第三話 令嬢、孤児院へ行く
宗教とは人々の安息であり、その教えを説く聖職者がいる教会は、人々の安息の地でなければならない。人々が迷った時、そして犯した罪を懺悔する時に訪れるその場所が荒廃していた時、果たして彼らに安らぎを与えることができるだろうか。否。教会は清く、人々がその場所を尊く思えるような場所でなければならない。その場所で教えを説く人間もまた、人々の母のように大らかで清く正しい心を持つ必要がある。
しかし、商は教人の徳を侵害する。利益を求めるために相手との駆け引きで得る金にもまた、不徳の感情が宿る。ならば、教会がその不徳を浄化するために、その身を捧げよう。
さあ、迷い子たちよ。教会へ赴き徳を養おう。日々でその身に宿してしまった不徳なものを教会で洗い流せば、その先には救いが待っていよう。
これがグランドール家からの補助金を横領していた教会前責任者が、常日頃声高々に説いていた内容である。要は、自分は商売してお金得ることできないから、教会に来て寄付してね。その時に色々相談乗るから。ということである。
宗教の教え云々よりも、自身の方針を掲げている時点でアウトなのだが、それでも相談に対する対価として寄付を得ている位ならばまだ良かった。それが、孤児のための補助金にまで手を出した時点で犯罪となった。
既に教会の中で処分されたと聞いているので、タリアがその人物と出会うことはないだろう。しかし、必然的に後任者と対面することになる。世間的には公表されていないものの、領主側からしてみれば教会の信用はだだ下がりの現状。恐らく、それなりに有能な人間が送られてくることは予想に容易い。
教会に着き、子供を一時的に預けた後、新任の責任者との顔合わせをすることになった。通された部屋は以前の視察でも使った部屋で、タリアはソファに座り、アティはその背後に控えている。用意された紅茶と菓子は美味しそうだが、口にはしていない。しばらく待つと、一人の女性が部屋に入ってきた。
「この度、本教会の後任として任を得ましたエメリア・ドゥ・ロレーヌと申します。エメリアとお呼びください」
「タリア・グランドールと申します。当領地にようこそ居らっしゃいました。父に代わり歓迎いたします。エメリア様」
年齢は恐らく姉のアリッサよりも少し上。二十歳位だろうか。珍しい銀髮を腰まで伸ばし、見る者全てに癒やしを与えるような微笑み。そして、ロレーヌという名。タリアの記憶が正しければ、貴族のマナーを学ぶ際に聞いた気がする。つまり、タリアとしてはあまり関わらずに、父にお任せしたい部類の人物ということになる。
「失礼ですが、エメリア様は――」
「エメリア、とお呼びくださいタリア様。私はこの教会の責任者であり、単に法王の孫娘の一人というだけです。私自身にはお祖父様のような権限や力はございませんので」
自分の予測が当たったことに、内心複雑になるタリア。教会の最高責任者の孫娘となれば超がつくほどのVIPになる。それほどの人物がグランドール領に赴いたとなれば、貴族間での力関係に変化が生じるだろう。うちはこれだけの教会権力者がいるに値する領地なんだぞ、と。
これからも定期的に訪れる必要のあるタリアは、いっその事ここで軽い無礼を働いて返品してしまいたい気分である。むろん、子供の戯れとして保護者の父に丸投げである。事前にタリアに事情を伝えなかった父が有責である。
「分かりました、エメリア。突然ですが、エメリアお姉様とお呼びしても宜しいでしょうか? 実は、あなたのような姉が欲しかったのです。アネッサお姉様とエメリアお姉様という素敵な姉が二人もいるなんて、とても幸せだと思うのです」
さあ、どうだ。と、かなりギリギリの線を攻めていくタリア。出会い頭にいきなり妹宣言するような人間がいた場合。普通はいきなり馴れ馴れしい奴だと思う。タリアだったら、警戒して距離を置く。
