2 何はともあれ昼食です
「ふぅ、一心地着いたわ。ただ、内風呂だと温泉じゃないのが残念ね」
内風呂で汗を流してきたユモトが、さっぱりとした表情で部屋に入ってきた。
背中にバスタオルを羽織り、いつもは角に巻きつけている黒髪を肩へと下している。
さきほどまでツノに軽く巻きつけていたせいか、髪にはふんわりとしたウェーブがかかていた。
髪をたなびかせる姿は、なかなかに艶っぽい。
スタイルもいいし、黙ってればいい女な気がするんだけどなぁ……。
「あのね、アンタがいらんことを言わなきゃこんな風にならないの。鬼の里だと美人三姉妹のおしとやかな次女で通っていたのよ?」
「そのおしとやかって言葉、、もしかして人間の辞書と鬼の辞書で意味が違うんじゃねえのか?」
というか、その前になんで俺の思っていることが……はっ、さては、鬼の特殊能力で俺の心を――
「いや、普通に声に出てたし。というか、今も出てるし」
「マジで?」
「うん、マジマジ」
濡れた髪の水分をバスタオルで挟み取りながらユモトがこくこくと頷く。
オヤジがいたとはいえ実質的には一人でこの宿を切り盛りしていたせいなのか、いつの間にか変な癖がついてしまったようだ。
うーん、これは気をつけなければ……。
そんな時、俺の様子にお構いなくユモトが能天気に声をかけてきた。
「それよりお腹すいたんだけど、お昼ごはんってなんか用意してくれてんの?」
当然のように尋ねてくるユモト。
うーん、お前たちは客じゃなくて、あくまでも“共同生活”する相手柄のはずなんだけどなぁ……。
まぁ、今日はちょっと考えもあって用意してあるんだけどね!
「昼の食事ならある程度は先に仕込んであるぞ。ただ、お昼を食べながらこの旅館の仕事の説明もしようと思ってるから、食事にするのは三人そろってからでいいよな?」
俺の回答に、ユモトがコクリと頷く。
「ええ、構わないわ。じゃあ、二人ももうすぐ戻って来ると思うし、パッと片付けちゃうわね」
珍しく素直な態度を見せるユモト。
そのさっぱりとしたイメージに、ちょっとだけドキッとさせられてしまった。くそう、くやしい。
そんな俺の心の動きを悟られないよう、いたって冷静な様子を見せて答える。
「じゃあ、先に昼食の仕上げをしておくから、片付け終わったらダイニングまでお願いね。 階段の右手のところ、分かるよね?」
「ええ、大丈夫よ。せいぜい美味しいご飯を用意しておくことね。変なもの出したら承知しないんだからねっ!」
ユモトは上から目線でそう言い切ると、そそくさと脱衣場へと戻っていった。ゴーッという音が聞こえてきたところをみると、髪をドライヤーで乾かしているのだろう。
せっかく見直そうと思ったところで、この上から目線にはどうにもカチンとくる。
しかし、ここは堪え所だ。
そもそも、仕事を全然しようとしないオヤジに代わって数年にわたってこの宿の厨房を預かってきたという自負は俺にもある。
この後の昼食でギャフンと言わせてみせようじゃないか。
そう心に秘めながら、俺はキッチンへと向かっていった。
―――――
「ほい、お待ちどうさん!」
宿の一階にあるダイニング兼談話室。
アワラ、ユモト、ミササの三人は一枚板で出来た六人掛けのテーブルを囲むように座っていた。
キッチンから蓋をかぶせた正方形の漆箱と同じく漆塗りの椀、そして漆塗りのお箸を運んできた俺は、三人の前、そして自分の席へとそれらを並べていく。
その横では、アワラが四人分のお茶を用意してくれていた。
配られた湯呑から、ほかほかと湯気が立ち上る。
こういうさりげない気配りというのはとてもうれしく感じる。なんかこー、基本が出来てるっって感じだよね。
うーむ、これはお姉さんファンになっちゃいそうだなぁ……。
「ねぇ、お腹すいたんだけどー。 もう蓋開けていい?」
ユモトの声で俺は現実に引き戻された。チッ風情のないやつめ。
まぁ、いいか。俺はわざと下手に出ながらユモトに言葉を返す。
「ああ、どうぞ。あり合せの材料で作っただけだから、あんまり期待せんでくれよ」
そんなわけはない。材料こそあり合せだが、渾身の一作だ。さぁ、見て驚いて、ギャフンというがいい!
