若旦那:長田務
うっとりとするほど美しいみたらし団子。
至極の焦げに、この世のすべてを包むような黄色の生地、間からかくれんぼしきれていない粒あんが見えているどら焼き。
この時期にしか出さない、ギリギリ透き通らない、美しい外郎に小豆を乗せた水無月。
ショーケース、入り口左側の干菓子、右側の半生菓子と焼き菓子、店の細かい部分もチェックを終わらせ、暖簾を出すのは若旦那の僕の仕事。
「10時になりました。今日もよろしくお願いします。」
女将、こと僕の母親の号令で今日も店が開く。
今日は梅雨入りが発表され4日目。それなりに客足も遠のくがそれでもウチのお菓子を買い求めてくださるお客様はいてくれる。
昼下がり、戸が開く音がなり、しゃがみこんでうっとりと和菓子を眺めていた僕はいそいで立ち上がった。
「いらっしゃいませ。」
「水無月、4つほどいただけますか」
「かしこまりました。」
水色の着物に少し薄い緑の帯を付けた、30代くらいのお客さんだろうか。紺色の和傘を持つ姿が、しゃんとしている。美しい。
僕はその美しい姿に応えようと、一つ一つの所作に凛とした態度で挑む。
お盆をとる。しゃがむ。ショーケースの戸を開ける。慎重に水無月を盆に移す。戸を閉める。立ち上がる。
「水無月4点でお間違いないでしょうか?」
「はい、けっこうです。」
「ありがとうございます。四点で1000円になります。」
白い箱にそっと水無月を移す。消費期限の書いたラベルを貼る。ふりかえり、レジの下にある紙袋を取り出す。向きを変えないように紙袋の中に箱を入れる。そして、お客様と再び向き合う。
「お会計、ちょうどいただきます。こちら、商品になります。」
「ありがとう。美味しければ夏越の大祓のときにも頼みますね。」
「お待ちいたしております。ありがとうございました。」
そして彼女は去った。彼女は一見さんだったが、七十二節季を大切にする人のようだ。確かにここは京都ではないが、和菓子職人として少し嬉しくなるものだ。
夕方、降り続く雨に親近感まで覚えるころ。見習いの薫が、今シーズンのかき氷の試食をしてほしいと頼んできた。薫の実家は山梨の山奥にひっそりと、しかし根強い人気を誇り全国にそのファンがいる「かきごをり千原」というかき氷専門店で、その後継ぎとして和菓子の基礎を学ぶため、「長田屋」に修行に来ている。
「旦那様の前に、よければ若旦那にお味を確かめていただきたくてですね。。。」
私の父、8代目にあたる、長田仁と、薫のお父さんである千原幸さんは大学の同期でともに古典を学んだ。お互いに興味も同じ、実家の後継ぎという境遇も同じで、非常に馬が合ったようだ。
「親父は今病院か。。。そりゃ僕が味見した方がよさそうだね。どんなものを作ったの?」
「はい。定番のみぞれ、小豆、宇治、宇治金時の四つに、今年は夏ミカンヨーグルトを用意してみました。」
あああ。うまそうだ。近所の氷屋さんから仕入れたこのあたりのきれいな湧き水の氷。これを手で回す昔ながらのかき氷機が絹のごとく削っていく。
その上にかかるのは、かきごをり千原に負けず劣らずの長田屋伝統の氷蜜。
そして和菓子屋の看板、噛めば一粒一粒があざとく、丁寧に煮られた柔らかさと優しい甘さで口の中を懐柔してしまう小豆。
深い味わいで、正直蜜にするのがもったいない、そのまま点てて飲みたい宇治抹茶の抹茶蜜。ここに、あの小豆が加わってくる宇治金時。
そして、実家のプライドをかけて薫が作った夏ミカンヨーグルトのソース。
僕は、なにか語っている薫を他所に、すこし長い店舗と台所を結ぶ廊下をかき氷で頭をいっぱいにして歩いた。
「こちら、今年の五品になります。」
五品の中で、ひときわ光っているのは恐らく、夏ミカンヨーグルトだろう。
「真ん中が、考案した夏ミカンヨーグルトになります。近所の大原農園さんに非常においしい夏ミカンをおすすめされましたので使ってみました。」
おそらく、夏ミカンソースとヨーグルトソースを重ねてかけているのだろう。そのグラデーションも美しい。
僕は、弟弟子の自慢の息子を紹介するような説明を待ちきれずスプーンを握った。そして、斜面のソースが二種しっかりと混じっている部分に狙いを定め、スプーンですくった。口に運んだ。
「夏ミカンの酸味、甘み。ヨーグルトのコク。すべてが計算されている。。。ほのかに香る白ワインもいい。みんなが好きになってくれそうな味だ…」
「ありがとうございます!ほかの四種類もいかがですか?」