公爵令嬢のタリアと法王の孫娘。どちらが権威が上かは判断が難しいが、知名度に於いては比べるまでもなくエメリアが上だった。タリアはまだ成人前なので社交界に参加していない。そのため、グランドール家の次女として名前だけは知られているが、実際に顔を合わせた他貴族は限られている。ほぼ無名といえる。一方のエメリアは一部から聖女などとも呼ばれていたはずだ。確かに、目の前にいるとそれも納得してしまうほどの美貌である。胸も大きい。
ここで不評を買い、苦言を頂いた後に父に報告する。そして、次からの視察は別の人間になるようにしたい。教会に借りを作るが、前任者との件での貸しと相殺になるだろう。父はその位の手腕は発揮する。
「まぁ! 私もタリア様と仲良くしたかったのです」
だが、タリアの言葉に、表情を明るく輝かせてエメリアが言った。タリアは予想外の展開に呆けた。
「えっ!?」
「姉とまで呼んでいただけるなんて、私感激です。エメリアとタリアでお互いに名前も似ていますし、きっと仲良くなれますわ」
「えーと。リアしか合っていないですけど…」
「ハルバート様にお願いして、タリア様に内緒でお会い出来るようにしていただいた甲斐がありましたわ」
「お父様ー」
父の裏切りに思わず叫ぶタリア。背後でアティが咳をしたのを聞いて、我に返る。
「失礼いたしました。少々取り乱しました」
「いえ、あまりハルバート様をお責めにならないでくださいね?」
「善処いたします」
落ち着くために出された紅茶を口にする。冷めてしまったが、それなりの味。以前はどう考えても背伸びしている品が出された。恐らく、横領した金で購入していたのだろう。今飲んでいる物は高級ではないが、身の丈にあった金額の中で、高い品質の品と思われる。
心を落ち着けながら、タリアは目の前のエメリアを見る。タリアのことを愛おしそうに見ている表情からは害意は見えない。タリアは対外的な交渉の経験が少ないため、その心算までもは察することができない。自分の父が問題ないと判断してタリアと引き合わせたのか。それとも父ですら抗えないほどの強制力で会うことになったのか。正直検討が付かない。
ハッキリとしているのは、自分に何故か興味を持っていることだ。これまでお互いに面識はない。タリアは聖女の話を噂で聞いただけだ。だが、相手はタリアと仲良くしたいと言っている。タリアの何に対して、仲良くしたいと言ってきているのか。それが問題である。貴族に準ずる者が感情だけで仲を求めるなどタリアは信じていない。そこには必ず打算がある筈だ。
「エメリアお姉様は私のことをご存知のようですが、私たちはこれが初対面のはずです。どうしてそれ程好意的なのでしょうか?」
「それはもちろん、小さくて可愛くて抱きしめて寝たらとても夢心地が良さそうですし、とっても頑張り屋さんと聞いております」
前者はともかく、後者はタリアの外向けバージョンの弊害である。やり過ぎたか、と内心舌打ちをするタリア。そして、自分は抱きまくらではないと憤る。
「それに」
両手を合わせ、ニッコリと笑いながら首を傾げるエメリア。その様子は世の男どもを虜にするのだろうな、と場違いながらタリアは思った。
「予知のような不思議な力を持つ少女とは一度お話をしてみたかったのです」
一瞬、呼吸を忘れた。じんわりと冷や汗が背中を伝わっているのが分かる。背後のアティからは殺気が感じられ、自分に向けられているわけではないのに、逃げ出したくなる。しかし、その殺気の矛先にいるエメリアは何処吹く風と変化ない。気付いていないほど鈍感なのか、問題ないと判断しているのか。自分の侍女は相手の身分に臆すこと無く、タリアに不利益を及ぼす人間と判断したら文字通り殺る人間である。頼もしくも、ちょっと怖い。
とりあえず、タリアは全力で誤魔化すことにした。
