プロローグ
鍵を開ける。
扉は重かった。どうやら気圧差で重くなっているらしい。
「むぅ……!」
腰を落とし、大人二人が綱引きのように力を込める。開いた。中を見ようと首を伸ばした羊に、向こうから熱風が押し寄せてきた。羊は思わず目を瞬かせた。
部屋の中に目を凝らす。狭い部屋だった。
四畳半くらいだろうか。一人用の、横になるためだけのカプセルホテル、と言った印象だ。入り口の近くにカードキーを入れるホルダーがある。電気は付いていた。入って正面に机と鏡があり、その右側にベッドがあった。壁には18インチ程度の、小型のモニターが埋め込まれている。
「蛭間さん……?」
入り口から机が見えた。机の脇には、部屋主のものであろう、スーツケースやら私服やらが無造作に置かれていた。羊は机の上にあるものを見た。巨大な、透明な飼育ケージ……空気穴の空いた蓋と、床にはヤシガラが敷かれている……しかしその中には、何も入っていなかった。羊は目を丸くした。部屋を覗き込んだ数名が悲鳴を上げた。
「オイ……いないぞ!?」
「そんな……!」
羊は恐る恐る足を踏み入れ、部屋主である蛭間を探した。すぐに見つかった。布団が膨らんでいる。ただし、掛け布団の脇から、だらんと上半身が床に投げ出されていた。ちょうど飛び込みをする直前の人みたいな姿勢だ。助けを求めようとしたのだろうか、必死に伸ばした右手が、何も掴めず床に不時着している。ピクリとも動かない。首が床に着き、90°に曲がっていた。ドス黒く変色し、恐怖と苦痛に歪んでいたが、その顔は蛭間恵介に間違いなかった。
「蛭間さん!?」
「ウソ……死んでるの!?」
羊は咄嗟に駆け寄ろうとして……後ろから香鳥に肩を掴まれた。振り返ると、香鳥の顔は真っ青になっていた。
「危ない! まだ部屋にいたらどうするんだ!?」
「……ッ!」
羊は思わず息を呑んだ。何が? 決まってる。
改めて視線を机の上に向ける。ケージの中には確かに何もいなかった。彼はごくりと生唾を飲み込んだ。
「……血清は?」
震える声で、羊はそう尋ねた。
「持っているはずでしょう? カバンの中に入っているかも。それがあれば……」
「無駄だよ」
香鳥は羊の肩を掴んだまま、残念そうに首を横に振った。
「どう見たって、彼は死んでいる。血清だって無駄にはできない。分かるだろう?」
「…………」
「これから必要になるかも知れない。何せこの船の中には、まだ、あの毒蛇が潜んでいるかもしれないんだからな……」
不意に足元が揺れ、波の音が一層激しくなった。夜だった。月は出ていない。羊たちを乗せた船は現在、陸地を遠く離れた太平洋の上を進んでいる途中だった。