9.アスラン
リリスが着ている服はシンプルだが質の良い物だ。
平民でも商家などの裕福な家庭の娘が着る物だとミハイルは思った。
「せっかくの可愛らしい服もその髪ではなぁ。服の趣味が良いだけに勿体無い。」
着いた先は廃墟みたいな小さな古い屋敷だった。怪しい建物に入るのは嫌だったがミハイル王子が躊躇なく扉を開けた。
大小様々な置物や装飾品やよくわからない物が雑多に並べられていてアンティークなソファに寝転ぶ男が目を開けた。
「やべー、寝てた。何、その子。」
「急に来てすまん。この子の髪を元に戻したいんだ。何とか出来ないか?」
男はリリスの髪を触りながらあーだこーだとブツブツ呟くと棚にずらりと並んだ瓶や壺や入れ物から薬らしき物を取り出した。
これはまずいのでは。変な薬を盛られてしまうのか。
「あ、これなら落ちそうだよ。随分と傷んでるからそーっとやるね。僕の事怪しいから警戒してるでしょ。」
「えっと、少し。」
「ははっ、正直者だ。でも安心してよ、僕は男色なんだ。君に手を出したりしないよ。」
「そうなんですね。」
「あれ?引かないねー、君。肝がすわってるぅ。」
「感情が薄いんですよ。家庭内がぎすぎすしていたからだと思っているんですけど。」
「あー、それだわ。僕もこんなだから家族とは無縁なんだよ。君の気持ちがなんとなくわかるー。」
座ったリリスの後ろに立つ彼を鏡越しに見る。
同い年くらいだろうか。それとも童顔なのだろうか。
赤く染めたボサボサの髪は結ぶ程長さはなく毛先があちこちにはねていて彼の飄々とした雰囲気に似合っているが前髪が重く目ははっきりとは見えない。
左側だけ髪を耳にかけていて耳たぶ全体に模様が入っているのが丸見えだ。大小様々なピアスがいくつも刺さっていた。
「ピアスあけたいならぷすっと開けたげるよー、それともタトゥーが気になる?」
「じろじろ見てごめんなさい。綺麗だなと思って。」
「ありがとー。背中とかお尻にもあるんだけど親密な関係にならないと見せられないからねー。」
「では私は永久に見れませんね。」
ふわっと軽い気持ちにさせてくれる赤髪の青年はアスランと名乗った。長い前髪からちらっと覗く目は切れ長のくっきりした二重で整った目鼻立ちをわざと隠しているのではないかと思った。これ程鮮やかな赤に染められるなら元の髪は淡い色なのだろう。
「リリスと言います。訳あってリンジーと名乗っていますがリリスが真名なのです。」
なぜ本名を名乗ってしまったがわからないがこの青年は全てを笑って流してくれる気がしたのだ。
さっきまで後ろにいたミハイル王子が席を外したから話してしまったとも言える。
「ふぅん、リリスね。はい。黒い染粉は取れたよ。髪はやさしーく洗いなよ?もうこの染粉は使わないで、毒に等しいからさ。ほっぺについたから悪化したんじゃないかな。」
「ありがとうございます。もう染めるのはやめにします。面倒でお金もかかりますし枕カバーに頭の形がくっきり付くのを毎朝見るのに疲れました。」
「あははっ、リリスおもろー。僕は水曜日と週末以外は此処にいるからまた遊びにおいでよ。男色の話を教えてあげる。」
「知られざる世界ですね。お休みを頂けたら伺います。楽しそう。」
髪を洗っている間席を外していたミハイルが帰ってくるとリリスの髪は傷みは隠せないが色は元に戻っていた。
色白の肌に明るい髪色は彼女を明るく見せている。
「うむ、やはりこの色の方が魅力的だ。少しピンクがかっているな、珍しい。髪に合わせてもっと娘らしい明るい服を着たらどうだ?ピンクやオレンジなどリンジーなら何でも似合うだろう。」
「ほとんどお仕着せを着ているので私服を着る機会がないのです。」
「買ってやろうか?」
「いえ、お気持ちだけで。ピンクもオレンジもまだ私には勇気が必要なようです。」
「そうか、欲しくなったらいつでも言えよ。」
王子に服が欲しいなどと言える訳もないしこの先ピンクもオレンジも欲しくなる可能性は薄い気がする。
ただこの優しさは素直に嬉しかった。
馬車までの帰り道にお店のウインドウに飾られたピンクの花柄の服を見たミハイル殿下が「あのピンクいやつ着てみたらどうだ?」と言ってきた。
ピンクい
(言い方!この人絶対おばあちゃん子だわ。)
心の中でそう思うと自然に笑みが溢れた。
「そうやって笑っていろ。笑って過ごせばいい事が向こうからやってくる。この国の古い言い伝えだ。」
なぜだかわからないがミハイル王子はリリスの額にそっとキスをした。