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教室は、喧騒に包まれている。
新入生同士ということで、自己紹介から派生した初々しい会話が、あちらこちらで聞こえ、その中のある女子生徒が隣の女子生徒に話しかけた。
「どう?ミスティ。少しは良さげな人材はいるかしら?」
「…まだ…わから…ない…凄い力…感じる…人はいる…けど…アリスちゃんは?…」
「そうね、流石に現時点で真術を使えるのは貴族か私たちのような境遇だろうしねー。まぁチラホラ使えそうな奴もいそうだけど」
話しかけたアリスという女生徒は、そう言ってから、近くに座った生徒に近づき、自己紹介を始める。彼女は比較的社交性が高い様だ。
その反対で、ミスティと呼ばれた女生徒は、人見知りのオーラをビンビンに発していた。
彼女の容姿は飛びぬけていたので、話しかけたいと思う男子生徒は沢山いたのだが、初日という事もあり、中々実行に移せずモヤモヤしている。
そのような時間が過ぎ、予鈴と思われる鈴の音が響く。
先ほどの喧騒が嘘のように静かになる。
予鈴もなり、いつ誰が来るかわからない状況で、騒ぐほど愚かな生徒はいなかったという事だろう。
どのような人物が、自分たちの教師として来るのか、それは自身の将来を左右するかもしれないほど、とてつもなく重要なことだと彼らは思い込んでいる。
光導真術学院の教師という時点で、実力的には申し分ない。しかし、同郷の光導真術学院卒業生の話や風聞などで、大半の生徒が耳年増の状況になってしまっているという事は否めない。
カツ、カツと、足音が近づく……だが、その足音は自分達の教室を通り過ぎていく。
誰かが「ふぅ」と息を吐く、生徒たちの緊張がますます高まる。
そしてまた足音……通り過ぎる、それが二回ほど繰り返された後、一つの足音が教室の前方にある扉の前で止まった。
遂に、自分たちの教師が、扉を挟んだ向こう側に来たのだという実感。
期待と不安がない混じり、緊張感は最高潮に達する。
《》《》《》
光導真術学院・初等部三組というプレートの前に立ち止まったロニーは、こそっと教室の中を覗いてみた。
整然と並べられた机には、既に生徒達が着席している。
そして、どの顔も一様に緊張で、張り詰めている様であった。
期待や不安、それぞれにそれぞれの思惑。
自信なのか過信なのかは、いずれ否応なしに自らに突きつけられるだろう。
周囲の人々には、この学院の生徒として選ばれた瞬間から、特別な人間と持て囃され、一握りの才能の持ち主という事を否応なく自覚させられている。
なぜなら両親・兄弟・親族・隣人そのほかの己に関わる人、関わりたいと目論む人々によって、居るだけで神か仏か、そのような扱い方をされるのが定石であった。
もちろん例外というものもある。
選ばれたことによる疎外。
大きすぎる力かも知れないと感じた時に、人は恐ろしい過ちを生みだしてしまったりもした。
だが、人は望む。
可能性というあやふやなものに……
「(すげぇ緊張感なんですけど……帰りたいぜー)」
教室の中の空気感はまさに異様の一言。
ロニーは覚悟を決めた。そして、一歩、教室に踏み入れると、一斉に値踏みするかのような視線が襲い掛かかる。
自身が少しお調子者な性格ならば、この状況、この視線を、快感と捉える事も出来たのかもしれないが、生憎とロニーはそのような性格ではない。
教室の、前方中央にある教壇にたどり着くまでのほんの数秒、しかし、そのわずかな時間で異変が起こる。
あれほど静かであった空気にヒビが入る、ザワザワと小さな喧騒の声が、そこかしこで上がり始めたのだ。
「おい、あいつって」
「え、まさか」
「似た人でしょ?」
「マジか」
「えー、あの噂の人」
「てか死んだんじゃなったの?」
「それはないだろう」
「え?だれだれ」
「うっそ」
「サイアク」
「え?だから誰なの」
「あいつがなんでこんな所に居るんだよ」
「ふざけんなよ」
「……」
生徒たちの騒めきは小声ではあるが、確実にロニーに届いてはいる。
事情が分からない生徒も中には居るようだが、大半の生徒たちは、明らかに好意的ではない。
それは、ロニーにとっては予想通りの反応でもあった。
教壇に辿り着くと、教室全体を見回し、自らの仕事を全うすべく口を開ける。
