華麗なる一日の終わり
二度目に入る温泉は先ほどと違って少しだけ退屈に思えてしまった。僕もレベッカも一応部屋のシャワーを浴びて着替えてはいるのだけれど、なんとなく話の流れでもう一度温泉に行くことになったのだ。なんだったら、そのままシャワーで全部洗い流しておけば済むと思うのだけれど、どうやらレベッカはもう一度温泉に入って全て無かったことにしたかったようだ。僕はその考えを受け止めてあげることにした。
そう言えば、どれくらい入っているか決めてなかったなと思いながら体を洗っていたのだ。さっきも頭を洗ったのだけれど、また洗うべきかどうかで悩んでいたのだ。なぜなら、頭を洗うのは構わないのだけれど、髪を乾かすのに時間がそれなりにかかってしまうので、もしかしたらレベッカの事を待たせてしまうのではないかと考えていたからだ。
こんな事ならちゃんと事前に決めておけば良かったなと思っていたのだけれど、決めたところでそんなに時間通りに物事は進まないのではないかとも思っていたりもしたのだ。
僕は全身を洗い終わって軽く湯船につかってから外に出たのだが、案の定というか当然というかレベッカはまだ出てきていなかった。それについては男性よりも女性の方が色々と時間がかかるという事を知っているので気にはしていないのだけれど、僕よりも遅れて出てきたレベッカは待っている僕の姿を見てボロボロと大粒の涙をこぼしてしまった。
「さっきも酷いことをしてしまったのに、ここでも待たせてしまってごめんなさい」
「いや、そんな事は気にしなくていいよ。それに、僕もついさっき出てきたばっかりだしね」
「本当ですか?」
レベッカは何かを確かめるような視線で僕に近付くと、おもむろに僕に抱き着いてきた。
「正樹さんの体、そんなに暖かくないです。結構待ったんですか?」
「いや、本当に待ってないよ。さっきと違って熱い方の湯船につかってないだけだからさ」
「そんなに気を遣わなくてもいいですよ。私はダメな子ですね」
「そんな事ないって。僕なら何も気にしてないし、みさきだって気にしてないと思うからさ」
僕とレベッカの会話はそれっきりで終わり、温泉から旅館に戻る途中もレベッカはうつむいたままで一切何も喋ることは無かった。途中で見かけた集落の人には愛想よく手を振っていたりもしたけれど、それが終わると途端に大人しくなってうつむいているだけだった。
この状況は見ようによっては僕がいじめているようにも見えるんじゃないかと思っていたけれど、そうでないという事は言えばわかってもらえると信じているのであえて何も言わないことにした。それに、僕が何か言ってしまうとレベッカを傷付けてしまうのではないかという考えもあったからだ。
僕たちはただでさえ低かったテンションをさらに低く下げて帰ってきたのだけれど、待っていてくれたみさきと旅館の人達は何事も無かったかのように明るく出迎えてくれた。ただ、その明るさは今のレベッカには少しばかり眩しすぎたようだった。
「あの、今日はごめんなさい。二人の旅行に変な思い出を追加しちゃってごめんなさい」
「別に謝らなくてもいいよ。浴衣だったら旅館の人が新しい色に染め直してわからないようにしておくって言ってたからね」
「それって、もう元には戻らないって事なの?」
「元に戻らないんじゃなくて、あえてリメイクするって事なんじゃないかな。レベッカもどんな感じだったのかわからないくらい変わってる方が気が楽なんじゃないかな」
「どうだろう。私は何枚も写真を撮っちゃったからどんなデザインだったか見たら思い出しちゃうかも」
「一つ一つが違う柄ってわけでもないだろうし、同じのをいくつか作って染め直すのかもしれないからさ。旅館の人も楽しい旅行なんだからあんまり気にしないでいてくれていいよっていってたからさ」
「でも、私はサンドイッチもダメにしちゃったし、浴衣もダメにしちゃったよ。どうやってお詫びをしたらいいのかわからないよ」
「それはそうかもしれないけどさ、温泉に入ってた時みたいに明るくて元気なレベッカでいてくれた方がみんなも嬉しいと思うよ。あと、浴衣は旅館の人が持っていってくれたんだけど、パンツだけは別に手洗いしてたからね。なるべく痛まないように優しく洗っておいたよ」
「ちょっと、それは洗わないで捨ててくれても良かったのに。いや、むしろ捨てて欲しかったよ」
「本当に捨ててよかったの?」
「だって、お漏らししちゃったパンツなんてもう履けないでしょ」
「そうかもしれないけどさ、そんな事を言ってこの子達が悲しんじゃうんじゃないかな」
みさきはなぜかレベッカの履いていたパンツを手に持って見せていた。僕は全く見るつもりなんて無かったのだけれど、目の前で広げられてしまっては見ないわけにはいかない。確か、妹の唯もあんな感じのを履いていた時期もあったような気がするな。と言っても、幼稚園か小学校低学年くらいの時だったとは思うのだが。ただ、それをそのまま正直に言ってしまうと幼稚園児と同じパンツという事でレベッカは違うショックを受けてしまのではないかと思ってしまい、唯には悪いとは思いつつも、つい最近まで似たようなパンツを履いていたことにしておこう。
実際に唯がどんなパンツを履いているかなんて知らないし、唯だって見られたいとは思っていないだろうから見ることなんてないのだけれどね。
「へえ、今でもそんな感じのパンツって売ってるんだね」
「え、今でもってどういうこと?」
「どういう事って、妹の唯が去年くらいまでそんな感じのパンツを履いてたからさ。キャラクターの顔とかは覚えてないんで同じ物かはわからないけど、そんな感じのを履いてお風呂上りにウロウロしてたと思うよ」
