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ナマエノチカラ  作者: ハル
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第3話 旋律の協奏曲


鉄骨が軋む音が、地下へと続く階段にこだましていた。

ハルは前を歩き、右手で崩れかけた手すりを押さえながら一段ずつ慎重に降りていく。

その背を追うケイトは、狭い天井に頭をぶつけないように腰を落としながら進む。


「さっきの通路……完全に塞がれてたな」

ケイトが低く呟いた。


「崩落じゃない。何者かが“崩した”。後戻りをさせないために」


ハルはそう言って、手首のN-COREを起動する。

“伊波誠一郎”のネームカードが格納されているその端末が、かすかな振動と共に新たなログを読み込んでいた。


〈ログ座標反応:地点B-5/旧中央情報管理局 アーカイブセクター〉


「ここが伊波が最後にアクセスしたエリアか……」

ケイトが溜息をつきながら、手の甲で汗を拭った。


やがて階段は広間へと開け、彼らは古びたアーカイブ室の中心へと足を踏み入れる。

壁面に設置された端末群、天井の投光ユニットはかろうじて稼働を続けており、青白い光が床に冷たく反射していた。


その中心に、ひとりの人物がいた。


灰色のケープを羽織り、顔には白と黒のツートーンに塗り分けられた道化の仮面。

姿勢は直立し、こちらをまっすぐに見据えている。いや――見据えている“ように”立っている。


「誰だ?」

ケイトが即座に身構え、N-COREを警戒モードに切り替える。


「敵意はないよ」

仮面の人物は穏やかに答えた。

「私は“記録者”。IDは66。ここで君たちを迎えるよう指示されている」


〈N-CORE:対象情報照合〉

【ID:66】


分類:知略型


能力:不明


外見:灰色のケープ/白黒の仮面/中性的な体格/声は穏やか


備考:運営との関連記録なし/観察者としての振る舞い多数


所持ネームカード:1(詳細不明)


「“観察者”ってわけか。運営か? 伊波と同じような“演技”か?」


「違う。私はこのゲームの運営者ではない。

ただ、情報を“記録”する存在。……それが私の役目だ」


ハルは仮面の男に近づき、目線を合わせる。


「じゃあ、訊く。伊波誠一郎は――何だった?」


仮面は静かに手を差し出す。

壁面の端末が自動で起動し、ホログラフィック映像が投影された。

そこには、複数の伊波の姿――外見は同じ、IDも同じ、しかし動きと時間帯が異なる映像が並んでいる。


「これは……どういうことだ」

ケイトが驚愕の声を漏らす。


「《プロジェクト・マルチネーム》。真名の“複製”によって、単一のIDを持つ存在を複数に分ける計画だ。

ただし――これらは“真名を持たない器”。正式な登録を持たない、“名もなき模造体”に過ぎない」


「つまり、アイツらは“伊波”ですらなかったってことか」

ハルの声が低くなる。


「そう。“伊波誠一郎”という真名が登録されたのはただ一度。

君が名殺した、あの瞬間だ。カードはそこで生まれ、世界に一枚きり存在する」


「なら……複製体を倒しても、ネームカードは出ない」


「当然だ。

彼らは“名”に至っていない。

君たちの《共鳴視》にも、痕跡を残すことすらできない」


仮面が手を振ると、映像は静かに霧散した。


「この先に残された複製体がいる。

彼らは“記録の削除者”として設計された存在。

おそらく、君たちを“情報の漏洩源”とみなして排除にくるだろう」


「……面倒な話になってきたな」

ケイトが歯を食いしばる。

「つまり、何が来ても“伊波”って名を呼んだって無駄ってことか」


「その通り。だが、勝てば道は拓ける。

“ミナ”に辿り着く鍵も、君たちの行動の先にある」


ハルとケイトは視線を交わす。

かつての日々――名を呼び合い、生きようとしたあの瞬間が、記憶の奥から浮かび上がる。


そして――

地下奥の通路から、足音が響いた。


無言の足音。

それは、まるで“誰かに命じられたリズム”のように、正確で、機械的だった。


ケイトがすぐに身構える。

その視線の先、暗がりから五つの影が現れる。


全身を黒装束で包み、顔の下半分を覆面で隠した“器”たち。

動きは異様なまでに揃い、まるで個を持たぬ群体のようだった。


〈N-CORE:対象情報照合〉

【ID:58】(※全員共通)