「新入生の皆さん、おはようございます。このクラスの【臨時】講師を務めさせて頂きますロニー・ポルトグレイロと申します。短い間ですが、よろしくお願いします」
極めて形式的で定型文を用いたシンプルな自己紹介ののち会釈。
だが、名前を聞いた事で半信半疑であった生徒の中の一部は、自らが思っていた最悪の現実に落とされていた。
今後の希望を抱いていた彼【彼女】らが最悪の現実を目の前にして黙って受け入れるという判断を出来るわけがない。
「すいません、いいでしょうか?」
騒めきの中、一人の生徒が皆を代弁するように挙手。
「ん?あ、どうぞ」
ロニーにとって、その質問の内容も、あらかた予想はついているが、まずはその問題をどうにかしなければ、先に進むことは出来ないという事を、この三年間で痛いほど味わってきている。
この後、彼がどう返答したとしても、スムーズに話が進むことは決してないという事も。
「先ほど、先生はロニー・ポルトグレイロと名乗ったように聞こえたのですが。【あの】ロニー・ポルトグレイロという事ですか?同出同名ということであれば、僕の勘違いという事で謝罪をさせていただきます」
その生徒は、きっと良いとこの出なのであろう。肩まである金色の髪は、男性としては整い過ぎている気さえする。
また、身なりや気品、所作の一つ一つにも嫌味を感じない。
生徒達を代弁した質問も、まるで、それが自分の使命かの如く、自然な流れの中での発言だ。
予想通りの質問に、ロニーは軽く吹き出しそうになったが、そんなことをすれば、火に油を注ぐのだと分かりきっているので、何とか我慢する。
「多分だけど、君や君たちが思い浮かべている人物と、俺は同一人物で間違いはないよ」
教室中が騒めく。
事情を理解した生徒たちが一斉に声を上げた。
「ふざけんなよ、なんで裏切りものに教わらなくちゃならないんだよ!」
「先生の変更を要求します!」
「お呼びじゃないんだよ、お前に教わることなんて何にもねえぜ!」
「いや、逃げ足は教われるんじゃないか(笑)」
「だから、誰?」
「よくこの学院に足を踏み入れることが出来たな?厚かましい」
「嫌っ、私の人生が……」
「かーえれっ、かーえれっ!」
「除名されたうえに、まだ光導真術にしがみ付こうとでもいうんですか、カッコ悪すぎ―」
「俺の人生の邪魔なんだよ、あんたは」
「お腹すいたー、あと死ね!」
罵詈雑言のオンパレードで収集が付かない、ロニーはやり方を変えた。
【パンっ!】――突如、教室に爆音が轟いた。
あまりの出来事に、其れまでの騒ぎが嘘のように、一瞬で静寂を取り戻した。
ロニーが、両手と叩き音を鳴らしたのであった……勿論、爆音の正体はそれだけではないのだが。
「あー、少し静かにしてくれないかな?」
静寂をロニー自らが打ち破った。
「出来るわけないでしょう!」
熱量が高くなってしまった生徒たちが、そんな言葉でいきなり冷静になれる、なんていうことはない。
一人の生徒の言葉から、また騒ぎが大きく繰り返しになろうかという時、それを制するロニーの言葉が続く。
「さっきは少し説明不足だったよ」
「何がよ!」
「まぁまぁ、落ち着いて聞いて……別に俺は君らの担任というわけではないので安心してもらって結構。もしかしたら、知っている人も居るかもしれないけど、一桁騎士団の遠征準備で現在この学院から教師の大半が駆り出されている。そこで手の空いている俺に白羽の矢が立ったという事。これから一週間の辛抱、嫌なら休んで貰って結構。俺もね、やらなきゃ罰則がある都合上、君らの事情などは知ったこっちゃありません。以上これは王宮のくだした決定事項です」
ロニーは、やれやれと肩をすくめて周りを見渡す。
誰一人として、納得している者はいないが、王宮という言葉が出てきた以上、反論もできない。
時に、正論は何よりも理解しがたく傲慢なのは、世の常であり、特に若い彼らにとっては、そう思うことだろう。
「そんなの横暴です、犯罪者に教わるなんてありえませんわ。サラーヴァント家の名にかけてあなたを罷免してみせますわ」
ロニーの大義名分にも、負けじとばかりに、一人の女生徒が声を上げた。
「おう、いいね。だったらバスカマル家として、あんたを変えるよう訴えかけてやるぜ。いや、あんたの態度次第では、この都に居られなくしてやってもいいんだぜ」
女生徒に続き、一人の男子生徒も、そううそぶる。
