2話 全痴全能の神
「……何処だここ」
ダイスケ以外、何も存在しない虚無の空間。別世界にいるような感覚に陥る。
どこまでも果てしなく続く真っ白な空間に問いかけた。
『ここは主の夢の中じゃよ、ダイスケ』
前方から人が軽快な足取りでやってくる。
透き通る長い白髪に美しい顔をした女性。宝石やらキラキラと輝く物ばかり身に着けている豪華なドレスに目が行くが、何より目を引き付けるのはドレス越しに伝わる胸の大きさ。
服を破かんとばかりに、今にもはち切れそうな胸。巨乳を超越するサイズに言葉も出ない。
「……誰だ」
挨拶などは不要、と感じたダイスケは強気な口調で相手に問う。
『敵意丸出しじゃな。安心せい少なくとも我は主の味方じゃ』
古風な口調で話す美女はケラケラと笑い味方であることを宣言した。
ダイスケにとって、信用には足らない言葉である。当然、警戒を怠ることはない。
「なぜ俺の名前を知っている」
『それは後に説明してやる。今は心を落ち着かせい、心の波長がこれでもかと乱れておるぞ』
まるでダイスケの心を見通しているかのような一言。
だが確かに、ダイスケの心はブレッブレに大きく乱れていた。
「落ち着けられるか、こんな状況で」
怒りや不安の混じった不安定な心情で放った一言に、美女はやれやれと言わんばかりのため息をついた。
『仕方ないのー。ほれ、これで落ち着け』
手を引っ張られ、前傾に崩れそうになると美女は両手をダイスケの頭に回しグッと引っ張る。
次の瞬間、
ダイスケの顔は豊満な胸に沈んだ。
張りがありながらも、ふわっと弾くような弾力。
それに女性独特のいい匂いに、香水が混じった男性を高揚させる香り。
「何してんだああぁぁぁーーーっ!」
美女を振り払ってGのような素早い動きで後ずさり腹の底から声を出す。
『これこれ、遠慮するでない』
「あ、アホか! んなことして落ち着ける訳ないだろ!」
男子高校生の立場からしたら、あんなことをされて落ち着けるはずがない。
むしろ、あんなことをされては心乱れる一方だ。
『ありゃりゃ、そうなのか? おのこはこうしてやると心が安らぎ落ち着くと聞いたんじゃがなぁ。あの女神め、またつまらぬ冗談を吐きおったのか』
どうやら、この人は虚言を吐かれ、その言葉を真剣に今の今まで信じていたらしい。
アホすぎるだろ、と心の底で嘲笑するダイスケに美女は言葉を続ける。
『まぁ、そんなことはどうでもよい。それより主よ、記憶を辿ってみい』
「……記憶?」
とりあえず、言われるがままに記憶を思い出すように目を瞑る。
言われて思い返す、森の中での僅かな時間。
一コマ一コマを鮮明に欠け漏らすことなく思い出す。
どこかも分からぬ森のような場所で突然オークに襲われ、それをエルフの少女に助けてもらえた。でも、
――俺は……オークに殺された――
『いや、主は殺されてなんかおらぬぞ。幸いにもエルフのおなごが瞬時に防御魔法を展開したおかげで軽傷で済んだのじゃよ』
生きていた、という情報に思わず目を開けて驚く。
「そうだったのか、二回も助けてもらったのかあの子に」
見ず知らずの男を二回も助けてくれたという事実に驚きを隠すことができなかった。
それと同時に己の無力さを恨んだ。
「……って、何で喋っていないのに俺の心の中を読めてるんだよ!」
ダイスケは記憶を辿っている間、一言たりとも喋ってはいなかった。
しかし、この美女はそれをあたかも聞いていたかのような口ぶりをしていた。
『フフフ、それは秘密じゃ。さてここからは我の説明で疑問を一つ一つ紐解いてやろう』
そう言うと、コホンと軽く咳払いする。
『さて、まず主がいたのはどこなのか、という疑問から』
「そうだ、気づいたら訳の分からない森にいたんだ。あれの説明はどうやって方を付ける。マジックでも使ったのか? あん?」
『それに関しては我も想定外の事故だったのじゃ。元々は今のように主にきちんと説明してから、ちゃんと安全な場所に送り出す予定だったのだが』
「変なとこに連れて行かれるのは確定事項だったのかよ……」