「予知、ですか? 予知とは未来を知る力のことですよね?」
「はい。例えば、雨季に河川が氾濫する箇所を特定し、適切な避難指示を出したり。各領地を荒らしまわった盗賊団の不意をついた襲撃を、逆に奇襲で仕留めたり。そういえば、王妃様が気に入ったアクセサリーのデザインもこの領地が発祥でしたわね」
「おおお、お父様が優秀なので、我が領地の民も安心して暮らせるのですわ。アクセサリーもお母様が発案でして、私にはナンノコトヤラ」
「ええ、ええ。ハルバート様は領民を大切にされ、また非常に優秀なお方。イリス様も流行に敏感で、そのセンスはこの国随一ですわ」
「ですです」
「……」
「……」
「ち、ちなみにですが」
「はい、なんでしょうか?」
もはや、汗ダラダラになっているタリアが、曇りない笑顔のエメリアに聞く。
「その予知という面白おかしい話は誰が言い出して、どこまで広まっているのでしょうか?」
確かに、先ほどエメリアが例に出した出来事はタリアが全て夢で見て、事前に父に伝えたものだった。
雨が続いていた日に、突然父の書斎に突撃し、『昔見た本によると、雨がこれだけ続くと下流にある村。特に酒造りをしている村は避難しないと危険と書いてあった気がします!』と直談判した。
またある時は『盗賊のようなひねくれ集団はお父様たち領主様の合理的な予想とは逸脱した行動を取ります。それは合理性はなく感情で動くのです。次に現れるのは、グランドール領の東にある小さな村のような気がします!』と入浴中の父親に突撃したり。
母親の寝室に遊びに行った時に、たまたま暇つぶしで書いたデザインの落書きを落としてきたり。
明らかに不自然で、普通なら信じられない事だが、これでも本人はそれとなく伝えていると思っている。
実のところ、タリアのこの能力は父親であるハルバートは認識している。最初はアティがタリアの異常性に気付き、それでも誰にも話さないでいた。当初は朝食の内容やその日の天気など、本当に些細な内容で単なる偶然と思っていたからだ。それがある日、飛び起きるようにして告げられた内容が看過できるものではなかった。それでも半信半疑で当時ハルバートのお付きだった執事長のガーディーを通して内容を伝えたところ、実際に事が起こった。
それからアティがそれまで見聞きしたものを報告し、ハルバートの判断でタリアのグランドール家での重要性が密かに上げられた。具体的にはタリアの身柄はハルバートと同レベルとなっている。その際に、ガーディーはハルバートからタリアへと主を変更となっている。現在はタリアからアティ、アティからガーディー、ガーディーからハルバート、と伝言ゲームのように予知の内容が伝わる経路となっている。知らぬは当のタリアのみだ。
そのタリアだが、流石にアティには何かしら気付かれているとは思っているが、何も聞いてこないのを良い事に、完全に放置している。信頼しているといえば聞こえは良いが、単に掘り返して面倒くさくなったら嫌なだけである。
「ふふふ、大丈夫です。知っているのは私とお祖父様だけです。そもそも、予知ができる人間が現れることは教書に記されたことなのです」
「私が学んだ教書にはそんなこと書かれていませんでしたが?」
「もちろん、一般には公開されていない、所謂秘密のページという箇所です。この存在を知る者も限られます」
「なるほど」
やはり、教会も色々と隠し事が多そうである。
「そして、私自身にもタリア様のような異能があります」
いつの間にかその手には果物ナイフが握られていた。恐らく袖に隠し持っていたのだろう。立ち上がり、タリアに近づくとその手を振り上げた。瞬間、アティが備え付けていた短剣を取り出し、躊躇なくエメリアを斬りつけた。容赦なくエメリアの首筋を狙ったその斬撃は最短の軌道で進み、そして皮一枚のところで弾かれた。
「っ!?」