二人は元々知り合いなのか、目線で合図を交わし、含み笑いを浮かべた。
二家とも有力な貴族の部類に入るであろうことは、教室の大半が理解していた。
その看板を掲げた二人は、ロニーの次の言葉を待つ――勿論、敗北者としての惨めな言葉を。
「はぁ……」
ロニーはため息を一つ、肩をガクッと落とした。
「あのねぇ、ここが光導術学院だってわかってる?そんな貴族の権力なんて通じないに決まってんじゃない。あの婆ぁ……いや、学院長に圧力をかけられる貴族様なんて、この都には居ねーよ……別にいいよ【おとうさーんでもパパ―でも】泣きつきなよ。でもね、これは忠告。後悔しても俺に当たらないでね。どうなってもしらねぇよ俺は」
思っている反応とは全く違う返答に困惑する二人。
「あと、俺は犯罪者ではねーからな」
そのつもりはなかったが、明らかに二人をからかったようにも見えてしまう態度と口調。そして、威を借りられなかった滑稽さに幾人かの生徒は笑い声を殺そうとしたが、失敗してクスクスと、声が漏れてしまっていた。
自分が馬鹿にされたり揶揄されたりとは、無縁の生活を送っていた二人は、みるみる顔が真っ赤に染め上がり、怒りでワナワナと小刻みに震えだした。
「サラーヴァント家をあなた程度の男が馬鹿にするというのですか!」
「ふざけるな!バスカマル家の一員として、先ほどの言葉は許せない、撤回しろ!」
死んだ魚の目状態でロニーの思考が停止しかける。
「んーとね、別にサラ―なんとか家と、バなんとか家を馬鹿になんてしてないよ。大層ご立派な、貴族様?じゃないの、知らんけど。ただ、君たち二人の無知を講師として指導してあげただけですよ」
「「ふざけ(るな)(ないでよ)!」」
両者は同時に立ち上がり、教室は一触即発の空気。
ピリついた教室に只一人、やる気のなさそうな態度を改めないロニー。
「まぁまぁ、落ち着きなよ。何度も言うけど馬鹿になんてしてないからさ、本当の事を言っただけだよ」
わざとなのか天然なのか発する言葉に軽い毒。
「あなたには、その発言が家名を馬鹿にしていると分からないようね」
「貴族である僕らの家名を貶すことは許されない、これは重罪だぞ。一桁騎士団時代の貴様なら許されたかもしれないが、現在の貴様は一般人以下の身分ということも分からないのか?」
このまま言い合いをしても仕方がない。あまり気は進まなかったが、簡単に解決できる手段をとる。
ロニーがある生徒を指さす……その生徒とは一番初めに質問を投げかけ、この流れを作っった人物。長い金色の髪をなびかせた優男であった。
優男に目線を合わし、始めた責任をとれと目線で合図を送る、優男はやれやれと肩を竦めて見せる。
「そんなに言うなら、証明してやるよ」
盾突いていた二人は、出来るものならやってみなさいとばかりに、自信満々な態度でふんぞり返っている。
「おい、そこの金髪ロン毛優男、君はどう思う?」
意外な展開に呆気にとられている生徒達。
優男は金色の長い髪を一掻き。
「まぁ、先生の言う通りでしょうね。マラナカンの学院長が貴族の指示に従うとは思えません」
生徒達は、ロニーが何故、彼に話を振ったのか理解できていない。しかしロニーは構わずに話を進めていく。
「だってさ、わかったかい?」
怪訝そうな顔をする両貴族の子息。意味が分からないとばかりにお互いの顔を見合わせた。
「えーっと、あなたは一生徒の意見で私たちが納得するとでもおっしゃるのでしょうか?彼には悪いのですが、家名というものの重みを知っていらっしゃらないのでは?」
「はっはっはっ、笑えるねぇ。冗談も程々にしとけよ」
当然と言えば当然の反応であろう、【知らない】のだから。
ロニーは今一度、優男を見やる。
金髪の優男は、いいですよという仕草をロニーに送った。
「家名の重みねぇ。個人的には何とも思わないけど……そこの金髪ロン毛君は、重々理解していると思うよ。だって彼はシェフィールド家の関係者だろ?」
「「なっ」」
両貴族の言葉ならぬ声。
二人は勿論の事、教室中の視線が、一斉に金髪の優男を向いた。
ややあって、優男が面倒くさそうに喋り始めた。
「【元】ではありますが流石一桁騎士団、伊達ではありませんねぇ。そうですよ、私の名はクラウディオ・シェフィールドと申します。皆さんお見知りおきを。個人的には、あまり家名がどうとか……どうでもいいので気軽に声を掛けていただけると助かります。ひとり寂しく学生生活を過ごす気はありませんので」