「若旦那と薫くん、なぜ、この私に試食させてくれないんでしょうか?」
現れたのはうちで正社員としてお菓子作り以外のすべてを担当してくれている三島遥。彼女は、ひょっとすると僕以上に和菓子が好きかもしれない。彼女はずかずかと台所に入りこみ、台の上にあるかき氷一直線に歩いてくる。
「だいたいですね!こんなにおいしいものは独占されるべきではなく、みんなで美味しく食べた方がみんな幸せなんですよ!!!」
と語りながら彼女もスプーンを握り、夏ミカンがソースに絡んで乗っかっている頂上部分を狙いを定め、スプーンですくった。口に運んだ。
「この甘酸っぱさはいいです。いい!ヨーグルトのまろやかさも相まっていくらでも食べられる。しかもオシャレ。JKも食いつきますね」
「遥ちゃんも僕も同意見だ。長田屋夏の最高傑作。いわゆるハイカラ好きの親父も太鼓判を押すだろう。薫、ほんとにおいしかった。ご馳走様。」
「ありがとうございます!」
しあわせを彩る二種類のソース、いや蜜、とした方がおいしそうだ。あたらしいかき氷のポスターに乗せるフレーズを考えるのもまた、非常に楽しいものだ。
僕は一応「和菓子職人」なので、普段は接客はせず厨房にこもってお菓子を作っている。しかし、定期的に店頭に立ち続けるのは父に影響されている。
父は、お客さんがとんでもない顔して、お菓子を選んでいるときの幸せそうな顔が本当に好きだという。和菓子職人としてお客様の反応をみるのは本当に幸せだし、お菓子作りにも活きてくる。
一日の仕事を終え、最後に暖簾を店内に入れ、二階の自宅に上がる。
手を洗い、自分の部屋に入って白衣とカッターシャツを脱ぐ。うちは一丁前にクールビズと称し、夏場はネクタイをしない。ちなみに、「商品保護」という名目でクーラーはガンガンにかける。
あくまでも「商品保護」という名目だ。
一説によると磯野家と同じ六畳の茶の間に入ると、父がスマホを老眼鏡をつけながら弄り、母がビールを飲んでいる。
「務、梨香子ちゃんががんもとか野菜炊いてくれたから温めて食べなさい。ちなみに、ビールにあうわよ」
父、そして私ともに、お菓子作りしかできない長田屋がきちんと回っているのは、母律子のおかげであることは間違いない。各種組合や対外関係はもちろん、お得意様の対応も含めてお菓子づくりは何でもする、まさにスーパー女将。店の中のすべてのことを司り、その権力は若旦那である僕はおろか父すら足許に及ばない。
我々職人達は日々、母から
「お前らは和菓子をつくることしかできんのか!掃除くらいまともにしろ!クビだ!」
と言われ続けている。これは、いわゆるパワハラで間違いないが、事実なので言い返しようがない。
「務、薫がつくったかき氷はどうだった?」
「夏ミカンヨーグルト味だったかな。すごく良かったと思う。明日食べてあげてほしい。」
「名前がうまそう。お前がOKならいいんじゃないか?明日が楽しみだ。」
どれだけ奥さんにボロクソにいわれても、お菓子作りだけはできる父は、こよなく和菓子を愛し、そしてなによりも妻が好きな男だ。和菓子作りに関しては天才的だし、58歳になった今でも近所のJKに人気のかわいい、そしてうるさいおじちゃんである。
「チョコレートはこんなにきれいなものもあるんやなぁ」
「ディズニーランド、いってみたいなぁ。チュロスうちで売るかぁ」
ネットで可愛いアイドルを見つけると
「あ、この子可愛いな。でもりっちゃんのほうが可愛いな。」
と、無限に回収不能な独り言を発信し続ける天才的独言師でもある。
そんな二人は、父が大学の卒業旅行で母の実家の牛タン屋さんで出会ったという。 がっつりひとめぼれである。そこから手紙とともに和菓子を送り続け、無事結婚した。母方の祖父は当初、父を拒絶していたようだが、父が送ったずんだ餅がおいしすぎて、折れたようだ。
そんな母と父の間にできた子供だったからだろうか。ずんだ餅ばかり食べて育った。しかも二種類である。
母の作るずんだもちは、いつも出来立てで、温かいものを食べていた。ゆでた餅に、まだ温かい枝豆を砂糖で味付けしただけの餡をかけている、仙台ならばどこでも食べられそうなずんだ餅だ。
とうぜん、枝豆はいつもと違ったポジションにいる。しかし私にとってずんだ餡の枝豆の方がしっくり来てしまうほどに違和感がない。まさに、家庭的な味だ。子供の時から思っていたが、日本中の枝豆をずんだ餅にだけに使用するほうが日本中の幸福度は絶対向上するはずだ。お酒のお供なんかにはもったいない。「全枝豆ずんだ餡化法案」をマニフェストにしてくれる政治家はいないだろうか。