「これが私の守護の力です。世に知られている魔法のいずれにも属さない力。タリア様の予知と同列のものです」
結果に満足したのか、果物ナイフを置き、何事もなかったように座り直すエメリア。アティは手にしていた短剣の刃を確認する。僅かながら欠けてしまっている。それなりに強度のある防護膜と判断し、万が一の時の対応策を頭の中で練る。
ちなみに、ここまでタリアは状況について行けずにポカンとしていた。
「ただ、私の力は代々ロレーヌ家でいずれかの者が発現してきました。教書には予知者を守るための守護者の役割を持つと書かれています。現在の代の守護者が私だったということです。教会は常に予知と疑わしき情報を信者や貴族のコネクションを駆使して集めていました。そして、ここ数年のグランドール家の手腕に気付いたのです。他の者なら非常に有能とだけ思われても、予知の存在を認識している私達には、疑うには十分だったのです。そして、念入りな調査の結果、タリア様が浮上したのです」
「……」
なんだか、タリアを置いたまま話が大きくなってきた感じである。突然、初対面の相手に色々と話された内容も整理できていないし、そもそも本当なのかすら確かめることも現時点ではできない。とりあえず、帰って寝たい。心からそう思うタリアだった。
それでも、とりあえずはこの場の決着を付けなければならない。
「エメリアお姉様は私に何を望まれるのでしょうか?」
教会のために力を使えというのか、それとも国だろうか。国境すらも超えたすべての人々に恩赦を与えよと言われた際には引きこもる気満々である。
「特に何も」
「えっ?」
「私はタリア様の守護者。タリア様の赴くままに。その際に、私は側にいて手助けになれればと思います」
「えーと、つまり私が寝て過ごしたいと言ったら?」
「私も共に添い寝致します」
「私が温泉巡りで美味しい物を食べ歩きたいと言ったら?」
「実はおすすめの隠れスポットを知っております。むろん、食べ物も格別でした」
「うん、これからよろしくね、エメリアお姉様。仲良くしていこうね!」
「はい、よろしくお願い致します。タリア様」
ガッチリと握手を交わす主と聖女に、アティは人知れずため息を付いた。また面倒な事態になりそうだ、と。
◆
エメリアと義姉妹の誓いを交わした後、しばらく本来の目的である孤児の状況を確認した。後任として赴いてからそれ程時間が経っていないにも関わらず、エメリアは既に前任者よりも現状の把握や問題点の洗い出しなど精力的に動いているのが分かった。
そんな彼女ならば、ひょっとしたらタリアが連れてきた子供を知っているかもしれないと期待したが、そちらはハズレだった。流石に一気に解決とまではいかないようである。
ある程度話が終わると、見計らったように修道女がエメリアを呼びに来た。彼女でなくては判断のできない仕事が溜っているのだろう。気の毒だが、文句は前任者に言ってほしい。
そのため、タリアとアティは例の子供が寝かされている部屋へと向かった。部屋は来客用と思わしき小綺麗な部屋で、一人用のベットに、質素な机と椅子。あとは窓や本棚すらない必要最低限寝泊まりするための部屋だった。そして、ベットに未だに眠っている子供。
「うーん、まだ寝てるよこの子」
アティの他には眠っている子供しかいないので、本性バージョンである。眠っている子供の額をペシペシと叩いている。
「回復魔法を掛けたことはエメリア様にも伝えたのですが、一応修道女が彼女の体を調べたそうです。特に問題なく、あとは目覚めるのを待つだけだそうです」
「そっかー。……彼女?」
「はい、この子は女の子です」
信じられない、と目を丸くするタリア。子供は短い茶色の髪で、女の子と言われれば確かに納得できる顔立ちだ。嘘汚れた格好と、短い髪、そして胸元がダブダブの服装でまったく気づかなかった。
「どれどれ」
軽く胸に手を当てて揉んでみる。
