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懐古堂奇譚  作者: りり
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第一章

 明け方のまだ薄暗い時分に、四宮(よつみや)茉莉花(まりか)は布団の中で不意に目が覚めた。

 首を廻らせてあたりを見ると、案の定枕元に灰色の縞猫がちょこんとすわっている。猫は淡い緑色の目でじっと茉莉花を見つめていた。

「‥仕事?」

 縞猫はうんとうなずく。

「柳女のお艶が、『懐古堂』の主人を急いで呼んでこいってさ。」

「‥‥支度するから待ってて。」

 しぶしぶ布団から起き出して、茉莉花はパジャマのまま廊下に出た。顔を洗うためである。縞猫が呼びに来たのなら―――起きねばならない。

 茉莉花はこの春高校を卒業したばかりである。

 三年前に他界した祖父が切り盛りしていたこの古道具店『懐古堂』を引き継いでちょうどふた月が過ぎた。

 『懐古堂』は表向きは古道具屋を商売にしているが、実は人と人にあらざるモノの間に起こるトラブル解決が本業である。物の怪たちからは交渉屋と呼ばれていた。

 店にある古道具たちは、以前付喪が生じたり霊に取り憑かれたりして持ちこまれ、普通の道具に戻った後も元の所有者が引き取らなかったものだ。一応、販売している。

 縞猫は『懐古堂』のいわばエージェントで、隣接した無人の社を棲みかにしている。人でも物の怪でも幽霊でも、『懐古堂』に用がある者は縞猫が案内するきまりだ。

 顔を洗うと長いまっすぐな黒髪を一つに結わえ、急いで仕事用の振袖を身につけた。

 鼻緒に金の鈴がついたぽっくりを履いて、帯にも鈴を挟みこみ、『懐古堂』の名入り提灯を手にまだ薄暗い店先に出て行く。

 店は間口二間、奥行き三間の土間と、畳一畳分くらいの框があるだけで、框の奥は今出てきた総二階の住居部分に繋がっている。土間にはきれいに磨き上げられた道具類が所狭しと並び、入口から向かって右手には重厚な漆喰塗りの扉がでんと鎮座していた。土蔵への入口である。

 茉莉花はその重い扉をよいしょっと開けた。

 押入一間分くらいの隙間をおいて、更に三つの格子戸がある。上にそれぞれ、『壱ノ蔵』『弐ノ蔵』『参ノ蔵』と書かれた木札がかかっていた。

 案内して、と声をかけると、縞猫がどこからともなくすとんと降り立ち、『参ノ蔵』の前に立った。

「物の怪街道から柳土手へ行くよ。」

 うなずいて茉莉花は格子戸を開けた。真っ暗な中へ足を踏み出す。ぽっくりの鈴が一足ごとにころん、ころんと柔らかい音を立てた。

 まもなく前方に賑やかなざわめきが聞こえてきた。

 川縁の柳の木がさざめいて揺れている。

「あれが柳女の小料理屋だよ。」

 縞猫が顎でしゃくってみせた方角に、ぽつんと一軒だけたたずむ小料理屋が見えた。

「柳女は通りがかりの人を取り殺す妖怪‥ほんとに危なくないの?」

 縞猫の案内ならば危険はないはずだが、一応入る前に確認しておく。

「お艶はここ六十年ほど悪さはしてないはずだよ。昔は気に入った人間の男を取り殺してたらしいけどね。おいらが知ってる限りは、ここで妖し相手の小料理屋をやってる気のいい姐さんさ。」

