1 〜プロローグ 〜
【宵の口】とも言われる時間にも関わらず、この場末の酒場は繁盛していた。
お世辞にも綺麗とはいえない外観、薄汚れた看板と暖簾には、流麗な文字で【酒家・剛腕】と名を刻む。
薄汚れた暖簾をくぐりわけ、一人の男が店内を見回す。
男が目を付けたのは一番端のテーブル、ゆっくりと歩を進め、目的の席につくと腰をおろす。
「悪い、遅くなっちまった」
開口一番向かいに座る男に謝る。
謝罪の言葉を口にした男の名はロニーと言う。
彼の頼りのなさそうな風貌は、良く言えば『すらり』とした体躯。
だが、彼の一番の特徴的な部分は天然で癖の強すぎる髪質、そう天然パーマである。
ロニーの反対側に座る男の名はアンドレア、長く伸ばした黒髪を頭の後ろで結う優男。
その美しく整った顔立ちには、すれ違う篭絡男女が振り向き足を止めた。
アンドレアの前にはロニーを待つ間に、嗜んでいたであろう空になった麦酒のジョッキが置かれていた。
ちらっとテーブルを見やった後に、ロニーは片手を挙げ、少し離れた場所のウエイターに注文。
「ピース、同じの二つ」
ごった返す酒場の喧騒の中、忙しそうに動き回っているウエイターのピースは「ハイよ」と気軽に答え、その後も各テーブルから似たような注文を次々と受けていく。
一息ついたタイミングを見計らい、アンドレアの口が開く。
「相変わらず忙しいのか?」
「まぁな……変わらずだ」
アンドレアは、優し気な瞳で軽く微笑む。
ロニーはテーブルに残ったフライドポテトを一つ口に入れて咀嚼し、その後ゆっくりと喋りだす。
「……やっと今回で奉仕活動から解放されるよ」
その言葉にアンドレアは、感慨深そうな表情を浮かべる。
「あれから……もう三年か、長いような短いような」
先ほどまでとは少し違う空気が二人を包みこんだ。
出来るのであれば……触れられたくないもの、触れたくないもの、共にいっそあやふやにしておけるならばとは思う。
だか、そこまで互いに幼くはないのだ。
「今回は何を?」
アンドレアの問いに、ロニーは少し間を置く。
言い出しにくそうなロニーの態度に、アンドレアの興味がます。
「……マラナカン(光導真術学院)の講師」
途端、アンドレアは堪えらず吹き出した。
「笑い事じゃねえよ……」
勘弁してくれ、という表情を浮かべたロニーはそう呟くのが精一杯。
「悪い悪い……そうか、でもなぁ、お前が講師……」
幾分落ち着いたが、未だアンドレアの口角は上がりっぱなしでだ。
「……マジでイヤなんだよ!つーか俺はもう光導真術とは縁が切れてるんだぜ、なんなんだよ今更」
瞬間、アンドレアは真剣な表情になり何かを言いかけるが――それを察したロニーが先手を打つ。
「まぁ、強制だからね。諦めてるよ」
空気を読め、と言わんばかりの強制的な被せにより、アンドレアは言いかけた言葉をのみ込むしかない。
「そんなことより、一桁騎士団が大規模な遠征に行くとか噂になってるけど、本当のところ、どうなんだよ?」
市井の八百屋で働いているロニーの耳には、噂程度の話が幾つも入る。
御用聞きの傍ら、奥様方と話す機会が多いロニー。かなりの耳年増といってよい。
井戸端会議で広がる、噂話というものを止める手段は、古今東西無い。
且つ、井戸端会議での話題は微妙に、そしてあながち的外れでもない情報の精度を持つのだ。
呆れた表情のアンドレアが、肩をすくめる。
「一応、今のとこ機密事項なんだけどな……」
「奥様方をなめるなよ!」
ロニーの力のこもりすぎた反論。
「はぁ……今、遠征している四番隊が戻るのと入れ替わりで、壱から仇番隊が女王陛下の外交の護衛を兼ねつつ……」
「ほぼ、この都の総戦力じゃねえか!」
ロニーもある程度は予想していたのだが、それ以上の答えに驚愕せざるを得ない。
「あぁ、部隊内もみんなそんな反応だったよ。それに、これ以上の詳しいことは、俺にはわからねぇ」
「そうか……しかし、残るのが四番隊とはね……」
「まぁ、建前としては去年、先代の王が亡くなって、急遽アイツ【女王陛下】が即位してから、公式な外交は一度も行われてないしな、戴冠式の顔合わせ程度じゃ不満な権力者も多いんだろう」
苦々しい表情のアンドレアを見るに、一桁騎士団内部でも、あまり喜ばしいこととしては捉えられていないようだ。
「つーか、四番隊が残るのが不満か?今更関係ないだろ?今までと同じだよ。この三年間で、関りなんてなかったんだから」