「おおー、確かに。僅かながらに膨らみがあるよ。驚きだね」
そのまま何度か揉んでいると苦しいのか、少女がうなされたので手を離す。すると、むにゃむにゃと幸せそうな表情で再び寝続ける。それ見たタリアの心に表しようのない感情が生まれる。馬車からこの孤児院まで寝続け、さらには自分たちが視察をしている間にも寝ている。自分はこんなにも仕事を頑張っているのに。自分も寝たいのに。これは制裁が必要だ。タリアは他人の怠惰な姿には厳しいのだ。自分は例外だ。なんせ、貴族なのだから。
「ギルティー」
眠り姫の鼻を小さな手で抑える。むがっ、と息苦しそうに表情が曇った。そのまま待つこと数秒。なかなか耐えている。しかし、タリアが追い打ちを掛けた。もう片方の手で今度は口を紡いだのだ。さすがの眠り姫もクッ、クッと苦しそうだ。
そして――
「ぶふぁっ!? ゴホッっ、ゴホッ!?」
盛大に吹き出して飛び起きた。
「まあ、アティ。お目覚めになられたようですわ。良かったです。あなた、体は大丈夫ですか? 心配したのですよ?」
今まさに、止めを刺そうとしていた人間が言う台詞ではないが、とりあえず目を覚まさせる目的は達した。
「ゴホッ…ここは何処だ?」
周囲を見渡す少女に、アティがタリアを下がらせて答えた。子供でもタリアに危害を加えないという保証はない。
「ここは孤児院の一室です。あなたは我が主、タリア・グランドール様が乗る馬車の前に飛び出したところを、間一髪で助かったのです」
「はぁっ!? 俺が馬車に飛び出しただぁ!? 馬鹿も休み休み言えよ。なんで俺がそんな自殺みたいな真似をしなくちゃならねーんだ! お前ら、さては詐欺師だな! 助けてやったとか上手いこと言って、恩を着せようたってそうはいかねーからな!」
「本当のことです。目撃者も多数おりますし、かすり傷程度でしたが、回復魔法もかけてもらっています」
「おっ、本当だ。昨日擦りむいた肘の傷がなくなってら」
「そもそも、失礼ながら。あなたのような子供に、貴族であるタリア様が何故詐欺を働く必要があるのでしょうか?」
「このチビが貴族様? はは、笑えるね。なら私は皇女様ってことで」
今のタリアは外行きの格好ながら、孤児院の視察という目的のため、それほど貴族らしい格好ではない。もともと、堅苦しい格好を逃避するタリアの方針もあり、良くて商人。普通に見て少し裕福な家庭の子女にしか見えない。
元々、貴族のプライドなど必要な時に必要な分だけ持ち合わせるタリアは、今後は会うこともないだろう少女を罰するつもりはない。これが普通の貴族なら叱咤され最悪両親と共に仲良く切り捨てだ。
既に元気な様子を確認し終えたので、もう帰って寝たい。美味しいもの食べたい。そう思っていた。しかし、密かに主を慕っているアティにとっては少女の態度は目に余った。
「タリア様。この少女を教育する許可を頂けないでしょうか?」
「おっ、なんだやるってのか? 歳の割には子供っぽいやつだな。あっ、もしかして更年期障害ってやつか?」
「ぶっ殺す許可を下さい」
気づけばアティの手には例の短剣があり、その手はプルプルと震えている。どうも、アティとこの少女は相性が悪いらしい。これ以上は色々と危険のようだ。早く帰ろう。
「えと、体の方は本当に問題ございませんか?」
アティを抑えつつ、とりあえず伺う。
「元気元気!」
見せつけるように腕をグルグル回す姿に、問題ないと判断する。これで心配はなくなった。
「それでは、私たちはこれでお暇します。ご両親には申し訳なかったとお伝え下さい」
本来ならば直接伺うのが筋だが、これ以上貴族である自分たちが関わると話が大きくなり、収拾が手間になる可能性も出てくる。そもそも、飛び出した少女に非があるし、それ相応に対価が必要な回復魔法も施した。目を覚ますまで責任をもって保護した。他の貴族ならばぶつかった。飛び出すな。次は気をつけろで終わる事を考えれば良い待遇である。
