14.アンジェリーナからの贈り物
(リリスか・・・)
彼女がアスランにだけ真名を名乗ったのは何故か。
ミハイルは真面目に働くリリスの後ろ姿を視界に捉えている。
いつも伏せ目がちな為に地味な印象だが容姿は普通に整っている。
淡い茶色の髪は陽を浴びると金色に近く色白で線の細い彼女に似合っていて美しい。
背は高くも低くもないがウエストのくびれでスタイルの良さが際立っている。リリスならばどんな衣装も着こなせるだろう。
「リリス、お前に贈り物が届いた。開けてみろ。」
「はい、殿下。」
調度品を夢中になって磨いていたリリスはリリスと呼ばれた事に少し驚いたが調べれば簡単にわかる事なので大人しく返事をした。
(あぁ、この箱は知っているわ。クリスの部屋に山積みされていたから。)
アンジェリーナ様からのカードが添えられている。
《リンジー、リリスと呼んでもいい?これを着て私の国に来てね。休暇を貰えるように第二王子殿下に頼んでおいたから。》
(第二王子殿下?)
リリスが箱を開けるとやはりあの時のドレスが入っていた。アンジェリーナがリリスとお揃いのドレスを着たいと言っていたアレだ。
「着てみたらどうだ?せっかくの贈り物だ。アリシアに着せてもらえ。」
ミハイルは侍女のアリシアを呼ぶと部屋から出て行った。
ここで今すぐ着ろと言う事だ。
優しいアンジェリーナが贈ってくれたものを無碍にする訳にもいかずリリスは着る事にした。
「さすが良家のご令嬢ですね。仕上がりに時間がかかったのはこの胸部分の生地かしら。見事な織り模様ですこと。夜会の花になる事間違い無しですね。」
「元令嬢ですが良家ではありません。こんなに手も荒れているのに夜会なんて。」
「ふっふっふっ、見なさい、この繊細な手袋を。」
大きな姿見にうつる自分の姿などいつぶりだろう。
こんなに痩せていたかしら、こんな瞳の色だったかしら。
まるで知らない人を見るように見つめていたのは自分だけではなかった。
「あら、坊ちゃんが感動しているわ。いまが一番美しく輝く年頃ですものね。ちょっと並んでみてはどうかしら。」
王子の癖に侍女に言われるがままリリスの横に立つ。
抱くのに丁度いい位置にあるリリスの腰に自然に手を添えてしまう。このドレスに合わせる自分の衣装があるだろうかと考えながらミハイルはリリスの緑色の瞳から目が離せない。
「これは決まりね。パートナーとして同伴して貰いましょう。諸々はあちらで揃えるとして船旅の準備は必要ね。仕立て屋を呼ぶ時間はないから買いに行きましょうか。」
「え?」
「は?待て、アリシア。リリスをジゼラルローシャンに連れて行くのか?」
「え?」
「ええ。リリスなら会話も出来ますしパートナーとしても問題ありませんでしょ?あちらの国は貴族だけと言う概念はありませんからね。」
「ふむ。確かにそうだな。婚約者として連れて行けばずっと側においておける。」
「え?」
さっきから「え?」しか言っていないのに話は良からぬ方向へどんどん進んでいく。
「アンジェリーナ姫からの招待状だ。勿論俺にも届いたがお前は姫ご本人からの直接の招待だ。断れるか?」
「いえ、ですが私など、あの、通訳としてならばーー」
「ふむ、ならば婚約者候補ならどうだ。候補なら他にも大勢いる。今回はジゼラルの言葉を理解するお前が選ばれたと言い訳も成り立つ。」
「あの、殿下、えっと、ジ・ゼラル・ローシャンです。あちらの国は略称で呼ぶのは御法度なのです。」
「うむ、そうなのか。承知した。やはりお前が適任だな。よし、今から旅の準備に取り掛かろう。3日後はもう船の上だ。」
本当に3日後には甲板に立っていた。
何もない小さな肩掛け鞄から始まり侯爵家を出る時には奥様が可愛らしい平民の服が詰まった鞄を持たせてくれた。
そして今リリスは3つの大きなトランクに囲まれて毛皮のケープのついたコートに袖を通し第二王子殿下の腕に手を添えている。
(私も出世したわね)
第二妃の御長男だから第二王子、シン王子は第三妃の御長男だから第三王子。
ミハイル殿下が21歳でシン殿下が17歳。
という事は正妃の御長男は21歳かそれよりも歳が上だ。
けれど疎いリリスでもご結婚されているとは聞いた事がない。
よく考えたら同じ歳のシン王子と学園で会った事もなければ名前さえ聞いた事が無かった。
女の子達が校門で出待ちしていたのはどの王子なのだろう。
「寒くはないか?先程からぶつぶつと何を考えている。」
ジ・ゼラル・ローシャン王国へ行くと決めてからミハイル殿下は距離が近い。
まるで本当の婚約者のような扱いに全然慣れないでいる。
「緊張してしまって。頭の中で念仏を唱えています。」
「アスランだな。変な事ばかり教えやがって。令嬢らしく歌でも歌え。」
「令嬢が何を歌えば良いのですか?」
「うっ、そうか、歌など習わんしな。そうだ、ピアノがあるぞ。」
「殿下、せっかくですが私の固くなった指ではもう弾けません。」
ミハイルはすまんなと言いながらリリスを抱き寄せた。
リリスは遠い目をして海を見つめるしかなかった。
(何故わたしは此処に?)