「そりゃあ、そうだけども……」
ロニーが、次の言葉を発しようかというときに『ドン!』とテーブルにジョッキが置かれた。
「はい、注文の麦酒っす!」
場末の酒場という場所柄、日頃から荒くれもの達を相手にしなければならない。
そのウエイターに丁寧にという心がけはないらしい。
「ピース……いつも言ってるけど、もう少し丁寧にできないのかよ」
ロニーが、呆れたようにピースを諭す。
「無理っす、てか嫌っす。不満なら別に他の酒場に行ってくれてもかまわないっすよ。って言っても、ロニーさんが落ち着ける酒場が他にあるとは思わないっすけどねー」
ピースの生意気な返事に仕方ないと肩をすくめ、ロニーは運ばれてきたジョッキの一つをアンドレア、そして自分の手元に。
「んじゃ、仕切り直しだ……かんぱー」
「アンドレアさんは、本当にイイ人っすよね」
ピースが、空気を読まず、乾杯の音頭を切り裂く。
「なんだよ、いきなり」
思いもよらぬ言葉をかけられたアンドレアが、その発言を訝しく思い、ピースに真意を問う。
「いやいやいやいや。だって若くして一桁騎士団の壱番隊・副隊長なんて超エリートじゃないっすか。【非常識】《アンチセンス》っていえば皆の憧れっすよ……言っちゃ悪いっすけど、こんな人とつるむなんてねー」
「……おいおい。悪口を本人の前で言うかね?普通」
全く気にする素振りの無いロニーが平然と言葉を返すのとは裏腹に、アンドレアは何とも言い難い顔つきに変わる。
「しょうがないんじゃないっすか?俺は、あの噂を加味したってロニーさんの事嫌いじゃないっすけど……でもねぇ……まぁ自業自得じゃないっすか」
瞬間、アンドレアの口が開きかけた――その時、バコッという音と共に、二人の目の前をピースがブッ飛んでいった。
「誰だよ!痛ってえっすよ!」
ピースは、文句を言いながら立ち上がる……だが、そこにいたのが身の丈二メートルほどの、筋骨隆々の浅黒い男であることを認識すると、みるみる顔が青ざめていく。
「あぁ!てめぇ、このくそ忙しいのに何くっちゃべってやがる。ぶっ飛ばすぞ」
額に青筋を立て、憤怒の表情を浮かべた男がピースを見下ろす。
その男は酒家豪腕のマスター(社長兼調理師)で、名をラスグレイドという。
「マ、マ、マスター。ち、ち、違うんすよ」
既に一度ぶっ飛ばされているのだが……ピースはそんな突っ込みを入れられる事が出来る程、心に余裕がない。
それほど、マスターと呼ばれるこの男に恐怖心を抱いているのであろう。
「何が違う。ん?言い分があるなら聞くが」
ラスグレイドがピースに詰め寄り、ピースはジリジリとすり足で後退していく。
「い、いえ、あ!注文ですか?今行きまーす」
ピースにとっては天の声か、店の端から聞こえた微かな注文の声に反応したピースは、脱兎の如くその場から離脱した。
「マスター、そんな事ばっかりだから雇ったやつがドンドン辞めていくんだよ、褒めて伸ばすとか考えろよ」
ピースの行方を見つつ、先ほどの騒動で散らかるテーブル周りを片付けながら、ロニーがラスグレイドを諫める。
「使えねぇ奴が何百人居ようがうちには関係ない。辞めたきゃ辞めればいい」
それだけ言い残し、ラスグレイドは自分の持ち場である厨房に戻っていく。
その後ろ姿にロニーがそっと声をかけた。
「わるいな、マスター気ぃ使わせちまって」
ラスグレイドは、一瞬だけ振り返り『そう思うなら呑んで食え』とだけ言い残し、厨房に戻っていった。
ピースに、悪意があったわけではないが、結果としてそう捉えられる物言いに、マスターが気を聞かせてくれたのだ。
不愛想な男の優しが垣間見えた。
ロニー達が、この酒場の常連になったのは決して人付き合いが上手いとは言えないマスターの、仕事や人に対して誠実で実直な姿勢と店の雰囲気に、居心地の良さに覚えているからであろう。
「「(……つーかこの店のやつ誰も片付けないのな……)」」
少し理不尽な気もしたが、仕方がないので片づける二人。
とかく、初めての事でもないので意外と手馴れてはいた。
「悪いな、俺の事で騒がせちまった……」
ロニーの、本日二回目の謝罪に軽く首を横に振り、アンドレアはほとんどこぼれてしまった麦酒の残りを飲み干した。
結果この夜は、たわいもない話でそこそこ盛り上がり、ある程度の呑んで食いお開きとなった。