「それでは、ごきげんよう」
未だに戦闘態勢のアティの手を引いて出口に向かうタリアの背中に、少女のポツリと発した言葉に動きを止めた。
「俺には両親なんていねーよ。とっくに死んじまった」
その言葉に、夕食にシフトしていたタリアの思考が引き戻された。
「あなた、お名前は?」
「俺はクリスってんだ。本当はクリスティーナとかいう長ったらしい名前なんだけど、みんなクリスって呼ぶぜ」
「では、クリス。あなたのご両親はお亡くなりになっているのは本当ですか?」
「嘘なんてついてねーよ」
「ご兄弟や親戚などは?」
「聞いたこと無いね」
「それじゃあ、あなたが死んだ時は誰が葬儀を?」
「きっと、そのままじゃねーの? 路地裏で野垂れ死ぬ家無しなんて、珍しくもないだろう?」
確かに、冒険者ギルドの依頼にはそのような遺体を回収し、集団墓地に埋葬する依頼もある。割高だが、あまり受注する人間が居ない不人気な依頼でもある。グランドール領では孤児への支援は行われているが、それでもその恩赦から溢れてしまう子もいる。既に犯罪に手を染めて抜け出せない者や、自らの意思で保護化に入らずにその日暮らしをする子もいる。
しかし、当のクリスはそれはあり得ない筈なのだ。
(あの時、クリスの遺体を引き取りに来ていたのはご両親だったはず。でも、クリスのご両親は既に亡くなっている……)
予知が外れたのだろうか。しかし、これまで外れたことはない。食事や天気のような小さな出来事から、洪水や盗賊の襲撃など大きい出来事まで。例外なく的中していた。今回だけ外れたと考えるのは違和感がある。
それに、夢ではクリスの死から一連の負の連鎖が始まっている。クリス自身が馬車の前に飛び出したことを覚えていないのも腑に落ちない。この件は、やはり妙だ。十二年生きた女の勘が告げていた。
とりあえず、裏を取るにもクリスの所在地を把握しておきたい。家無しでは、いざという時に連絡が取れないだろうし、再び面倒に巻き込まれでもしたら夢見が悪い。
「クリスはこの後どうなさるのですか?」
「いつも通り、路地裏の生活に戻るさ」
「それでしたら、私の方でここで生活できるように話を通しておきますわ」
「えっ、マジで!? 俺は十四だけと良いのか?」
本来、孤児院はある程度の年齢まで成長したら自立するのが一般的だ。幼く職すらも得ることが出来ない子供を優先するのだ。十四歳は普通に働ける年齢だが、目的のためには仕方がない。例外として新しいお姉様にお願いしておこう。クリス一人の食費くらいならばタリアのお小遣いでも賄えるだろう。
「その代わり、きちんと子どもたちの面倒をお願い致します」
「お安いご用さ! しっかし、そんな事が出来るなんて、本当に貴族様だったんだな。おっと、言葉遣いも変えたほうが良いか?」
思わぬ衣食住を得て嬉しそうにするクリス。そして、ようやくタリアの立場を信じたようである。
「いいえ。お好きになさって下さい。ただし、他の人間がいる場では最低限のマナーに気をつけて下さい。私が構わなくても、気にされる方は大勢いらっしゃいますので」
「わかった! ました」
「要勉強ですね」
エメリアお姉様にお願いする際に、マナーも勉強できるよう手配しよう。そう決心して部屋を後にした。
その後の視察は滞り無く終えることが出来た。責任者がエメリアに変わったことにより、環境に変化が生じたようで、子供たちの表情も以前よりも明るくなっていた。おかげで、元気が有り余った悪ガキがタリアに絡んできたり、今の状況に変わるきっかけを作ったのが、タリアだと言い伝えられて必要以上に感謝されたのは些細な事だ。大人なタリアは子供には寛容なのだ。
前回よりも若干味が良くなった昼食を取り、最後にエメリアと挨拶をして視察は終了となった。