残念極まりない情報に落胆するも、それをスルーし言葉を続ける。
『とんだ邪魔が入ったせいで何も説明できぬままあの世界に転送されてしまったのじゃ。その件に関しては本当に申し訳ないと思っておる』
思わぬ事態に対処できなかったことを詫び頭を下げていた。
その見た目からは想像もつかない丁寧な態度にダイスケも思わず戸惑っていた。
「い、いや別に結果無事だったわけだからいいけど。それで結局あそこは?」
『あそこは主たちの言葉で表すなら【異世界】というやつじゃ』
「異世界!?」
予想外……といえば予想外。だが予想内といえば予想内とも言える単語だ。
異世界なんて信じられない話だが、現に信じられないものを見てきているし、今現時点のこの状況だって信じ難いものだろう。
『ほぅ、落ち着かんやつじゃと思っておったら肝が座っておるじゃないか』
見直したを通り越してプラス評価に変わるも、ダイスケにとっては何も嬉しくはない言葉だった。
「落ち着かなかったのはお前のせいだろ!? まぁ、あんな場面に遭遇した後だからそこまで驚かねぇよ」
『ポーカーフェイスというやつじゃな』
美女は少し驚いたような表情を浮かべ、ニヤッと笑った。
「んなことどうでもいいから、それで何で俺は異世界にお呼ばれしたんだ?」
『簡単に言うと、主に異世界の魔王を倒してほしい』
「……は?」
その言葉は不可解な言葉そのものだった。
魔王を倒してほしい、なんて依頼はまるで王道RPGの最初に王様が出す命令だ。
だがしかし、魔王を倒すのは常に勇者と相場が決まっている。
「いやいや、そんなもん勇者にでもやらせたらいいだろ。兎塚大助にそんな才はないし、勇者でもないぞ」
ダイスケは自分でも分かっている。
自分は凡人であるから、勇者になれるような器は持ち合わせていない。
村人Aに魔王退治などという責務果たせるわけがない。
『あの世界に勇者などおらぬ。いや、厳密にいうと既に魔王に殺された』
「魔王に、ねぇ……」
通常、倒されるのは魔王サイドであるはず。
勇者なんて存在は主人公補正がかかるゆえに負けることは普通に考えてないはず。
そんなことが起これば、完全なバッドエンドルートまっしぐら。
『実は異世界の魔王は主と同じでこっちの世界から来た人間なのじゃ。いわばイレギュラーな存在。そやつは何らかの方法で異世界に行き魔王という立場まで上り詰めた。そのような大事件を我々が見逃せる訳には行かなくてな、討伐任務が出ておるのじゃよ』
ダイスケに引っかかった言葉。
もちろん自分たちと同じ世界から来たということにも耳は聞き逃せないが、それよりもこいつは【我々】といった。
おそらく、こいつは複数の人数で構成される組織の一人であろうということを推測する。
それが大規模化小規模なのかは分からないことだが。
「オークやらエルフが闊歩している世界で人間が魔王になるとは、恐れ入るな。いやーあっぱれあっぱれ」
同じ人間であるダイスケですら、オーク一匹に命を落としかけるあの様。
あの世界で魔王になれる気なんて芽生えすらしなかった。
『そやつは【特異点】と呼ばれる種類の人間。だからあの世界で魔王になることができたのじゃよ』
「とくいてん?」
突拍子に発言する聞きなれない単語。
表情を察したのか、或いは心を読んだのか解説を始める。
『特異点というのは神の力をその身に宿すことができる人間のことを言うのじゃ。百万人に一人ぐらいは特異点に該当するんじゃが……。まぁ大多数の人間は気づくこともなく生涯を終える』
「なるほど、ということは神の力を使って魔王になったということか」
『その通りじゃ! 肝心な何の神の力を宿したのかは分かぬのじゃがな』
テヘヘと誤魔化し笑う。
「そこ結構重要だと思うんだが……」
『安心せい! 主も特異点の一人であるがゆえ、奴に対抗することができる!』
自分も特異点である、という驚きを持ちつつもダイスケにとっては自分が最前線に派遣されることの方が驚きだった。
『さぁここでようやく我の自己紹介じゃ! 聞いて驚け、我が名はゼウス!』