「ふーん、そうやって予防線張るんだ。まぁ、いいわ……ってなにこれ? すごいじゃないのよ!」
ぶつくさと文句を言いながらも真っ先に蓋を開けたユモトが、その箱の中身を目の当たりにして感嘆の声を上げた。
ふっ、どうだ、参ったか!
箱の内側は十字に仕切られている。いわゆるオーソドックスな松花堂弁当のスタイルだ。
ということで、今日俺が用意したのも四つの品だ。
右手前には主菜扱いとなる焼き物、今日用意したのは鰆の幽庵焼きだ。
これは切り身を醤油やみりん、果汁を合わせた幽庵地と呼ばれるタレで漬け込んでから焼いたもの。
上火のオーブンでじっくりと焼き上げることで、旨みをぎゅっと閉じ込めた一品だ。
その奥に盛り付けたのは三種の田楽。副菜の扱いだ。
同じ大きさの長方形に切ったこんにゃく、豆腐、生麩を串に刺して炭火で焼いたものに、上から味噌ダレをかけてある。
その隣には水菜のおひたし。千切りにした人参を合わせることで彩り豊かに仕上げた。
そして右手前に用意した御飯物は、丸い型で抜いた鮭と白ごまの混ぜご飯だ。
香の物としてその横にあしらっている蕪の漬け物も、もちろん自家製だ。
ユモトに続いて蓋を開けたミササやアワラからも驚きの声が上げった。
「とってもきれいなのです!」
「ほんと、素敵ですわ。これを全部ユウマさんおひとりで?」
「いえいえ、ありあわせの材料でそれっぽくまとめただけです。 ささ、どうぞお召し上がりください。椀の方もぜひ温かいうちに」
気合を入れて作ったとはいえ、食べる前からこんなに褒められてしまうと何だかちょっと気恥ずかしくなってくる。
俺は鼻の頭をポリポリと掻きながら三人に箸を進めるよう促した。
「そう言われてもこれだけ美しいお料理ですから、どれから箸をつけようか迷ってしまいますわ。そうそう、こちらの椀物も拝見しなきゃですね。……ええと、この中に入っている粒は何かしら?」
「あ、そちらは脱穀したそばの実を茹でたものです。この辺りではそば米といって親しまれている食材ですね」
「うーっ、もう待てないのです! いただきますなのですーっ!」
お預けを食らっていたミササが、たまらず大きな声で食前の挨拶を叫ぶ。
その言葉を合図に、全員が手を合わせていただきまーすと唱和した。
というか、鬼族たちも食事のあいさつは“いただきます”なんだ。
なんかかわいいな……。
俺たち4人は、挨拶もそこそこにそれぞれ箸を伸ばす。
とはいっても、俺としてはやはり味の感想が気になるところだ。
そういえば、オニって普段何食べてるか全然聞いてなかったな。
もしかしたら肉料理の方がよかったかも……。
料理に箸を伸ばしながらもついつい三人の反応を伺ってしまう。
しかし、そんな俺の心配はどうやら無用だったようだ。
あのユモトの口から、称賛の言葉がこぼれてきたのだ。
「んー、このお魚の焼いたやつ、さっぱりしてて美味しいわね。なかなかやるじゃない」
「それは鰆な。本来は春の魚で、まだこの時期だと脂乗りが薄いんだ。だから今日は脂乗りの薄さを補うためにタレに漬けてから焼いてみたんだ。
そうそう、このタレには柚を合わせることが多いんだけど、俺の場合はこの辺で採れるスダチを合わせてるんだよね」
まぁ、ちょっとしたこだわりってところかな。
「ふーん、それでさっぱりとしてるのねぇ。まぁ、及第点ってところじゃない」
俺の解説を神妙な表情で聞くユモトだったが、相変わらず言葉は上から目線だ。イラッとするなぁ。
しかし、手を止めずにパクパクと食べている様子を見ると、どうやら味は気に入ってもらえているようだ。
口では何と言っても身体は正直ってところだな、うんうん。
俺が満足げに頷きながら箸を進めている、今度は隣に座っているミササが声を発した。
「このでんがくもおいしいのですっ! おみそがコクがあって甘くて……これは、中に何かが入っているはずなのです! えーっと……どこかに木の実の味がするのですっ!」
