2 オニの親父がやってきました
「おーい、そろそろ起きてもらえんかねー?」
野太いオッサンの声が俺の耳に突き刺さってきた。
その何とも言えない迫力のある声に、慌てて布団から飛び起きる。
どうやら俺は再び眠ってしまっていたようだ。
頭をぶるぶるっと振るって意識をはっきりさせてから、辺りをぐるっと見渡す。
そこは先ほどと同じ我が家の見慣れた客室。正面には、ツノ付き三姉妹も先程までと同じようにちょこん座っていた。
しかし、先ほどまでとはたった一つだけ様相が異なっていた。
推定長女の隣に、赤ら顔をしたオッサンがどっかりと座っていたのだ。
しかし、このオッサン、オーラ半端ないな……。
一見して高そうなシャツの胸元からはあからさまに鍛え上げられた筋肉を覗かせてるいし、首にはふた昔前のゴッツイ系野球選手がつけてそうな金ネックレスがキラキラ輝いている。
表情もいかついし、頭は今どき珍しいパンチパーマがビシッと決まっている。
そしてトドメが、頭のてっぺんから生やしている立派なツノ。
ということで、三姉妹の身内……というか、推定オヤジさんというところだろうな。
俺はそんなことを考えながら、自分の頬をぐりっと抓った。
うん、しっかり痛い。
残念ながら、どうやら夢ではないようだ。
そうなると……、これ以上現実逃避していても仕方が無い。
オニだろうがなんだろうが、お客様はお客様だ。
この宿の一員として、きちんとおもてなしをしなければ。
腹をくくった俺はもう一度自分の身なりを確認すると、布団から降りて居住まいを正してから、正面に座る四人に向けて深く頭を下げた。
「っと本当に失礼いたしました。連絡不行き届きでお客様にご迷惑をおかけしてしまい……」
俺が謝罪の言葉を紡いでいると、三姉妹のオヤジさん(推定)が割り込んできた。
「あんさん、何ゆーとるんや。ワテら客人ちゃうで。むしろこの屋敷のオーナーやな」
……えーっと、このオッサンは何を言ってるんだ?
それとも、もしかして俺の思っている場所と違うのか?
俺はもう一度ぐるっと辺りを見渡した。
天井も、壁も、設えも、全て見慣れた光景である。
うん、ここは間違いなく俺の実家『峠の宿 草下』だ。
あー、そうか。さては、ちのオヤジが仕込んだドッキリだな。
ったく、あのオヤジ、またつまらんことしやがって……。
俺は相も変わらずろくでもないことしかしない父親に怒りにを覚える。
しかし、そんな様子にお構いなく、オヤジさん(推定)は説明を続けてきた。
「あんさんがユウマくんやろ? ワテの名はリューオウ。あんさんのおやっさん、ドウゴウはんとはずいぶんと古くからの付き合いでのぉ……」
「は、はぁ」
えーっと、うちの親父このとっても怖そうなオニの親父さんと古くからの付き合い……、まぁ、顔だけならマブダチって言ってもおかしくはなさそうだ。オヤジも、客の子供がビビるレベルで強面だし。
……って、そういうことか。きっとこのオヤジさんも三姉妹も、劇団員か何かだ。
このオニのツノもきっと特殊メイクってやつだな。うんうん。
そんなことを考えながら俺は適当に相づちを打っていく。すると話はさらに続けられる。
「で、こないだドウゴウはんがうちのやっとる店の一つに遊びに来た時に久しぶりに会うてな。話を聞いたら、どうもこの宿の経営があんまり芳しくないようとこぼしとったんよ」
ほう、店ということは、このオヤジさんは居酒屋かスナックかなんかのオーナーさんかな。ということは、劇団員じゃなくて、スナックオーナーとホステスさん……にしては、一匹小さいのが混ざってるな。
というか、うちのオヤジも何を外で内情ばらしてるんだ……。
「それでな、最近ワテも年齢のせいか腰をいわしてもうて、そろそろこっちでゆっくりできるところが欲しいと思うとったんよ。聞けばこの宿の温泉、なかなかいいお湯が出とるという話やないか」
「え、ええ、うちの温泉は、この一帯でも最高の泉質だと自負してますが……」
宿の温泉に言及され、俺はつい自慢げに答えてしまった。
この小さな温泉宿『峠の宿 草下』の数少ない自慢が“源泉かけ流しの天然温泉”だ。
この宿がある鬼滝温泉郷の一帯では数か所で源泉が湧き出ているのだが、その中でもうちの宿の敷地から湧いている源泉が一番“原脈”に近いらしい。
このおかげで湯が濁るほど成分が濃く、『茶泉』なんて呼ぶ人もいたりするほどだ。
ただ、成分が濃い一方で、湧出量が少ないのが難点だ。
大きな露天風呂等を作っても、膝どころかくるぶしほどしかお湯を張ることができない。
実際、うちの宿にあるのも“家族風呂”程度の小さな貸切用露天風呂だけである。
普通のお湯で薄めてしまうこともできなくはないが、それではこの最高の泉質を殺してしまうので現実的には難しい。
結局は、この温泉を生かすためには、お客様の数をそうそう増やせないという訳なのだ。
「まぁ、ドウゴウはんも温泉宿にしちゃあ風呂が小さいとかゆーとったが、ワテらだけで使うんだったらちょうどええやろうしな。ということで、この宿、ワテが買い取らせてもろうたんや」
「ああ、そういうことで……ってええ!!? ここ、俺ん家っすよ!!」
思わず荒っぽい口調になる俺。 ちょっと待て、ど、どういうことなんだこれは?
