分からなくなる
ベッドに横になりスマホを弄りながらふと時計に目をやると、時刻は夜中の12時を回ったところ。
今も時計の秒針はリズム良く周り続け、時間は進み続けている。不思議と、時間に追われる感覚はない。
いつもなら早く寝なければと焦燥に駆られるが、今日はそんなこともなかった。何故だろうか。
夜は、人を孤独にする。そして、一人で考える時間を与えてくれるものだ。
思えば、毎日僕たちは何かに追われている。次のスケジュールは、課題は、知り合いとのアポ、バイトなどなど。挙げればキリがないだろう。
ここで忘れがちなのは、僕たちの持ちうる”時間”には限りがあるということだ。人の時間が無限にあり、永遠に生きられるということはないのだ。それこそ、活力や元気のある状態なんて30代がせいぜいだろう。物事に集中して取り組むことも大切だが、気づかぬうちに時間を浪費してしまっていることも多いような気がする。
”自分は何がしたいのか?”
社会のシステムに言われるがまま何も疑うことなく生きていると、最終的にはサラリーマンとしてだらだら働いて、気づけば退職。老後は急にできた時間をもてあましながらも、貯金残高を眺めながら質素倹約に生きる毎日。たぶん無理に結婚もしない。そういう時代だから。
うん、すべて見える。その事実を言い訳にして親に寄生してパラサイトニートとして生きる未来までも。
”時間”が、僕たちを不安にする。
”今日お前、何したんだい?”ってね
大学生だからまだ時間あるよね。ゆっくり考えていこうよ。
うーん。
大学生のうちに何かしなくてはと思いたってみても、きっと何も成し遂げられないんじゃないか。
じゃあ起業でもしてみようか。
経営不振で倒産。
じゃあ株でもやってみますか。
自己破産。
それならまじめに大企業で働いて何か良い副業でも探そう。それも長続きしない。
きっと、きっと、きっと、きっと・・・。不思議と、悪い未来ばかり見えてくる。
でも、死ぬわけじゃないじゃん?
だから、続けることもできるはずだよね?
問題ないじゃん!?
それでも、リスクや苦労を伴うのに無駄だと思うことなんて人はできない。
物事を始めるのは興味さえあればできるけど、努力やそれを支える熱意や喜びが必要なんだと思う。
だからもう一回自分に聞いてみよう。
”自分は何がしたいのか?”
”自分はどんな人生を生きたいのか?”
閉じていた目を開ける。
答えはまだない。そのことが不安だ。
それでも、いつかほんの少しでも面白いと思えるものがあったのなら。
他の誰にでもできるものじゃなくて、僕にとって唯一無二な何かを、僕は掴み取りたい。
そう、勝ち取りたいんだ。