 縞猫はぴょん、と跳ねて振り向いた。

「長年の想いがかなって惚れた男と連れ添うことができたから、もう取り殺す必要がなくなったんだと、おいらの死んだ祖母ちゃんが言ってた。」

 へえ、と茉莉花は微笑した。それはなかなかいい話だ。

 ころん、ころんと鈴を鳴らしながら茉莉花は店に近づき、がらがらと戸を開けた。

「今晩は。『懐古堂』でございます。お艶さんのお宅はこちらですか。」

 そこには十数人―――いや十数匹だろうか―――の見たことのない物の怪たちがひしめいていた。彼らはいっせいに振り向き、おおっ、とどよめいた。

「『懐古堂』の提灯だ‥。ほんとにまた開業したんだな。」

「やけに小さい小娘だが大丈夫なのかねえ?」

 そう言った風船みたいなでかいヤツをちらりと見遣って、あんたの顔が大きすぎるだけよ、と心の中で悪態をつき、茉莉花は三つの鈴を手に触れずに一定のリズムで鳴らした。

 途端に奥に見える座敷まで、すうっと人一人分の道が通った。

「『懐古堂』さん。お初にお目にかかります、お艶と申します。」

 長い黒髪の美女がすっと立ち現れて、艶然と微笑んだ。

「お呼び立てしてすみませんねえ‥。さ、こちらの座敷へどうぞ。」

 お艶は提灯を提灯掛けにおいて、座敷へ茉莉花を案内すると、物見高くついてきた店の客らしい物の怪たちの眼前でぴしゃり、と襖を閉めた。

「‥ったく、煩いったらありゃしない。野次馬なんだから、もう。」

 ぶつぶつつぶやくと茉莉花の方へは微笑を向け、座布団を勧める。言われるままに腰を下ろすと、座敷にはお艶の他に二人いた。

 一人は和服姿の美少年で、どう見ても未成年だろうに、なぜか主人よろしく床柱の前で煙草盆を脇にすわり、懐手で煙管をくゆらせていた。もう一人は胸の大きくあいた薄っぺらいドレスを着た若い女だった。うつむいて涙ぐんでいる。

 お艶はぽっと顔を赤らめながら、少年を自分の連れ合いだと紹介した。

 茉莉花は大して驚きもせず黙って軽く頭を下げる。人でないならば外見は何でもありなのだ。少年は会釈を返し、にやりと笑って市之助と名のった。

「用件というのはねえ、この女の面倒を見てやって欲しいんですよ。実はこの子、迷子の浮遊霊らしくてね。うちの人が先刻土手で拾ってきたんだけどね、名前も何も覚えてないっていうから困ってるンです。」

 お艶が喋るそばで、女は身を竦めた。ぽたぽたと膝に涙をこぼしている。

「四十九日過ぎた仏さんなら、こっちで面倒見てやるんだがね。どうやらまだ死んでまもねェらしいのさ。つまりまだ、人の領分なんだよ。わかるかい、嬢ちゃん?」

 市之助が冷めた目で茉莉花を見据えた。

「ええ‥。こちらで縁ができてしまったら、成仏できなくなるという意味ですね?」

 茉莉花は静かに見返して答え、それから泣いている女へ視線を移した。

「話はわかりました。この人はわたしが引き取りましょう。」

「おいおい、対価を決めねえでいいのかい? あんた、商売だろうが。」

 煙草をくゆらせながら、市之助が揶揄するような口ぶりで言った。茉莉花は再び静かな目を向ける。

「対価はこの人が無事成仏できれば、その時に貰います。あなたがたに払っていただくわけにはいきませんでしょう? 縁ができてしまいますから。」

 煙の陰で切れ長の冷めた目が一瞬微笑したように見えた。

 若い二代目店主を試してみたのだろう。茉莉花は自分の言葉を反芻して、余計な言葉を言わなかったかと確かめた。

 お艶と市之助に向かい、一礼すると、茉莉花は泣いている女に手をさしのべた。

 女はひどく不安そうに茉莉花を見上げて、それから市之助の方を向いた。

「行きなよ。大丈夫、その娘は人間だよ。あんたの場所を探してくれるさ。」

 冷めた瞳をじっと見つめ、女は漸ううなずいて茉莉花の手を取った。茉莉花はひんやりした白い手をぎゅっと握りしめると、襖を開ける。

 揃えたぽっくりの上にすわって番をしていた縞猫がすっとどいた。

 背後でお艶が市之助に向かって、ほんとに女に甘いんだから、と文句を言う声が聞こえた。襖を閉めようと振り向けば、どさりとお艶が市之助を押し倒したところだった。

 もう少し待てないものかと呆れ返って襖を閉め、ぽっくりの鈴を鳴らして野次馬を払った。片手に提灯、片手はしょんぼりしている女の手を引き、来た時と同じように縞猫の案内で土手の道を戻る。しばらくして、『参ノ蔵』の開けっ放しの扉が見えた。