「ねえ、それってさ、唯ちゃんがお風呂上りにパンツ一枚でウロウロしてたってこと?」
「いや、パンツ一枚ではなくて、上にシャツとか着てたと思うよ」
「着てたと思うって事は、裸ではなかったってことだよね?」
「そうだね。いくら何でも裸でウロウロしているのなんて幼稚園くらいまでじゃないかな」
「そっか、良かった。唯ちゃんとは言え、まー君に日常的に裸を見せていたらどうしようかなって思っちゃった。ちょっと勘違いしちゃったかもね」
「いくら家族とはいえ、唯だって羞恥心はあるだろうから裸でうろつくことなんてまずないよ。あったとしてもさ、僕も父さんも服を着ろって注意してると思うしね」
先ほどまで落ち込んでいただけのレベッカなのだけれど、唯の話をしたら少しだけ元気になったような気がする。昔から唯は人当りも良くて誰からも好かれるタイプだったりするのだけれど、本人がいないこの状況でも好かれるという奇跡みたいなことが起こってしまっているようだった。
実際に唯とレベッカが出会ったとして、この二人なら悪いようにはならないと感じている。むしろ、もう何年も付き合いのある親友と言った感じになりそうな予感すらしていた。
「ねえ、正樹の妹ってもしかしたら、私と仲良くなれるのかな?」
「多分仲良くなれると思うよ。見た感じだけど、趣味とかも合いそうだしレベッカと意外と相性良いのかもしれないな」
「そうだといいな。ねえ、いつか正樹とみさきの住んでいる街に遊びに行った時にさ、正樹の妹を紹介してもらってもいいかな?」
「もちろん。日程がわかってはやめに教えてくれれば妹にも予定をいれないようにって言っておくからさ。遊ぶって言ってもゲームしかやることないかもしれないけどね」
「全然ゲームでもいいの。何となくだけど、話を聞いていると仲良くなれそうな感じがしてくるから不思議ね。それと、二人には申し訳ないんだけどさ、今日の夜は一緒にご飯を食べてもらってもいいかな?」
「私は構わないけど、どうかしたの?」
「あのね、パパの仕事が長引いてしまっているみたいで、夜の十時を過ぎてしまうかもしれないんだって。ママもパパと一緒だから私は一人でご飯を食べることになるんだけどね、二人さえよければ一緒にご飯を食べてもらってもいいかな?」
「僕もみさきも大丈夫だよ。それにさ、僕らはもっとレベッカと仲良くなりたいなって思ってたからね」
「ありがとう。嬉しいよ」
「さあ、そろそろ晩御飯の時間になりそうだけどさ、みさきは明日の昼で帰るってことで良いのかな?」
「うーん、私はもう少しここに居たいなって思うよ。まー君は?」
「僕ももう少しここにいてもいいかなって思うな。もうちょっと探検したいところも見つかったしね。じゃあ、旅館の人にもう少し泊まってもいいか聞いてくるよ」
僕は旅館の人に宿泊の延長をお願いしてみることにした。
宿泊の延長自体は可能らしいのだけれど、今使わせてもらっている部屋は明日の夕方から予約が入っているらしく別の部屋に移動することになるらしい。それは最初に聞いていたので問題ないのだが、そうなると一度チェックアウトをしてから再度チェックインし直す形になるそうだ。その時に再び宿泊費を前払いしようと思ったのだが、二度目の宿泊という事で前払いでなくても良い事になった。ただ、僕たちは何となく前払いが良いと思っていたのでチェックインの度に料金を支払うという形で納得してもらう事にした。
今度の部屋は次の予約も入っていないので何泊でも泊まれるとのことだったのだが、みさきに指で泊数の確認をしてみると、二泊という答えが返ってきた。とりあえず、今回も二泊でお願いすることにした。
僕が二人のもとへ戻ると、レベッカも出会った時のように元気を取り戻していた。どうやら、僕たちが宿泊を延長したことで一緒に露天風呂に行けるということになったので嬉しかったようだ。
今のところ四泊という事で、四日間も温泉に入れることになった。まるで湯治に来ている来ているみたいだなと思っていたのだけれど、僕もみさきも特に悪い部分も無いので純粋な温泉旅行にはなっているのだった。
そろそろお腹も空いてきたという事で、今日は三人で食堂に向かうことになったのだけれど、食堂からはスパイスのとても良い香りが漂ってきていた。
僕もみさきも大好きなカレーの匂いだったのだが、今は何となくカレーの気分ではなかった。きっと、みさきもレベッカも僕たちに新しい浴衣を出してくれた旅館の人もそう思っていたに違いないのだが、今日はカレー曜日らしいので仕方のない事だった。
「毎週金曜恒例のカレー祭りだよ。今日は本格的なスパイスカレーにスープカレー。欧風カレーに日本式のカレーもあるよ。もちろん、今回も麺類を用意してあるから好きなだけ食べていってね。そばにうどんだけじゃなくラーメンや焼きそばも用意してあるからね」
カレー自体はとても美味しく何倍でも食べらそうだし、ナンも三枚くらい食べられそうなくらい美味しかった。ただ、さっきの何かを思い出してしまうと途端に食欲がわいてこなくなっていた。
それでも、僕はカレーが好きなので食べ続けていたし、みさきも気にせずに食べていたのだ。もちろん、レベッカも美味しそうにカレーを食べていたのだ。
きっと、レベッカは家族以外と久々に食事をしたのだろう。心の底から食事を楽しんでいるように見えていた。僕はそんなレベッカに対して水を差すような事なんて言わない。もし、そんな事を言ってしまったとしたら、僕自身にもそれは返ってくるような気が指定からだ。