第6話 名づけの代償
第6話「名づけの代償」
静けさの中に、細かなノイズが混じっていた。
電子音でも機械音でもない。だが、確かに“記録される”音。
ハルたちが再びアーカイブを離れ、地下施設の別棟――旧・心理統制局セクターへと踏み込んだのは、ミナの痕跡を辿るためだった。
「ユキトが言ってた。“名を与える”ことは、このゲームの構造にとって“異常”だって」
「だからこそ、ミナは消された。……あるいは、自らを消した」
そう、あのハクと出会ったあと。
ハルの中に湧き上がったのは、彼女を守れたことの安堵ではなく――
“次は誰が、奪われるのか”という恐怖だった。
名を与えることで、何かが生まれた。
だがそれは、“代償”でもある。
* * *
崩壊しかけた構造物の影から、一人の人物が現れた。
白黒のジャケット、ゴーグル、手に万年筆型の装置。
その足取りは軽く、どこか遊歩のようだった。
「……やあ。」
突然の出現に、ケイトが即座に前に出て構える。
「誰だ、お前は」
低く、威圧を込めた声だった。
「ID22、“ヨツギ”って呼ばれてる」
男はゴーグル越しに笑みを浮かべた。
同時に、全員のN-COREが警告音を発する。
〈N-CORE:対象照合〉
【ID:22】
分類:知略型
能力:縁筆
・条件:対象が一定距離にいる場合、自身の筆記具を用いて書記を行う
・効果:対象の記憶・過去の発言・名にまつわる情報を“自動筆記”として抽出
ケイトがN-COREの画面を睨み、眉をひそめた。
「……なんでこいつの能力はちゃんと出てんだ?
伊波のときは表示されなかったし、お前ら三人のも“未確定”のままだろ」
ユキトが、肩をすくめる。
「伊波は偽装端末を使ってたから、そもそも正式な照合じゃなかった。
僕とシノ、それにハクの表示が出ないのは――僕の能力でフィルタしてるからさ。
N-CORE上には情報がある。でも、君たちには“見えない”ようにしてるだけ」
ケイトが舌打ちする。
「……ふざけた仕組みだな。能力の表示すら操作できるとか、こんなのが“ルール”かよ」
ユキトは微笑を浮かべ、軽く肩をすくめた。
「“公正さ”なんて、最初から期待してないよ。
それに――この世界じゃ、嘘をつける奴が強いんだ」
そして、目線をハクに流す。
「もっとも――ハクちゃんの能力は、“それ以上”かもしれないけどね」
ハルが一瞬、視線を向ける。
ハクは小さくなんのことかわからない様子で。
「能力...?]
その間にも、ヨツギは黙ってメモ帳に万年筆を走らせていた。
だがそれは誰かを見ているのではない。
彼の記録は、空間に残された“痕跡”――かつて語られた名の残響に反応していた。
〈自動筆記:記録断片抽出中〉
〈関連情報:波長痕跡/記憶由来/発言断片〉
「“名”は、語られずとも、そこに残る」
ヨツギはようやく口を開いた。
「……風の音、壁の染み、そして心の揺れ。記録される“名”は、そこに浮かぶ」
ハルが警戒を強める。
「誰の名を――追ってる」
ヨツギはゴーグルの奥で、目を細める。
ハルの問いに、ヨツギはペンを止め、紙を見下ろしたまま呟いた。
「……特定の誰かじゃない。
過去に“記された”名の断片。
このエリアの過去ログ――構造物の振動記録や、アーカイブの一部――そこに滲んでいた“言葉”を拾ってるだけさ」
彼が掲げた紙には、意味を成さない言葉の断片が乱雑に走っていた。
整った記述ではない。だが、どこか執着のようなリズムがあった。
「“名”は、語られた瞬間に残る。誰かの声に乗って、誰かの目を通して。
記録とは、そういうものだ。……誰が発したかは関係ない。
重要なのは、“残された”こと。だから僕は、それを拾い集めてる」
ケイトが鋭く返す。
「それで、“誰かが死ぬ”可能性があるってのにか?」
「あるかもしれないし、ないかもしれない」
ヨツギはごく自然に言った。
「でも、語られた名は、誰かの中に留まる。
だったら、僕はそれを形にしたい。――それだけさ」
沈黙が落ちる。
ハルはじっとヨツギを見ていた。
