魔女の存在理由
「ぬしさま、準備はいいか」
俺の右肩に左手を添えたヤコが、耳元で囁く。それに対しそっと頷いて、前方を睨みつけた。
目の前で、血が舞っている。赤い花びらのように点々と周囲の木々に跡を残していた。
ついさっきまで一緒に戦っていた、町の戦士の血。
戦士を殺した化け物は、存在意義として化け物でしかなく、俺の華奢な身体は恐怖に震えた。
どうしようもなく怖い。
これが……本物の魔物。
「た、頼む! 助けてくれ!」
へたり込んだ戦士の一人は相手が人型だからと懇願するものの、言語が通じるわけはない。
魔物は支離滅裂に叫ぶ男を敵だと認識して、唸り声を上げた。
また、殺す気なんだ。
「や、やめてくれ、やめて……」
ついに言葉を発することもできないほどの恐怖に駆られた男は、足だけをしきりに動かして少しずつ後ろに下がって行く。
思わず助けようと動きかけるが、ヤコがそれを制した。
「ぬしさまは詠唱に集中せんか。でなければやれんぞ」
「ッ……」
ヤコの長い爪が肩に食い込んでいる。深く食い込むほどに、右肩に刻まれた紋章が疼いた。
もう少し、あと少しで呪文の詠唱が終わる。非力な俺にできる、唯一のことがこれだった。
「そうじゃ、いいぞぬしさま。魔力の流れが安定してる」
ヤコは楽しそうに笑った。口元を歪めて、わが子を褒め称えるような優しさで。
「やはりぬしさまには才能があるな」
詠唱が終わる。自分でも慣れない声高の透き通った音色で、呪文名を読み上げる。
瞬時に脳内に流れ込んできた情報で、魔物の全てを理解した。
『終わりにしよう、インリヒ』
魔物の持つ真名を口にすることで、魔物は動きを止めた。
こちらをまじまじと見るインリヒに、俺は笑いかけた。
『みんな殺して』
魔物の言語で語られる、残酷な一言。
インリヒは頷いて、その場にいた戦士たちをあっさりと皆殺しにした。
「フフッ、さすがじゃぬしさま。それでこそ――古の魔女」
あぁ……なんて嬉しそうな顔をしてるんだ、ヤコのやつ。
ヤコはまた笑う。本当に、本当に楽しそうに。
俺はどこまでも憂鬱な気分で、ヤコに疲れた笑みを返した。
改めて実感する。
俺は世界を滅ぼす、悪い魔女なのだと。