ほほー、ミササちゃん、良いカンしているじゃないか。
この隠し味に気づくとは、なかなかに味覚が鋭いようだ。
三人の中で一番若いミササが隠し味の正体へと近づいたことに驚きつつ、俺は答えを返した。
「良く分かったねー。このお味噌に一緒に入ってるのは胡桃なんだよ。お味噌や砂糖、みりんと一緒に、殻を剥いた胡桃の実をすり鉢で丁寧にすりつぶしたものを合わせてタレにしているんだ。コクがあるでしょ?」
俺の言葉に、ミササがコクコクと頷いた。
「このお味噌なら、でんがくだけじゃなくてお米のおだんごとかにも合いそうなのです!」
「うん、それもいいね。 団子だけじゃなくて、半搗きにしたお米をまとめて、五平餅みたいにするのもあるね」
「おもち!! おもちにもきっと合うのですっ!!」
この甘めの味噌ダレがよっぽど気に入ったのか、ミササが満面の笑みを見せた。かわいい。
まぁ、口元に味噌ダレをつけているのはご愛嬌ってところかな。
さて、ユモトとミササちゃんは満足してもらえたようだし、あとはアワラさんだけだな。
向かいに座った年上のお姉さまをチラリと見やると、ちょうど椀を口元へと寄せているところだった。
椀を傾けてサラサラとそば米のお吸い物を口にするその姿は、やっぱり艶めかしい。
じっと見つめていると思わずどきどきしてくるな……。はっ、これが恋というやつなのか!?
「ふぅ……出汁がしっかりと取れていて、しみじみと美味しいお味ですわ。このそば米というものははじめて頂きましたが、食感がプチプチしていて楽しいですわね。なんだか病み付きになりそうですわ」
「ありがとうございます! もしよかったらお代わりもございますので遠慮なく言ってください。すぐ持ってきます!」
「じゃあ、先に私にお代わり頂戴!」
アワラの美しい食べ姿を眺めようとしていた俺の視界を遮るように、一本の腕が付きだされた。ユモトだ。
その手にはしっかりと椀が握りしめられている。
まったく、コイツはなんで邪魔ばかりするんだ!
その腕を無視するように、俺はカウンターの電熱器の上に置いておいた鍋を指さす。
「うん、あっちにあるから自分でよそえばいいんじゃないかな?」
「なんで!すぐに持ってくるって言ったじゃないのよ! 差別じゃん!さーべーつー!」
「素敵なお姉さんにはご奉仕したくなるけど、お前のようなガサツな奴に頼まれてもうれしくないからなぁ」
「なんですってー! こんな可憐でおしとやかな美少女に何て言い草!!」
「だから、そのおしとやかって意味、俺たち人間の意味と鬼が使う意味じゃ違わくね?」
俺の言葉に、ユモトがムキになって突っかかって来る。
あー、なんかこれ面白いかも。
どうやら猪突猛進タイプらしいユモト。からかえばからかうほどいちいち反応が返ってくる。
やべぇ、楽しい。
こういう関係、意外と新鮮かもしれないな。
その様子を見守っていたアワラが、クスクスと微笑みながら言葉をかけてきた。
「二人ともすっかり打解けたようですわね。うらやましいですわ。 ところで、このおつゆ、すごくおいしかったですわ。お代わりをお願いしてもよろしいかしら?」
……何か勘違いされてしまっているようだが、美しいアワラさんの頼みなら断る理由など何処にもない。
当然のこととして、俺は二つ返事で引き受ける。
「もちろんお願いされます! まぁ、仕方ないからユモトのもついできてやろう。 ミササちゃんはどうする?」
「あ、そうしたらミササの分もおねがいなのですー」
俺の呼びかけに、ミササも両手でしっかりと椀を握って差し出してくれた。
妹かわいいというのかこういうことなんだろうな。うんうん。
まぁ、それはさておき、どうやら今日の料理は三人の口にもあったようだ。
これこそ、料理した甲斐があるというもの。手ごたえは上々だ。
素知らぬ顔でお吸い物のお代わりをよそっていた俺だったが、心の中ではこっそりとガッツポーズをしていた。