彼の愛する作品に大事件勃発で候
思わず椅子を蹴倒して立ち上がった私に、式島さんがクスクス笑いながら告げた。
「あら、久々のご来店ね。といっても三日ぶりだけど。古泉、行ってあげなさい。お二人共、常連のお得意様なんだから、くれぐれも粗相のないようにするでござるよ?」
いたずらっぽく微笑んで口にした式島さんのござる口調は、こんなにもチャーミングだというのに。
「古泉殿ーー! 大変でござる!」
「緊急事態でござるよ、古泉殿!」
こいつらときたら、うざかりしことこの上なきだよ。ピンポイントで隕石激突すればいいのに。
開店したばかりの店内に響き渡る大声で駆け寄って来たのは、相変わらず紐みたいに細長いオカッパ眼鏡の板垣英司と、坊ちゃん刈りは変わらないものの高校卒業から明らかに五キロは容量が増えたでっぷりファット進行中の君枝卓。常にヲタオーラを全開フルスロットルで撒き散らしているため、どこに行っても通り名がイタイとキモイになってしまう哀れな奴らだ。
こんな言い方しているが、一応の一応、私の親友である。
「お前ら、大学院の試験勉強で忙しいんじゃなかったか? 真面目に仕事してる友達の邪魔してストレス解消しようってか? 落ちろよ滑ろよ転がれよ」
「呪いの言葉を囁くのはやめてくだされ! それどころだけどそれどころじゃないでござる!」
見れば二人共、顔面蒼白だ。何事かと聞くより先に、自分も昨日はこんな状態になったのを思い出した。
「もしや……トーヤに会った?」
ヲタ仲間がまさかの神之臣様化したことに驚き、それを伝えに来たのかと思ったのだが。
「岸殿には会ってないでござる! 連絡しても繋がらなかったでござる! 恐らくショックで寝込んでるのでござる!」
あれ、違った。
じゃあ、十哉がショックで寝込んでるかもしれないって……何が起こったというんです!?
「キュンプリが……我らの永遠の最愛名作アニメ、『まじかるサムライっ娘☆キュンプリうぉーりあ』が!」
「実写映画化されるという情報が入ったのでござるーー!!」
な……何だってーーーー!?
衝撃に任せ、私は二人に掴みかかった。
「ちょ神之臣様は!? 神之臣様は誰がやるの!? キャスト次第で号泣か感涙か、天国か地獄か、私の命運が大きく分かれるんだけど!?」
「それが、まだ何もわからないのでござる!」
「本日の制作発表イベントで明かすとだけ、公式サイトに投稿されていたでござる!」
マジか……この頃の実写ブームの悲喜こもごもを見守ってきたけど、まさかキュンプリまで実写化されるとは。
私はがっくり項垂れ、そのまま床に崩れ落ちた。
神之臣様の配役がイメージと違ったらどうしよう? ストーリーが改悪されてたら。衣裳が下手なコスプレより酷かったら。それを観たキュンプリを知らない人達に誤解されて、原作まで拒絶されるような内容だったら。私……ショックで魂抜けるかもしれない。
制作発表イベントは何時頃だろう?
今日は式島さんの分も頑張らなきゃならないのに、死刑宣告待ちみたいで怖くて仕事なんて手につかないよぅ……。
「あら、丁度良かったじゃない。古泉、今日はそのイベントに行くのよ」
背後から降ってきた式島さんのお声に、私は悪い方向にばかり考えて半泣きになっていた顔を上げた。お忙しい身であるにも関わらず、店舗に出てきてくださったらしい。
うん、いつまでも戻ってこないバカな部下のせいだよね……と落ち込むより驚愕が勝り、私は震え声で尋ね返した。
「も、もしかして式島さんの代わりに私が行くイベント……それが、キュンプリの実写映画制作発表会、なんですか……?」
すると、式島さんはこともなげに笑った。
「そうよ。言ったら発狂しそうだから黙ってたけど、公式が発表したなら隠しておく必要もないわね。そんなわけだから、お二方のためにもきちんと詳細な情報を入手して、しっかりレビューレポ書くのよ。ウチのサイトに掲載する予定だから」
「おお、いたいた。サク殿ーー!」
嬉しいんだか驚いたんだか楽しみなんだか恐ろしいんだかで混乱して固まっていたら、更にややこしい奴がやって来た。
「例の輩から連絡が来たで候! 教授が学校をお休みしたゆえ、今日は暇になったで候! この機に奴を倒しに行くで候!」
スマホを掲げながら真っ直ぐ突進してきたのは、神之臣様風の十哉。
って、既に頭ボサボサになってるじゃん……髪くらい梳かしてくれよ。
それと、その御姿でせいらちゃんTシャツはマジやめて。神之臣様はせいらちゃんの兄なんだよ? シスコン極めたヤベー兄貴にしか見えないじゃねーか。
「その口調……まさか、岸殿でござるか!? 何故そのような姿に!?」
「せいら嬢を想うあまり、『さむらい☆へんげん!』の能力に目覚めた……否、兄である神之臣殿を召喚し『サム・ラ・イルミナ』したのでござるな!?」
「何と、板垣殿と君枝殿も集うておったか。どうやら我ら同士、『うぉーりあ』の力に導かれたようで候。では共に、吾輩をこんな姿にした者に鉄槌を下しに行くで候……サク殿、どうかなされたか?」
今頃になってやっとへたり込んでる私に気付いたようで、十哉はイタキモフレンズから視線をこちらに向けた。
「……トーヤぁ、もしかしてまだ知らないの? キュンプリが……キュンプリが、実写化するんだよぉぉぉぉ!」
十哉の寝間着兼通学着となっている元は高校の体育着だった毛玉だらけのトレパンに縋り付き、私は叫んだ。
「は……? な……? ごべぇぇぇぇ!?」
釣られて、十哉も叫んだ。
「無理です! 古泉先輩と付き合ってるってだけでも腹立たしいのに、キショイが壇上神之臣のコスしやがるなんてマジで無理ーー! 死ねーー!」
ついでに、優愛ちゃんも叫んだ。言うまでもなく、キショイとはディアマイダーリン・岸十哉のことである。
「あー! 式島殿にお願いしていたキュンプリカードシリーズが入荷されてるでござるー!」
「やったでござる! 今度こそ輝夜はあと嬢の全バージョンをフルコンプリートするでござるー!」
おまけに、英司と卓も叫んだ。
店内は一時、阿鼻叫喚地獄と化したが、
「…………他のお客様のご迷惑になりますので、お静かにお願いします。ね?」
式島さんの深く重く静かな怒りがこもった声とメデューサの石化に雪女の氷結化を重ね掛けしたような恐怖の笑みで、動乱はすぐに沈静した。