買い取らせてもろうたって、それって、オヤジがこの宿を売ったってことだよな!?
確かに小さく鄙びた温泉宿だが、それでも愛着ある俺の実家だ。
それを家族会議もせずに簡単に売るだなんて、さすがに受け入れることが出来ないぞ。
……というか、家を兼ねてるこの宿が売られたって、俺はどこに住めばいいんだ?
「そんなに心配そうな顔をしなさんな。考え事が口にでとるで。あんさんのことはドウゴウはんからもちゃんと頼まれとる。どっちにしろ、ここの管理を誰かに頼まなきゃならんわけやし、管理人としてそのまま住んでてくれなはれ。仕事してくれた分はちゃんと給金も払おう思っとるし、安心しなはれや」
混乱のあまり心の中を口からだだ漏れにしていた俺に、オヤジさんが声をかけてきた。
なるほど、とりあえず今と変わらない生活は送れるということか。
……しかし、どうにも頭が痛くなってきたな。えーと、もう一度話を整理しよう。
要するに、うちの親父は代々伝わるこの宿を、今正面に座っているリューオウさんに売り払った。この際、リューオウさんが人間なのかオニなのか、はたまた何者なのかとりあえず横に置いておこう。
で、俺は売られた実家の管理人として雇われれて、軒先を借りて住まわせてもらう……、なんだこれ。マジか?ほんとうに現実か?
落ち着いて考えても、やはりすぐに納得できる話ではない。
というより、そもそもこの話に“肝心な人物”の姿が見当たらないじゃないか。
俺は、その人物の所在をリューオウさんに尋ねる。
「そういえば、うちの親父はどこにいるか知りませんか? 朝から姿が見えないんすがが……」
「おお、そうそう。ドウゴウはんからあんさん宛ての手紙、預かっとりましたわ」
リューオウはそういって一通の手紙を懐から取り出し、俺に差し出した。
受け取った手紙をビリビリっと開けると、俺は早速中の手紙に目を通す。確かに親父の筆跡だ。
えーっと、なになに……
息子よ、リューオウのダンナから聞いていると思うが、この宿はちょっと売ってみた。
とりあえずお前の世話は約束してもらっているから安心してくれ。
ということで、まとまった金も入ったし、母さんと共にちょっと異世界一周旅行に出かけてくる。
あとは任せたし、頑張るんだぞ。
ぺしっ、げしげしげし。
俺は親父の手紙をぐしゃぐしゃと丸めると、ゴミ箱へロングスローをかましていた。
しかし、コントロールが悪く、床に落ちてしまう。
手紙まで俺のことをバカにするのか!! 気が付くと俺は、床に落ちた紙玉をゲシゲシ踏みつけていた。
その様子にびっくりしたのか、、推定次女が慌てて止めに入る。
「ちょっと、お父さんからの手紙なんでしょ? 何が書いてあったか知らないけど、そんな無下にしたらだめじゃない!!」
そう言われながら、俺は後ろから羽交い絞めにされた。
お放しくだされ、凶暴娘どの、せめてあと一踏み、あと一踏み……!
圧倒的なパワーで身動きが取れなくなった俺が何とかオニ娘を振りほどこうとしたその時、この背中にこれまでに感じたことのない感触が伝わってきた。
そう、大きく柔らかな、しかし弾力があり温かみがある……なんと心地よいのだろう。
例えるなら、うちの極上の温泉の湯が詰まった二つの大きな水風船のような、至福の感触だ。
もしかしてこれって……。俺は背中に伝わるその気持ちの良い感触に全神経を研ぎ澄ます。
「ユモトねーたまっ、おにーちゃん、もうあばれるのをやめてますよー。とってもきもちよさそうなおかおをしてるのです」
こら、ちびっ娘はいらんことを言うんじゃありません。こんな心地よい感触を味わって暴れるわけないじゃないですか。もう少しこのまま堪能させください。
そう思っていた俺の背中に突然氷のように冷たい空気が伝わってきた。
次の瞬間、背後からゴゴゴゴゴという音が鳴り響き、強烈な殺気が伝わってくる。
のっぴきならない気配に命の危険を感じた俺は、一つの仮説を立てながら恐る恐る振り向いた。
その仮説はどうやら正解だったようだ。
視線の先に仁王立ちしていたのは、まさに“鬼”であった。
そりゃ、凶暴娘はオニなんだから、彼女が仁王立ちすれば“鬼が仁王立ち”で全く持って間違っちゃいないだろう。
しかし、今はそういうことを言っているのではない。
そう、文字通り“鬼が仁王立ち”しているのだ。
なるほど、“怒髪天を衝く”というのはこういう状態をいうのね。
次の瞬間、先ほど俺が踏みつけていた親父からの手紙と同じように、凶暴娘の足が俺の股間を無残に踏み潰した。
「くぁwせdrftgyふじこ!」
そこに残されたのは、言葉にならない奇声だけであった。