2.破産して一家離散になりました
業者が屋敷の査定に来ている。
絵やら壺やらの装飾品はもはやこの家には残っていない。
伯爵とは名ばかりでよくわからない研究ばかりしていた父はどこにいるのか解らないし母は早々と離婚をして実家の領地に戻って行った。
兄はこの伯爵家がこうなる事を感じていたのか随分前に他国へ留学したまま帰って来ない。
文字通り一家離散である。
「あんたはこの家のメイドか何かかね?売りに出すような物は何もないよ。ただ屋敷は小さいが丁寧に暮らしていたみたいで高く売れるだろうよ。そのお嬢様の部屋の荷だけは幾つか残っているから持てるだけ持って行きな。少しでも金になるかも知れんしな。どうせ最後の給金も貰えなかったんだろう?」
最後の給金どころか誰かを雇える状態では無かったのだ。
見かねた母方の祖父母が時々メイドを寄越してくれなければゾッとする結末を迎えていただろう。
父も母もいなくなりたった一人残された16歳のリリスはもう貴族のお嬢様にも見られなかった。
その現実が重く心にのし掛かる。
「はい、そうします。」
リリスは自室に残った僅かなドレスを見た。
擦り切れていて囚われた娘が着ていたのかと思わせる程悲しい様相をしている。学園が制服で良かったと心から感謝した。
服はこのまま残して行こう。
ずっと大切に貯めていたお金で人前に出られるくらいの服を買おうと心に決めた。
ベッドのサイドチェストから出て来た手紙と贈り物はまとめて返すつもりだ。
友人のクリスが返しに行ってあげると言ってくれた。
彼女の事だから手紙もアクセサリーもオーウェンの両親の前に並べていかに幼稚な贈り物でセンスのかけらもない事を的確に述べるだろう。
結末を知ることは出来ないがクリスならこてんぱんにしてくれるに違いない。
「持って行く様な物はありませんでした。私はもう行きますね。」
「そうかい、気をつけてな。今度は破産しないようなお屋敷で働くんだぞ。」
「はい、そうします。」
リリスは屋敷から出ると振り向くのはやめて歩き出した。
街中に建つ小さいが立地条件の良い屋敷はすぐに買い手が付くだろうと思う。
メイドがいないのでリリスが買い物をしていた。生粋のお嬢様である母は何もしないし父など何の頼りにもならない。
(おかげで数字に強くなったわ。借金は屋敷が売れればほぼ帳消しになるでしょう。お父様が個人的に作った借金と分けておいて正解だったわね。お母様も実家に戻れば精神的に安定を取り戻せるわ。お兄様はひとりで生きていけるでしょうし、あとは自分の世話だけならなんとかなるわ。大人の世話が無くなっただけマシよね。)
リリスは予め下見しておいた街の洋装店で平民の女の子が着ているワンピースを買うことに決めた。
濃いグリーンのワンピースならば汚れは目立ちにくい。洗濯を毎日する事は出来なさそうだからと色々考えて選んだのだ。
「貴方髪を染めているんじゃない?襟が白いと染め汚れは落ちないわよ。こっちにしたら?生地はグレーで地味だけど襟が紺色で可愛いわ。汚れも目立たないわよ。」
小さな丸い襟と袖口が紺色の違う生地になっていて前側にずらりと並んだ小さなボタンまで紺色だ。
この量のボタンを毎日留めるのは難儀だがドレスと違い自分で着られる。
「これにします。予算に合えばいいのですが。」
ワンピースは思っていたよりもずっと安かった。
こんな事ならもっと早くに貴族籍を返上すれば良かったのではないかと思う。
「貴方立ち振る舞いが綺麗ね。立派なお屋敷でも勤められるんじゃない?この裏に職業斡旋所があるわ、お屋敷専門だから行ってみては?」
「私が仕事を探しているのがなぜ解ったのですか?もしかして顔に出ていました?」
「手の込んだドレスを脱ぎ捨てるならそうじゃないかと思ったのよ。訳ありのお嬢さんは意外と多いのよ。貴族の方々も領地経営だけではやっていけないから王家預かりの領地が増えてるって聞いたわ。貴方ならきっと良い仕事が見つかるでしょうよ。幸運を祈るわ。」
「はい、そうします。仕事が決まったら新しい着替えを買いに来ますね。」
「頑張りましょう。笑顔を絶やさないで、笑顔の元に幸福は訪れるのよ。」
店主の女性は始終笑みを絶やさなかった。
温かい言葉が胸に沁みる。
リリスは唇の端を指で持ち上げ笑顔を固定させた。
お店の硝子に映る微笑みはもうずっと長い間忘れていたものだ。
(いつもそうやって笑っていたらいいのに)
そうリリスに言ったのは誰だったか。
もう思い出せない幼い頃の記憶だ。
リリスは勇気を出して斡旋所の扉を開けた。