静まり返る教室に響く独白。
「付け加えておくならば、私自身は先生の事どうとも思っていませんので、誤解なされないようお願いします。皆さんが真実を聞きたかったようでしたのでお聞きしたまで……ですから」
「ぬかせ……」というロニーの呟きは誰の耳にも届かなかった。
教室中から向けられた視線に、一切の躊躇も戸惑いもなく、さも当然とばかりの対応。
我に返った教室の空気が、先ほどのロニー登場時とは又違った意味で、教室を騒めかす。
無理もない事であった、シェフィールド家というのは貴族の中でも特別な家名なのだ。
この国では、英雄と称えられるパッロ、そして当時その右腕的役割を果たしたシェフィールドが起こしたとされている。
はるか昔の出来事ではあるのだが、皆そういう教育を受け育ってきている。
だが……現在も君臨する王家としてのパッロ家とは違いシェフィールド家という名は一般の生徒からしてみると教科書の中だけのもの、なんなら創作上の家名との認識すらある。
何故なら、シェフィールド家はそれ以降の歴史の表舞台には出て来ていないのだ現実感は皆無と言っても過言ではない。
ロニーに関して言うならば、一桁騎士団所属時に接点があったという事もあるので、最初の挙手の段階で、彼が何者かという目星は付いていたのだが。
「そりゃわかるよ、シェフィールドの家紋が入ったリングを嵌めてんだから」
その言葉に、クラウディオは自らの手を見つめ呟く。
「いくら【元】一桁騎士団所属といっても、このリングで分かるとか、そんな有名という筈はないんですけどねぇ……あー、確か先生は女王陛下とお友達でしたね。なるほどねぇ」
ニヤニヤと笑うクラウディオに、ロニーはぶっきらぼうに返す。
「……たまたま同じ学年だっただけさ」
「そういうことにしておきますよ」
他の生徒達は、半ば強引に彼らのやり取りを聞かされていたのだが、しびれを切らせたバスカマル家の坊ちゃんの口が開いた。
「おい!二人でごちゃごちゃと煩いんだよ!シェフィールド?そんなおとぎ話のような名前に意味なんてないんだよ!」
蚊帳の外にされた、バスカマル家を名乗る生徒がムキになり会話に割って入る。
「そう言われてしまうと、こちらは何も言い返すことができないですね。私としては特段、信じてもらえなくてもいいのですけども……」
シェフィールド家というものは代々、その地位に無頓着と言わざるを得ないものが多い。
そして表に出ない弊害として、自称と言われてしまえば証明をする手立てが、しち面倒くさい。
国王にでも問い質す事が出来れば簡単な事だが、そこに行くまでの過程をこなせるものは限りなく少なく、かつ、そこまで行ける者であれば初めから真偽の程は分かるだろう。
シェフィールド家という事が真実ならば、ドルマンナの発言自体が家名を侮辱するものであるのだが、特に家名というものに意味を求めない質であるクラウディオが、その発言を気にした様子は一切ない。
彼の【別に偽物と思っても構いませんよ】というスタンスに困った男が一人。
「おいおい、そこは突っ張ろうぜ金髪ロン毛君。これ以上、面倒は勘弁してくれよ」
ここでクラウディオの介入を逃してしまうと、また一から面倒くさい事になるので、ロニーはしかめっ面でクラウディオを睨む。
「ハハハ、ほらみろ。ありもしない名前を出せば、俺らを騙せると思ったのか?それにシェフィールドなんて古いだけの名前さ。もし、こいつが本当にシェフィールド家だとしても現在の貴族院に所属していないシェフィールド家なんてクソも同然だろ」
「ちょっ……言い過ぎよ」
シェフィールドという名前が出た時から、沈黙を貫いていたサラーヴァント家を名乗る女生徒が、あわててドルマンナをたしなめる。
実はその女生徒を含め、他の生徒達はクラウディオの纏う優雅で荘厳な雰囲気に、彼の家名がなんにせよ貴族であるという事を疑ってはいない。
裏を返せばシェフィールド家であるという主張には半信半疑でもあるのだが。
もし、本当に彼がシェフィールド家の一員であるならばドルマンナのいう、現在の貴族院なんたらかんたらという事は全く意味がない程に高貴な家名と言っても過剰ではないだろう。
「ギャーギャーと、さっきからうるさい!」




