き髪が風に揺れ、彼の鼻を(くすぐ)る。移動時間なら圧倒的に新幹線なのだが、値段が抑えられるのはやはり魅力的だ。大学生になってから時間は有り余ってるし、そんなに急ぐ旅でも無いし、せっかくなのでフェリーで現地まで乗り込むことにしたのだった。


 海上だとスマホも圏外だった。ネットもできない。ゲームもできない。だけど、何でもできる毎日に少々食傷気味だったからこそ、制限があるのが逆に新鮮だった。何より立花さんと二人きりの旅行なのだ。船の中で過ごす一夜も悪くない……いや、悪くないどころかかなり良い。久々に味わう非日常に、羊は胸を踊らせていた。


 それがまさか、後にあんな事件に巻き込まれることになるなんて……羊はこの時、考えもしていなかった。


 17時ごろ。デッキを後にして、二人が食堂に向かうと、そこそこ賑わいを見せていた。バイキング形式で各々好きなおかずを皿に乗せ、空いている席に座った。向かいのテーブルに先客が4名いた。男性3人女性1人。羊はふと気になった。年齢層がバラバラだったからだ。家族にも見えない。一体何の集まりなんだろうか?


「やっぱりダメだったんじゃないですか?」


 食堂の喧騒に混じって、何やら話し声が聞こえてくる。皿に目を向けたまま、羊は思わず耳を傾けた。

「ペットの持ち込みは禁止だって……」

 四角いテーブルの、右上に座っていた男が囁いた。年齢は三十代くらいだろうか。チラリと視線を送る。前の人の後頭部で、羊の位置からは顔が良く見えなかった。


「ペットじゃない。商売道具だ」

 その隣に座っていた老人が低い声で笑った。こちらは顔がはっきりと見えた。一見高齢だったが、こんがりと焼けた浅黒い肌に、筋肉質な体はきっと鍛えているのだろう、その話し方も、とても年齢を感じさせなかった。


「もっと言えば、信仰の対象だ。蛇はな、昔から神様の使いとして崇められて来たんじゃよ。丁重に扱わないと失礼だろうが」

「だけど……」

「ケージは大丈夫なの?」

 老人の前、四角の左下に座っていた若い女性が尋ねた。こちらも後頭部しか見えない。

「大丈夫です。絶対に逃げないようにしっかり鍵もかけてますので」

 女性の隣に座っていた男が、内緒話をするかのように彼女の耳元で囁いた。


「万が一逃げたなんてことになったら、大変ですからね。何せアイツは、世界一の猛毒を持った大蛇……」


 羊の視線に気付き、男が不意に会話を途切らせた。羊は慌てて目を逸らしたが、遅かった。


「……やぁ」

「ど、どうも……こんばんは」

「……さっきの話、聞いていたかい?」

「え? い、いや……そのぉ」


 すると、突然色黒の老人が大口を開けて笑い出した。


「隠さんでいい。聞こえてしまったもんはしょうがなかろう。そう、ここだけの話、実はな、我々はこの船に毒蛇を持ち込んでるのだよ」

「ちょっと、会長……!」

「良いじゃないか。観客が居てこその興行だ。我々はな、『蛇使い同好会』と言って、毎年夏に、こうして蛇を見せて回ってるんじゃよ」

「蛇使い同好会?」


 聞き慣れない言葉に照虎が思わず口を挟み、小首をかしげた。


「笛で蛇を踊らせてるの見たことない? あれよ」


 女性がこちらを振り向き、諦めたように肩をすくめた。その表情には少しいたずらっぽい笑みも浮かんでいる。誰にも聞かせちゃいけない話だけど、誰かにちょっとは聞いてほしい……そんな感じだ。


「どうだい君たち? ウチの部屋で蛇を見てみないか?」

 老人が身を乗り出してきた。結局、見せたいのだ。

「でかいぞう。太さは、消防車のホースくらいはある。その代わり、この話はここだけの秘密にしてくれんかね。乗務員に聞かれると色々と不味いのでね」

「会長!」

「えっと……」

「良いじゃない。行きましょうよ」


 照虎が羊に目配せした。別に羊は告げ口するつもりはなかったが、ここで断って、何となくギクシャクするのも確かに嫌だった。それに、世界一の毒蛇とやらにも正直興味が湧いた。それで、食事の後、羊たちは褐色の老人……蛭間恵介という名前だった……の後についていった。年齢を教えてもらうと、76歳という話だったが、とてもそうは見えなくて羊たちは吃驚した。