その言葉の端々から、“殺意”は感じられない。
だが、“危うさ”は確かにあった。
ヨツギは小さく笑う。
「君たちは、“名前”をどう思ってる?」
誰も答えない。
ヨツギは続ける。
「言葉は道具だ。刃にもなるし、橋にもなる。
でも、“名”だけは違う。
あれは、意志と記録が交差する一点――“存在の証明”だ」
彼はメモを閉じ、胸ポケットに収めた。
「……そう思うから、僕は“記録する”。
名を語ることで、誰かを“終わらせる”んじゃなくて――“残す”ためにね」
その言葉に、ハルの胸にかすかな重みが生まれた。
名を“奪う”のではなく、“残す”。
その違いが、どれほどの意味を持つのか――まだ分からない。
だが、ヨツギの危うい均衡は、明らかに彼らの“常識”と衝突していた。
第6話「名づけの代償」【3/3・最終決定版】
「さて……君たちと関わるのは、もう少し後でいいかな」
ヨツギは一歩、後ずさると、懐から記録媒体を指で弾いた。
「“名前の声”が聞こえる場所があるんだ。
“名づけ”という罪が、また一つ、生まれそうだからね」
「待て」
ハルが静かに呼び止めた。
「――ミナのことを知っているか?」
その名に、ヨツギの動きが止まる。
瞬間、空気がひび割れたように緊張する。
「……“知っていた”よ」
ヨツギはゴーグルの奥で目を細めた。
「だが今、僕の中には“その記録”がない。正確には――失われているんだと思う」
ハルの眉が動いた。
「記録が……消えた?」
「いや、削除された形跡もない。ただ、ぽっかりと“空白”になっている。
思い出そうとしても、映像も、音声も、記録の糸すら辿れない。
……まるで、最初から“記録されていなかった”かのように」
「でも、それはおかしい」
ユキトが小さく呟く。
「僕の履歴からも、彼女のログが一部欠損している。
N-COREのアクセスログも確認したが、明らかな編集跡はない。……けど、確かに“空いてる”」
シノも目を伏せるようにして言葉を継いだ。
「……波長履歴にも、同様の空白があります。
“ミナ”に関連するはずの時間帯だけ、解析が不能です」
ケイトが苦々しげに唸る。
「名前が、記録から“すり抜けた”ってことかよ……」
「可能性としては、一つ考えられる」
ユキトが、ハクを見やった。
「“名を与える”という行為。それが、記録構造に影響を与えた。
……ハクに名を与えた“代償”として、誰かの記憶が――ミナに関する記録が、歪んだんだ」
「そんなことが……ありえるのか」
「“名”とは、それほどの干渉力を持つ。
このゲームの根幹は、“名前”で殺し、“名前”で守り、“名前”で操ることだから」
沈黙が落ちる。
ヨツギはその空気を見つめるように、静かに言った。
「彼女は消えていない。ただ、“存在の輪郭”が曖昧になっただけだ。
――思い出せないのに、確かに“いた”と感じてしまう。
それこそが、“名”の不完全な記憶だよ」
ハルは、口元を引き結ぶ。
ミナは、いなくなってなどいない。
ただ、誰の記憶にも――正しく、いなくなった。
「……取り戻せるのか? その記憶を」
「それを探す旅が、これから始まるんじゃないのか?」
ヨツギが微笑む。
「“名を与えたこと”の意味を、君たち自身が知るために――」
ヨツギの姿は、すでに通路の奥に消えていた。
だが、言葉だけが、この空間に残響のように漂っていた。
「――“名を与える”という行為には、対価がある」
彼の声が頭の奥にこだまする。
誰かの名前が、誰かの記憶を塗り替える。
名を奪う者、名を守る者、名に喪われる者。
そして今、ハルたちはその狭間に立たされている。
沈黙の中、誰も言葉を発さなかった。
だが、その沈黙こそが、名の重さを語っていた。
ハルは静かに目を伏せた。
思い出せない。けれど、忘れてはいけない。
――“名”は、ただの記号なんかじゃない。
それが、誰かの存在そのものだった。
(第6話 完)
(つづく第7話「静かなる継承」)
ほんっとにすみません!
自分で読み返してて意味わからなかったり矛盾点多すぎたので6話大幅改変致しました!