父の作るずんだ餅は、お店でつかう白玉団子に冷やしたずんだ餡をかけたものだ。こうすると、案外枝豆が存在感を発揮する。その枝豆とやさしく親和する父のつくる柔らかい白玉。口の中で白玉とずんだ餡、ふたつが混じるのを楽しむのが大好きだった。
また父は、ずんだ餡に焼酎を少し加えていた。子供ながらに少し大人になった気分も味わえるのも嬉しかった。お酒のつまみとして枝豆が成立するので必然的な組み合わせだが、父らしい、すこし凝った発想だろう。
そんな、懐かしい味について考えながら、ダイニングのドアを開ける。
ダイニングには、私の妻、梨香子が美しいマグカップとともに、何かをノートに書きつけていた。
「あら、おかえりなさい。」
「ただいま」
ノートなど、紙の隣に飲み物や食べ物があると、こぼしたときに悲惨なことになりそうで心配になりそうだが、それは筋金入りのドジである僕の時だけでいいはずだ。いいはずだった。
「あっ!」
疲れているのだろうか、彼女はマグカップを倒し、黄金色の液体がこぼれた。ふんわりと生姜が香り、重すぎない甘い誘惑が私を襲う。
そういえば、私と彼女の架け橋となったのはひやしあめだった。
『ひやしあめ始めました』
僕は大学進学のため、一時的に大阪にいたことがある。商店街の裏路地に面するブルーハワイ色の塗装だけは本当に美しい、そんなアパートに住んでいた。大阪時代は、家以外では息を殺して、そして家で息を吹き返すような生活をしていた。
いや、家と彼女のはたらく店の前で息を吹き返していた。
彼女はお好み焼き屋さんで働いていた。商店街にあるお店だったので、持ち帰りメインのお店だった。ただの腐った根暗だったぼくは、大学でだれも友達をつくらない、いや作れないという奇跡を起こしていたので、だれともしゃべらない毎日だった。そんな日々が続き、熱い夏が来た。おそらく同級生といいたくないような人種がたくさん遊んでいたであろう夏に、大阪で引っ越してから初めて声をかけてくれたのが彼女だった。
「おにいさん!夜ご飯にイカ玉いかがですか?」
僕はこの時、生身の人間からひさびさに声をかけられたことに気が付かなかった。3、4か月ほど、会話はときたま電話をかけてくる両親とコンビニ店員だけとしかしてこなかった自分に話しかけられているなど思うわけがない。僕は、何事もなかったかのように歩いていた方向を見据え、彼女と彼女の前にある鉄板を通りすごした。
「おにーさん!ひやしあめもあるよ!!!」
このとき、僕は彼女の斜め前にあったひやしあめの前で足が止まった。90度ちょうどに回れ右をして、彼女ではなく、ひやしあめとガラスの中でひやしあめをかき混ぜ続ける機械とその機会を置いているステンレス台と対峙した。そして、それに見とれた。美しい黄金色、無機質に回る機械、もっと無機質なステンレス台。三者の不思議なバランスは大阪のどんなビルよりも、おばちゃんが持っているといわれるあめちゃんよりも、大阪で見たもので一番魅力的だった。
ここでやっと、彼女が僕に話しかけてくれている事実を正しく認識した。
「おにいさん、甘党?ひやしあめ一杯どうですか?」
「おねがいします。」
「はい、ありがとうございます。一杯80円になりますね。」
久しぶりの会話にしてはまともだな、と思ったがコンビニ店員と話している内容はほぼ変わらない。ひやしあめに惹かれたのも、ポイントカードを店員にせびられるのと同じだなと感じた。
そんなことを考えていると、彼女は半透明のすこし小さめのプラコップをステンレス台からかがんで取り出した。そしてコップをレバーに押し付け黄金色の液体が注がれる。おそらく、実測値ならば注がれる時間はものの数秒だった。
しかし、一番最初に液体がプラコップに触れる音から始まり、わずかな瞬間だが、底一面に液体が広まるまでの、波のような音。液体が液体に落ち、徐々にたまっていく音。おそらくある程度たまったのであろう、音がデクレシェンドされていったのはすこしずつ注ぐ勢いが収まってくることを想起させた。そして最後の一滴がポチャリと落ちる音は耳ではなく目で見届けた。
「ひやしあめです!いっぱいにいっぱい入れましたよ。」
「ど、どうも。。。」
いや、しょうもなさすぎる。そんなギャグ、ひやしあめが凍ってしまうほど寒い。
そんなことを思っていたのもつかの間、生姜の香りが僕の鼻腔に侵入してきた。ふんわりと、しかしそれでいながら存在感のあるその香りは夏バテで休んでしまっている食欲のスイッチを確実に押し入れた。