分類:不明(戦闘傾向強)


能力:未検出


外見:黒装束/同一動作/個性なし


備考:真名未登録。ネームカード非所持。名殺対象外。


「全部……“伊波”の顔だ」

ケイトが低く呻く。

「でも、中身は……人じゃねぇ。来るぞ――!」


次の瞬間、五体が一斉に跳躍した。

音もなく、空気を裂く速度で襲いかかってくる。


ケイトは右へ跳び、肩で一体を受け止める。

鈍い衝撃が全身を揺らし、肺がきしむ。


「ッ……っ!」


押し返す隙もないまま、敵が拳を振り下ろしてくる。

ケイトは体をひねって回避、肘で敵の脇を打ち、体勢を崩す。


そこへ、ハルが滑り込む。


ナイフが敵の膝裏を斬る。

肉が裂ける音と共に、鮮血が床を濡らす。


「崩した、ケイト!」


「任せろッ!」


ケイトが正面からタックルし、器を壁に叩きつける。

その隙にハルが背後からナイフを突き立てる――

刃が頸椎を断ち、器の体が震えた後に崩れ落ちる。


「一体、ダウン!」


だが次の敵が、すでにハルへ跳びかかっていた。


「ハルッ!」


ケイトの叫びとほぼ同時に、器の拳がハルの顎をかすめる。

視界がブレる。背中から棚へ叩きつけられ、空気が肺から抜ける。


ハルが咳き込んだその瞬間、敵がもう一撃を放つ。


ケイトが横から体当たりする。

肘が痺れる。拳が器の顔に何発もめり込む――

それでも動きを止めない。


「……クソ……ッ、止まれよッ!」


ハルが背後から喉を掻き切る。

血が噴き出し、ようやく器が沈黙する。


「二体目……!」


残る三体が、同時に移動を開始した。


「囲むつもりか……!」


ケイトが息を整える暇もなく迎撃へ向かう。

だが、肘が限界を迎えていた。


三体目の拳が肩を打ち、ケイトの体が浮く。


その瞬間、ハルが回り込み、腹部にナイフを深々と突き刺した。


刃が肋骨を裂き、肉の奥で止まる。

器は痙攣し、口から血を吹いて倒れた。


「……三体……」


残るは二体。


そのうち一体が、通路の奥で動きを止めた。

まるで、見えない“命令”が途切れたかのように。


「……止まった……?」


ケイトが眉をひそめる。


ハルもナイフを構え直しながら、その場に立ちすくんだ。


もう一体の器も動こうとしない。

次の瞬間――


通路の奥から、足音が静かに重なる。


煤けた制服。乱れた黒髪。片足だけのスニーカー。

そして、その隣を歩く――白いレインコートの少女。


無表情。無言。空気の流れすら乱さない。


〈N-CORE:対象情報照合〉

【ID:31】ユキト


分類:知略型


性別:男


能力:不明(推定:記号干渉・観測型)


外見:痩身/乱れた黒髪/片方だけのスニーカー/ボロ制服/学生鞄破損


性格:寡黙かつ観察者的。距離感の掴めない言動が多い。


所持ネームカード:2


〈N-CORE:対象情報照合〉

【ID:不明】シノ ※演算補助型ユニット


分類:知略型(補助)


性別:女


能力:未確定(推定:未来経路干渉/記録調整)


外見:栗色のウェーブ髪/白のワンピース/無表情


所持ネームカード:0



「……お前……」

ケイトがかすれた声で呟く。


「さっき、上の階で別れたばっかりだろ……」


「そうだね」

ユキトは、笑っても怒ってもいない声で答えた。

「でも、こっちの方が面白そうだったから」


ハルが無言で構えを取り直す。

直感が告げている――“こいつは何か知っている”。


ユキトが一歩前へ出た。

N-COREが脈動し、淡く二つの光を灯す。


「ネームカードってさ……譲渡可能なんだよ」


その言葉は、刃よりも冷たく、深く突き刺さる。


「……見せてあげようか?」


ハルとケイトのN-COREが、かすかに反応する。

“変化”の予兆が、静かに空間を染めていった――


(第3話・完)

(つづく:第4話「譲渡と喪失」)



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