「はあ‥。着いた。」

 知らぬ間に緊張していたようで、頸筋が汗でじっとり濡れている。

 硝子戸の外はすっかり明るくなっていた。柱時計を見ればもう六時だ。

 茉莉花は女の手を握ったまま、話を聞くべく奥へと誘った。


「ふうん‥。記憶にあるのはその言葉だけなのね‥。」

 はい、と消え入りそうな声で女はうなずいた。

 人間界へ戻ってきたためか、彼女の姿はお艶の店にいた時よりもいくらかはっきりしていた。派手な金色に染めた髪といい、ごてごてとしたネイルといい、茉莉花の目にはキャバクラか風俗に勤めていた女性のように見えるけれど、近頃は普通の女性でもこんなふうななりをした人はたくさんいるから自信はない。

 ともかくも手がかりは初めに出たという土手の風景と、たったひと言の言葉だけなのだ。

 見覚えのない風景でも縁があるからその場所に出たわけで、彼女の体がその土手の近くにある可能性は高い。それに自分の名も忘れているのに憶えている言葉というのは、彼女が幽霊になって彷徨っている理由―――つまり心残りというかこの世への執着みたいなものと深い関係があるからだと思われた。

 茉莉花は女にそういった説明を丁寧にしてやって、訊ねた。

「声はどう? もう一度聞けば思い出せそう?」

「たぶん‥。」

 彼女は首をかしげた。

「‥その声はどんな感じがするかしら? つまりね、その男の人の声を胸の中で繰り返してみて、どんな感情が湧いてくる?」

 女は胸に手を当てて目を閉じた。

「怖い‥ような‥。悲しいような‥。切ない‥ような気もするけど‥。」

「‥はっきりした恐怖感ではない? ぞくぞくするほど、いてもたってもいられないほどの恐怖。そういった感覚はないのね?」

 女は目を開けて茉莉花を不安げに見返した。

「あなたがいうのはつまり‥。あたしはその人に殺されたんじゃないかっていうこと?」

「さあ‥。まだ何とも言えない。あなたの死因が病死だった場合に、最期を看取った人の言葉だとしても全然不自然ではないから。」

「そうね‥。」

 ―――これでさよならだよ。短い縁だったね。‥‥しず。

 女はうなだれて、もう一度言葉を繰り返した。

「じゃあ‥。『しず』っていうのがあたしの名前なのかな。」

「自分でどう感じる? あなたの名前だとしっくり腑に落ちる?」

 彼女はゆるゆると首を振った。

「わかんない‥。どうなのかな?」

「‥‥本名じゃないのかもしれない。でも仮に『しず』さんて呼ばせてもらってもいいかしら? 名前がないと不便なので。」

 再び女はうなずいた。

 そこへいきなり襖がからりと開いて、三才くらいの童女が飛びこんできた。

「姫さまぁ、申し訳ありません! 寝過ごしてしまいました‥!」

 古風な振り分け髪の、赤い袴をつけた童女はまっすぐ茉莉花の前に走り寄り、かしこまって正座した。

「桜。お客さまよ。騒がないの。」

 桜と呼ばれた童女は、真っ白な京人形そっくりの(おもて)を『しず』に振り向けた。そして向き直ってすわり直し、おいでなさいませ、と丁寧なお辞儀をする。

 驚いている様子の『しず』にお構いなしに、茉莉花は桜に達磨のおじさんを呼んできて、と言いつけた。

「はあい。」

 桜はぱたぱたと駆けだしていったと思うと、すぐに店の方から五十がらみのいかつい顔をした男の手を引いて戻ってきた。真っ黒い顔に太い眉、赤くはないが達磨に似ている。

 茉莉花は二人にすわるよう言って、『しず』の方へ向き直った。

「『懐古堂』の住人で達磨のおじさんと桜。‥‥こちらはクライアントの『しず』さん。記憶を失くしているのでしばらくの間、お世話してあげてね。」

「どうぞよろしゅう。黒達磨と申しやす。幽霊さんですね?」

「はあ‥。」

 『しず』は黒達磨に会釈を返し、何とも微妙な表情を浮かべた。


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