「……」
十秒ほど二人の間に沈黙の時間が空間を包む。
『……ありゃ? どうしたんじゃ?』
予想外のリアクションに、思わずゼウスも我に返る。
「いや、続けてくれ」
『いや、リアクションが薄いんじゃが……』
自分の欲していたリアクションが出なかったため、露骨に肩を落としアピールする。
「エエェェェーーー! ゼ、ゼウスだってー!? ゼウスってあの全能神のゼウスなの!?」
『棒読み感が強いからもうよい! お察しの通りのゼウスじゃ』
ゼウス――ギリシア神話に登場する神にして主神。
全知全能や天空神など様々な呼ばれ方もある知名度の高さで言うとかなり上位に来る神だろう。
「つ、つまり俺がその特異点の一人でゼウスの力を宿して異世界で魔王を倒せ、と?」
『大正解じゃ! 察しがよい奴は嫌いではないぞ?』
そういって、グッジョブとポーズをとる。
「んで、ゼウスの能力とかいうのは何なんだ?」
『我の能力、それは【全痴全能】簡単に言うと、主がおなごに淫らなことをして、我を興奮させたら新たな能力を授ける、っという画期的な能力じゃ!』
「は?」
何言ってんだこいつ、という表情でギッと睨み付ける。
それが本当ならセクハラまがいの内容だ。冗談にしても笑えない。
『聞こえんかったか? だから、主が――』
「いやいや、冗談いらないんでほんとに。真面目にお願いします」
『我は至って真面目なのじゃが?』
ゼウスの顔は至って真剣。
むしろ、自らの能力を冗談と疑われて気分を害しているぐらいだ。
「……そんな能力いるかあああぁぁぁぁ!!」
ゼウスに向かって言い放った言葉は、ゼウスの耳を通り越し、この虚無の空間に響き木霊していた。
『んな! どうしてじゃ?』
「どうして、じゃねぇよ! 何でお前の性欲のために俺が仲介してお前の下の世話をやらなきゃならねーんだよ!」
『ありゃ、そういうのはお嫌いなのか?』
ゼウスこと変態神は首を傾げる。
「お嫌い、というか。俺まだ高校生だからな!?」
『顔が赤くなっておるぞ。かわいい奴め!』
変態神はダイスケを指さしてケラケラ笑う。
――ダメだこいつ……。
なぜダイスケがそう思ったのか。
もちろん、頭のネジが外れてしまっていることも原因だが、ダイスケにとって苦手なタイプの女性だったからである。
「もういいから、元の世界に返してくれ」
呆れた果てに協力という選択を捨て、帰ることを決断する。
『それはよいが、まだあっちの世界でしなければならないことがあるんじゃないのか?』
「……」
――そうだ。
――俺はエルフの少女に絶対にお礼をしなければならない。
――見ず知らずの俺の命を二回も命を救ってもらっているのだ。
――仮にここで元の世界に戻っても、俺は絶対に今後後悔する。
そんな思いが、ダイスケの心を支配していた。
「……分かったよ! やればいいんだろやれば!」
まんまと乗せられたな、なんて思いつつも条件を承諾する。
長旅になるとも知らず。
『それでこそ我が相棒よ!』
変態神はニッコリ笑って頷いた。
「ところで何で俺が魔王退治に任命されたんだよ。百万人に一人なら世界中にうじゃうじゃいると思うんだが」
ダイスケにとって未だに残るわだかまり。
それは、なぜ非力な自分が魔王退治に任命されたのかということ。
『そ、それはあれじゃ! 主の潜在能力が高いからじゃよ!』
ゼウスは顔を赤らめて、手をあたふたさせながら必死に答えを出す。
「まじか! え、俺ってこう見えて潜在能力高いのかグヘヘヘ」
かつて中二病患者であったダイスケにとって、潜在能力が高いという言葉はたとえそれが嘘だとしても、喜ぶ言葉だった。
『……主がバカでよかった』
ホッとゼウスは胸を撫で下ろした。
「何か言ったか?」
『何も言っておらぬわ!』
変態神は顔を赤くして怒鳴る。
『さて、そろそろ夢が覚める頃合いかのう。我の力は主の左手の紋章となって表れるから忘れるでないぞ』
「え――
ゼウスの重要そうな話を聞き終わる前に夢が覚めていく。
その眠りはなぜか、意識が飛んでいくのが明瞭に分かった。