24・精霊
その日、お祖父様は仕事を休んで屋敷に居た。
これはもう僕の報告待ちで間違いないだろうな。
でもその前に、せっかく王宮で瘴気を補充したのに、また大量に放出してしまったので何とかしたい。
僕は着替えてから地下室に向かった。
「ついて来なくていいよ」
スミスさんがついて来る。
疲れてるだろうし、休んでくれって言ったんだけど。
「いえ、お気になさらず」
魔物の僕より丈夫って、人間はすごいな。
僕の案内は使い魔である闇の精霊がやってくれるので真っ暗でも問題ない。
カツンカツンと足音をさせて歩き、他に誰かが動く気配がしないかを確認する。
壁にしか見えない場所に入り口があり、そこから使い魔が中に入れてくれる。
一応スミスさんにも中に入ってもらう。
暗いままなのに知らん顔して入って来る人間って……考えないことにしよう。
この部屋を作るのに協力してもらったし、良いよな。
「あれ?」
何だろう、以前と雰囲気が変わってる。
「おい、何してるんだよ、ここで」
僕は暗闇に向かって声を掛けた。
壁に設置されている魔道具のランプを点すと、ぼんやりと部屋が明るくなった。
「出しなさい」
僕は自分の影に向かって手を出す。
にゅるんと影から触手のような手が出て来て、僕の手に黒い塊を乗せる。
「それは何ですか?」
スミスさんが興味深そうに覗き込んだ。
「魔物ですよ。 やけにこのところ瘴気が足りないと思ってたら」
どうやら新しい魔物を形成するためにここに溜まっていた瘴気を使ったらしい。
これだから精霊ってのは気まぐれで困る。
「どういった魔物なんですか?」
ツンツンと突いてみるがドロリと溶けたようになるだけで、形は特に無いようだ。
じっと見ていたら、精霊からこの生まれたての魔物の情報が流れ込んでくる。
「分かった分かった、育てるのは許可する。 だけど、これ半分、僕がもらっても良い?」
僕と使い魔である精霊は繋がっているので、別に声に出さなくても会話は出来るけど、一応ね。
僕は不定形の魔物を半分に千切る。
片方を精霊に返し、残った片方に命ずる。
ぐにゃりと形を変え、それは小さなイヤーカフという耳飾りになった。
「どっちにするんでしたっけ、右耳?、左?」
スミスさんを見上げて訊く。
前世の記憶から、男性でも耳飾りを着ける人はいる。
何か拘りや決まりがあるなら従ったほうが良いだろう。
「どちらか片方の場合は男性は確か右ですね。 でも守りたい女性がいる場合ですよ?」
意中の相手がいると知らせるためらしい。
ふうん、ならちょうど良いんじゃないの。
「ありがとう」
僕はそれをポケットに仕舞う。
しかし瘴気の問題は変わらない。
「どうするかな、これ」
瘴気を溜めるための部屋が綺麗になり過ぎている。
「また溜めるのに時間がかかるな」
僕はぶつくさ言いながら、その部屋を出た。
「イーブリス様、一つお伺いしてよろしいでしょうか」
「うん」
廊下を歩きながら、僕はスミスさんの声を背中で聞く。
「あの部屋なんですが、祭壇があるのに祈りを捧げなくてよろしいのですか?」
あー、信心深い人間にとっては祭壇は供物を捧げて祈る場所か。
僕はふぅっと息を吐く。
「別に要らないよ。 僕みたいな魔物に誰も祈ったりしないでしょ」
自嘲気味に笑って歩き続ける。
「では、私に使わせていただけませんか」
「なんで?」
僕は立ち止まり、スミスさんを振り返る。
「世の中に対する恨み言や不満なら誰でも持っていますよ。
それを祈ることで吐き出せるのなら気が楽になるのではないかと」
それで瘴気を溜める手伝いになるかというと、正直なところ分からない。
やったことがないからね。
「ふうん、屋敷の者たちにあそこを使わせるってこと?。 構わないけど」
ただし、供物は必要ないと付け加える。
「殺した魔物や魔獣じゃないと瘴気は発生しない。 アンタたちには無理でしょ?」
本当は人間が一番良い。
死体でも構わないが、生きていれば尚良い。
