ヤコの小難しい話①
――ごうごうと、強烈な風が吹き抜ける音がする。
しかし肌が強い風を感じることはなく、何か風を遮るものに囲まれていることが分かった。
寝ている間に嵐にでもなったのだろうか。
……あれ、寝てるってなんだ?
俺……死んだんじゃなかったか?
「まだ起きんのかえ、ぬしさま」
少女というよりは幼女めいたその声に促されて、俺はゆっくりと目を開いた。
……木が見えた。
頭上から、目線の先に向かって、バカでかい木がうねりを上げながら生えている。
枝にはよく知る花が満開に咲いていて、俺の気分は無駄に落ち込んだ。
……これ、桜だ。
「何を呆けておるのか。ぬしさまは魔女の自覚がまったくないようじゃな」
さらに視界を回すと、空は今にも降り出しそうなほど重たい灰色だった。
地面の感触を直に感じられることから俺は素肌を露出しているようだ。それでも大して寒くないんだから、ここは温暖な気候なんだろう。
「おい、聞いておるのか? ぬしさま」
問題はなんでこんなとこに寝っ転がってんのかってことだが、大方あのお役所女神のお役所仕事でこんなところに飛ばされたのだろう。
「おい、ぬしさま? 無視か?」
あのヤロー、何の説明もなく飛ばしやがって。
何だこりゃ、死んでんのか生きてんのか分かんねえよ。
「ぬーしーさーまー!」
そういや案内人とかいうのを置いとくって言ってたな。
もしかして延々とバカみたいに話しかけてるこの声の主が――。
「阿呆め!」
仕方ないから確認してやろうと視界の端に小さな手を捉えたとき、その手はすでに俺の胸元に向かって振り下ろされていた。
ふにゅ、と弾力のある感触が伝わる。
あれ、俺ってこんなに脂肪あったかなとか思っていると、幼女の指が突先に触れた。
「ひゃうっ!」
ひゃう?
なんだ今の色っぽい声は。
すげえ近くで聞こえたぞ、おい。
「ぬしさま、反応せんのならこうじゃ!」
「んあっ……」
再び声が聞こえる。やけに近い。
それより驚いたのは、その声に合わせて喉が震え微弱な快感が全身を走ることだった。
「ほれほれー、700年の封印の間に覚えたおなごを手篭める技術、存分に発揮してしまうぞー?」
「んんっ……」
「ほれほれー」
「あっ……」
「どうしたぬしさまー?」
「や、やめろこのエロリ幼女が!」
堪忍袋の緒が切れた俺は、勢いよく起き上がって、幼女を怒鳴りつけてやった。
……あれ?
このとき、俺の脳内にいくつかの疑問が生じた。
◇
状況を整理しよう。
とりあえず俺は、布切れ一枚を纏った女になっていた。顔は分からないが、肌は綺麗なようだ。声はめちゃくちゃ可愛いが、自分の声なのでなんとも言えない気持ちになった。
ちなみに、胸はほとんどない。あの女神、変なところケチりやがった。
それでも女性らしい柔らかさはあるようで、揉むと少しだけ幸せになれた。
「気持ち悪いの、ぬしさま」
目の前に立つ幼女は、頭から尖った赤色の耳が生えていた。腰元には同じく赤色のふさふさした尻尾もあって、ぱっと見は狐に近い。
名前を聞くと、幼女は自らを「ヤヤコ=ラリッヒ=リリンパ」と名乗った。めんどくさいから「ヤコ」にした。
そしてなんと、700年以上前から魔女の一族の従者らしい。
「んっんっ、んーっ……なんで咳払いでこんな色っぽくなんだ女って」
「そりゃあおなごじゃからの。オッサンみたいなこと言うな、ぬしさまは」
俺があぐらを掻いて座ると、ヤコも同じようにあぐらを掻いて座った。この座り方は初めてなのか、彼女は楽しそうに笑う。
「元男だからな」
「バカ言え。性別逆転の秘術なんぞ、それこそ魔女の道を極めるか神にでも祈るしかないわ」
「あー……もしかしてあれ、祈ったことになったのか……」
「何、心当たりがあるのか?」
女に生まれたかったってボヤキが聞き入れられたらしい。
何してんだあの女神。
「で、俺は何者だって?」
「魔女じゃな」
「魔女ってなんだ」
「今世界中で失われつつある魔術を、自在に使うおなごのことじゃな」
「つまり俺はこの世界にとって?」
「悪人じゃな」
「なんでそうなんだよ!」
今の感じから、失われた技術を復活させる偉人になれるかと思ったのに。
「偉人というか、亜人じゃな、魔女は」
「は?アジン?人間じゃなくて?」
「阿呆が。人間なんかお前やわしのような亜人から能力だけ奪う畜生だぞ。一緒にするでない」
「はぁ……」
エロリ幼女の言うことはよく分からん。
「なんじゃぬしさま、もしかして記憶喪失か何かか?」
「喪失っつーか、元からこの世界の知識持ってねえよ」
「……何?」
ヤコの声色が変わった。怪訝な目で俺を見ている。
「な、なんだよ。知らねえんだから仕方ないだろ」
「ぬしさま、本当にこの世界の知識はないんじゃな?」
「ああ。お前に教えてもらったのが全部だ」
それ以外の知識なんか、これっぽっちもない。
「ということは……もう終わりということか……」
「は? どういうことだ?」
「わしらの冒険はここまで、ということじゃ」
「だからどういうことだよ」
「知らんのなら教えてやる。ぬしさまは魔女じゃ」
「らしいな」
「魔力回路はあるな?」
「なにそれ」
「身体を見ろ」
言われたとおりに身体を確認すると、右肩に何かそれっぽい印がある。
「これが魔力回路?」
「そうじゃ。ぬしさまは魔女だから、その回路を生まれつき持っておる。その回路を使って魔術を使うわけじゃ」
「おお、すげえ」
つまりなんだ、大層な杖も魔導書も必要なく、魔法を使えるわけだ。
便利な身体だ。
「じゃが知識がない」
「……はい?」
「知識がない。この世界の理を知らない。つまり、魔術の使い方を知らない」
ようやく理解した。
魔法が使えないってことは、俺は役立たずってわけだ。
従者のヤコがどのくらい強いのか知らんが、従者なんだから基本は魔女の力を必要としているんだろう。
「でも、普通に生きてくんじゃダメなのか。人間に混じってさ」
「混じれるかたわけ。ぬしさま、さすがに自分の存在意義くらいは把握しといてくれ」
存在意義? なんだそりゃ。
「魔女の存在意義は破壊。この世界の破滅を導く者じゃ」
「……は?」
よし待て、もう一回整理しよう。さしあたっては次話で。