「知り合ったのはネットの掲示板なんだ」

 廊下を歩きながら、若い方の男・森山翔がそう教えてくれた。

「私たち、普段は住んでる場所もバラバラなの。それぞれ仕事も別。だけどこうして夏の間だけ、蛇と一緒に回ってるのよ」

 一番年下の女性・清水明美が続けた。もう一人の男性、香鳥圭太郎は、まだ見せることに納得していないのか、一人憮然としていた。


「ご覧……」

「わぁ……!」


 蛭間の部屋は3階の一番奥にあった。部屋に案内されると、照虎が小さく悲鳴のような歓声を上げた。羊は息を呑んだ。いた。巨大な、水槽のようなケージの中に、確かにぶっ太いホースのような蛇がとぐろを巻いて眠っていた。消防車のホースはちょっと盛り過ぎだが、少なくとも羊のベルトよりは太そうだった。


「インランドタイパンと言ってね。体長は最大3メートル近くになる。これほど大きな個体は世界でも珍しい。毒の強さはキングコブラの50倍、ニホンマムシの800倍とも言われているんだ」

 森山が少し誇らしげに説明した。彼は普段はペットショップ店員で、蛇使い同好会では笛を吹く係だということだった。


「青酸カリより強力な猛毒だ」


 壁にもたれたまま、爬虫類専門のバイヤー・香鳥が太い腕を組んで、脅すように唸った。同好会では主に器具などを調達するのが彼の役目で、この鍵付きケージを用意したのも香鳥だった。


「成人男性なら、一度に100人は殺せる毒を持っている」

「えーっ!?」

「100人!?」

「安心して。血清注射が完成しているから、まず死ぬことはないわ」

 清水が苦笑した。彼女は獣医だった。

「僕たちはコイツを、ヴェルムって名付けてる」

「ヴェルム?」

「そう。『ペルム紀』から取ったんだ。約3億年前、生物の95%が死んだ地球上最大の大量絶滅期……コイツの毒にかかれば、殺せない生物はまずいない」

「オーストラリアを旅していた時、たまたま現地の人間から譲り受けたんだがね」


 蛇使い同好会会長・蛭間恵介が目を細めた。一人、会長だけが定年退職し、蛇と一緒に悠々自適な暮らしをしていた。


「向こうも持て余していたみたいだったな。いくら血清があるからと言ってもねえ。この蛇に噛まれたら、様々な『悪意』や『災厄』がその身に訪れる、とか言って」

「『災厄』……」


 どっかで聞いたことのあるような話だな、と羊は思った。ケージの中では、オリーブグリーンの鱗が蛍光灯に照らされ、煌々と輝いていた。ケージには鍵が付いていた。ケージを叩いて、わざわざ起こすような真似は、さすがに羊もしなかった。


「暑いですね」

 羊は額の汗を拭った。窓はあったが、はめ殺しタイプで、開閉が出来ないようになっていた。エアコンも一応付いていたが、何とも生温い。ペットショップ店員の森山が解説した。

「蛇は変温動物だからね。室内を26〜28℃に保たなくちゃならない」

「こまめに体調チェックもしてるのよ」

 清水……こちらは獣医だ……が愛おしそうに目を細め、ケージを撫でた。

「ヴェルムは脱走の達人だから、逃げてないかどうかの確認も兼ねて、ね」

「え……」


 羊が思わず身じろぎをして、みんなが笑った。

 

「夏の間は興行やってるから。向こうに着いたら、是非芸も観に来てくれよ。楽しいぞ」


 別れ際、そう言って蛭間は笑った。世界最強の毒蛇……何やら興奮覚めやらぬ中、羊と照虎は言葉少なに、人気(ひとけ)の少なくなった廊下を歩いた。


「じゃあ、また明日ね」

「うん……おやすみ」

「おやすみなさい」


 羊は時刻を確認した。20時を回ったところだった。とはいえ明日は早い。到着は約12時間後……朝の8時ごろだ。早めに寝ようと思い、照虎と別れ、羊は男性用の寝室に向かった。羊は個室ではなく、一番下の階の、格安の雑魚寝部屋だ。夜になると、窓の外はいよいよ真っ暗になり、星の光と、波の音だけが広がっていた。


 船内には一応売店や大浴場などもあったが、22時を過ぎるとさすがに消灯となった。布団に潜り込み、羊は時折揺れを感じながら、ゆっくり浅い眠りの中へと誘われた。夢と(うつつ)が波のように寄せては引き、溶けて混ざり合う。なかなか寝付けなかった。混線する記憶の中、羊の頭に、今日一日目に焼きつけた照虎の様々な表情が、眩しく浮かんでは泡のように消えた。


 ……頼むから、幽霊も殺人鬼も、今回ばかりは出て来てくれるなよ。


 寝返りを打つ。羊は心の中で強く願った。彼の願いは、そりゃもう当然、脆くも崩れ去ることになるのだが。

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