生贄として拘束し続けていれば、瘴気を吐き続けてくれるからな。
ま、そんなこと絶対に出来ないだろうけど。
とりあえず夕食の時間になったので食堂に向かう。
お祖父様への報告は夕食後に部屋へ伺うと伝えてもらった。
「あ、リブ!、大丈夫だった?」
食堂の前でアーリーに会う。
「大丈夫だよ。 せっかく聖獣様に会えるところだったのに、ふらふらして足を滑らせちゃった」
「体調が悪いのにそんなところに行くからだよ」
ぷりぷり怒るアーリーは優しいな。
公爵家の食事にはだいぶ慣れた。
何故か僕は建前上、病人食なんだけど、量が少ないせいか肉が多く見える。
体調が悪いといっても内臓が悪いわけじゃなので、ちゃんと食べられるんだけどアーリーが煩いんだ。
「僕もそっちが良かった」って必ず言うからね。
「アーリー様、イーブリス様のはお体に合わせてありますので」
まだまだ子供っぽいアーリーの声を聞きながら食事を終える。
僕はまだ体調が悪いからと早々に部屋へ戻った。
お祖父様の部屋へ行こうとすると絶対ついて来るアーリーを部屋へ返すためだ。
だけど、その日はアーリーが僕の部屋に来た。
全くの離れ離れで夜を過ごしたのは初めてだったから不安になったのかも知れない。
僕は夜着に着替える気はなかったんだけど、着替える振りをする。
「そうだ、アーリーにお土産があるんだ」
ポケットから闇の精霊がくれたモノを取り出す。
「なあに?、これ」
「これはね」
僕はアーリーの右耳にそのイヤーカフを付ける。
「え、いたっ」
ああ、ちょっとチクッとするか。
「ごめんごめん、でもちゃんと着けないと落ちちゃうからね」
そして僕はそのままアーリーを抱き締める。
服ではなく身体に埋め込まれたモノは本人の身体の一部として僕に写される。
「ほら、お揃いだろ?」
僕の場合は同じ右耳ではなく、鏡合わせの左耳になったけど、まあいいや。
「聖獣様がくれたんだ。 加護があるらしいよ」
だから、なるべく外さないようにと伝える。
ただの真っ黒な色をしたイヤーカフ。
装飾品をもらうのは初めてだから、アーリーが照れて赤くなった。
「ありがと」
ゆっくり鏡を見るためだろう。
アーリーはバタバタと自分の部屋へ駈け込んで行った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
公爵は、イーブリスが王宮の勉強会に行く前夜、聖獣に会いたい理由を訊ねた。
可愛がっているダイヤーウルフを配下にする時に約束したらしい。
その上で「頼みがある」と言われ、信頼に一歩近付いたと素直に喜ぶ。
「何をすれば良いのだ?」
「僕が聖獣様にお会いしたら、必ず揉め事が起きます。 そうしたら、僕を放置してお帰り下さい」
公爵はそれを聞いて顔が引き攣る。
魔物とはいえ、可愛い孫だ。
それを放置しておけと言うのか。
「後のことはスミスに伝えてありますから」
姿は七歳の子供でも、シェイプシフターという魔物。
何か考えがあるはずだ。
「ちゃんと戻って来るのだな?」
それだけは確認したかった。
「そのつもりですよ、僕は」
聖獣と王宮が邪魔しなければ、ということなのだろう。
イーブリスは聖獣の森で湖に落ち、一晩、王宮に泊まることになった。
屋敷に帰った公爵に王宮からイーブリスを泊めると連絡が来たので、アーリーにも「大したことはないが念のため」と説明した。
だが、王宮からの連絡はそれだけではない。
「スミスからでございます」
渡された走り書きには、
『何かあった場合、イーブリス様の机の引き出しの日記帳をご覧ください』
と、あった。
「イーブリスは何を託したのだ?」
公爵はイーブリスの部屋から日記帳を持って来させる。
鍵付きなのに鍵は掛かっていなかった。
しっかりと目を通したが、生まれから今までのことが書いてある。
ほぼアーリーのことだ。
「魔物のくせに」
公爵は苦笑し、朝にはそれを元の場所に戻させておいた。