僕のまわりを次に覆うのは、まさに優しい、砂糖の甘さだった。口にしたわけではない。体で感じた甘さだった。本当に優しかった。
当然、持っているだけで美味しかったひやしあめを飲まないわけにはいかない。
僕は同級生やコンビニ店位にすらしてこなかった会釈を彼女にした。右手でコップを傾けた。口にひやしあめを注いだ。とても甘かった。口の中をすこしの粘性でゆっくりと侵していく液体はねっとりと僕の舌に甘さを植え付けた。しかし、飲み込めばのど越しがいいのである。だから少々くどくても、さっぱりといただける。つぎつぎと呑める。
しかし、その次はなかった。絶対量が少ないことを考慮していなかった。はたまた、和菓子屋の後継ぎとして両親に唯一強制されていた、茶席でのしたきりが染みついていたか。どちらかはわからないが、三口で終わってしまった。
「美味しかったです。」
「ありがとうございます!コップ捨てときますね。」
彼女に渡したコップは半透明から黄金色をまだ帯びていた。
「一番最初に出会った時のこと思い出してたでしょ。」
僕が昔のことを思い出している間に、こぼれたひやしあめの処理は終わっていたようだ。
「いっつも仕事熱心な務君が、なんにもせずに突っ立ってるなんてそれくらいしか考えられないよ。ほんと、笑っちゃうわ。」
この通り、僕のことは何でも妻にお見通しなのだ。
「いつも、イカ玉しかたべなかったよね」
彼女の言う通り、僕は彼女が働いていた店で、彼女の焼いたイカ玉しか食べなかった。彼女が一番最初に勧めてきたのがイカ玉でそれがおいしかったからという安直な理由だったが、本当においしかった。それから僕はそのイカ玉を食べにその店に通った。そのたびに彼女とも話した。
ひやしあめがちょうど店頭から消えたころ。授業が休講になりすこし早めに家に帰るとアパートの階段に彼女が座っていた。そして、なんと彼女から、交際を申し込まれた。私はその場でぶっ倒れた。
「急に、いろいろ、ご、ごめんなさい。」
「いや、、、こちらこそご迷惑を…でも、なんで、ですか?」
至極真っ当な質問だと言える。なんて言ったって腐れド根暗だ。彼女はとても美しい人だったからこそ、自分と釣り合うなんて思ったこともないし、まさか妄想もしたことはなかった。
「いや…ひやしあめ飲んでるところがかっこよくて…ひとめぼれです。」
刹那、親父を感じたことを一生恥じているが、僕は再び卒倒した。
そして彼女と付き合うことになった。この時分かったことだが、大学が同じだったようで、やはりモテていた彼女が僕みたいなド根暗と付き合ったことが知れ渡ったときには少々厄介だった。
いや、正直に言おう。うれしかった。
彼女も進学のため大阪に来ていた。しかし、僕より2つ上の彼女は、僕が出会ったころには就活で忙しかったようだ。なかなか会えない日々も続いた。お好み焼き屋さんの店主にも
「就活やから、しゃあない。男は待つことも重要やで。ほい、イカ玉おまたせ。」
と言われたほどには、会いたくてうずうずしていた。
二か月ぶりに彼女と会ったのは、クリスマスの4日後のことで、彼女は就職が決まっていた。お店の人たちとめいいっぱい、お祝いした。その時に、僕は決心した。彼女とこれ以上はなれるのはつらいことだと。彼女が二か月ぶりに焼いたイカ玉を食べて、特別に出してくれたひやしあめを飲んで、お勘定を払った後、レジを挟んで彼女と向き合った。最初の子音「K」を言うのにてこずってしまい、しばらく沈黙が流れたが、僕はこのように言った。
「結婚してください。もうあなたのイカ玉を食べられない期間が続くのは嫌です。」
今度は彼女が倒れた。
この後、なんと僕たちは本当に入籍した。新婚旅行と結婚式は梨香子の希望で行わなかったが、彼女と同棲を、いや、新婚生活を始めた時は夢のようだった。そしてなんと彼女は就職を蹴り、院に進み、僕と同じタイミングで大阪を去り、この長田屋に若女将としてやってきた。
はじめて梨香子が両親にイカ玉を振舞ったときのことだ。
「梨香子ちゃん、このイカ玉本当においしいよ。」
「ありがとうございます。」
「いやあ、にしても、務が俺みたいにひとめぼれして奥さん連れてくるのかな、と思っていたらつとむがひとめぼれされたのは、なんだか悔しいな。」
母は爆笑し、僕と梨香子は顔を赤らめうつむき、父は母にウケたのがうれしかったのだろう、ニヤついていた。
「ひさびさにイカ玉焼くか!」
「食べたいです。おねがいします。」




