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懐古堂奇譚  作者: りり
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第十二章

 ―――黒い角が二本光って。人が、ばったり倒れて‥‥。

 黒鬼は急遽(きゆうきよ)荷造りをしている咲乃の横で黒猫の言葉を思い出していた。

 気になるのは二本の黒い角、という点だ。

 赤鬼や青鬼の角はそれぞれ体と同じく赤と青であって、一本しかない。角が二本生えていて黒いのならば―――白鬼(びやっき)だ。

 白鬼は肌も髪も爪もすべてが真っ白で、角だけが黒い。黒鬼と同じく黒曜石のように輝く黒だ。瞳が金色に光るのも同じで、赤鬼と青鬼は瞳もやはり赤と青である。そのため黒鬼は白鬼の亜種だと言われた。

 鬼人界でも白鬼に生まれつくのは百人に一人と言われている。全部で五百人に満たない鬼人界では、いてもせいぜい四、五人だろう。黒鬼はあいにくと出会ったことはないが、他の鬼人に比べて霊力はもちろん、知能も身体能力も何もかもが圧倒的に高いと聞いた。だから白鬼に生まれついた者はすぐに中央の霊山(りようざん)へ召し出されて、いずれ統率者の一員となるべく育てられるのだそうだ。

 そんな白鬼が人間界に来て何をしているのだろう? 鬼人界を統べるべき存在が何ゆえ、猥雑な低次の世界にいるのか―――理解できない。

「煌夜‥?」

 咲乃のためらいがちな声がした。振り向くと不安げなまなざしがこちらを見ている。

「‥どうした?」

「ううん‥。何だか怖い顔してるから‥。」

 咲乃はまた服をたたんで鞄に詰め始めた。うつむいたまま、ごめんね、とつぶやく。

「なぜ‥謝る?」

「だって‥。こんなつもりじゃなかった。あたしは‥あたしでも、あなたの役に立てると思ったの。ごめんね、何だかよくわからないごたごたにまきこむはめになっちゃって‥。」

「おまえのせいじゃない。」

 黒鬼は咲乃に近づいて、髪を一房そっと手で(すく)い、口づけた。

 彼女の髪は毛先の一本一本にまで霊力が満ち溢れている。

 煌夜、と彼女は再び見上げ、おずおずと頬笑んだ。

 しかもそれが全部俺のものだ―――黒鬼は静かに微笑み返した。護ってみせる、相手が白鬼だから何だと言うのだ? 咲乃は誰にも渡さない、決して。

「あの女が言ってただろう? おまえは何も考えなくていい。俺を信じろ。」

 うん、と咲乃はうなずいた。今度ははっきりした笑みを浮かべる。

 腕の中に引きよせて軽く唇を合わせた。咲乃の体から(ほとばし)るように霊力が沸きたつ。それは黒鬼を柔らかく包みこみ、全身をめぐって力を増幅していった。

 心地よい、熱いものに隅々まで満たされていく感覚―――だが黒鬼は自分の中に溢れだすその感情の、ほんとうの名前を知らなかった。


 瑞穂は妹たちとカフェテラスでお茶を飲みながら、沈んだ気分を拭えなかった。

 原因ははっきりしている。咲乃と咲乃が『懐古堂』と呼んだあの女性―――二人の霊力の高さに圧倒されてしまった事実だ。

 いずれ四宮本家の当主となるべく生まれついた瑞穂の力が、彼女らに見劣りするなどこれ以上ない屈辱だった。

 妹たちには母屋で漏れ聞いた話だけ告げ、咲乃の様子見に出かけたのは内緒にしている。

 自分の中で気持ちの整理がつくまではとても話せなかった。

 それにしても咲乃に霊力があったなんて、まったく気づかなかった。最初は傍らにいた妖しの男の力かと思ったが、どうやらあれは咲乃自身の力だ。それくらいはいくら動顛していても、見分けがつく。

 頭を冷やして考えれば、本家にいた時には誰かが封じていたのだと推測できる。たぶん祖母だろう。何のためにとは考えるまでもなく、こうして利用するためだ。

「‥‥あの鬼婆あ‥!」

 瑞穂はストローを噛みながら小声で罵った。

 実の孫でさえ目的のためには容赦なく利用する。四宮のいかにもやりそうなことだ。

 瑞穂だって四宮の使命はちゃんと心得ているけれど、自分から命を懸けるのと理由(わけ)もわからずに他者に犠牲を強いられるのとでは大違いだと考える程度の常識は備えている。祖母には四宮に属する者はすべて、当主である自分の手駒にしか見えていないのだ。

 『懐古堂』の名は聞いたことがあった。確か、四宮のそんなやり方に反発して縁切りした分家の生業(なりわい)だ。

 さっきの彼女は分家の末裔なのかと思えば、理不尽な怒りが胸にもやもやと湧きあがってくる。本家の跡取りがなぜ分家の(すえ)に遅れを取らねばならない?

「しかも二人揃って、あんなイケメンの彼氏を連れてさ‥! あったまきちゃう‥!」

 独り言を聞き咎めた早穂が、何の話かと訊ねた。

「何でもない‥。」

「怪しい。瑞穂、もしかして咲乃の彼氏を一人で見にいったんじゃないの?」

 一つ年下の花穂がにやにや笑いながら肘を突っついた。

 生意気なことに妹たちにはボーイフレンドらしき存在がちゃんといる。早穂など中学生の身でなぜか三人とつき合っているし、花穂の方はやたらしょっちゅう変わる。なのに瑞穂ときたら、男の子と二人きりで出かけるどころか申しこまれた経験さえ皆無だった。

「白状しなさいよ。咲乃の彼氏ってどんな人?」

「‥‥人じゃなかった。たぶん‥妖怪なんだろうけど、あんなの見たことも聞いたこともない。凄い力だったよ。きっとお祖母さまでも封じられない‥‥ううん、人の力でどうこうできる相手じゃないと思う。」

 しぶしぶ話し始めると、妹たちの顔が青ざめてきた。

 聞こえたのは断片的だったが、だいたいの内容を把握するには十分だった。特に耳に残っているのは『誰も彼もが咲乃を利用しようとしている』との言葉だ。

「‥‥あたしと早穂だっていつ咲乃みたいに利用されるか、わかったもんじゃないね。」

 ぽつりと花穂がつぶやいた。

「そんな真似はあたしがさせない。」

 瑞穂はきっぱりと言った。

「あんたたちは知らぬふりをしていなさい。あたしは‥紫叔母さまがほんとに生き返ったのか、確かめてみる。」

「ヤバいじゃん‥。それ、確かめて何になるの?」

 早穂は不安げに姉を見つめた。

「『懐古堂』へ行く。紫叔母さまの情報と引き換えに、いったい東京で何が起こっているのか聞き出すつもり。」

 もしかしたらあのイケメンの彼氏がいるかもしれないし、と瑞穂はちょっと期待した。

「その時はあたしたちも一緒に行く。ね、早穂。」

「え? 来るの‥?」

「もちろん。『懐古堂』ってお爺ちゃんがやってるとばかり思ってたのに、若い女性がやってるなんて興味あるもん。それに瑞穂の言うイケメンの彼も見たいし。あたしの徹クンとどっちがカッコいいか比べなきゃ。」

「徹クンて‥。花穂、あんたまた彼氏変えたの?」

「ううん。知り合ったばかりで、まだ彼氏とまでいかないんだけど‥。素敵なのよ。」

 花穂はうっとりとして、写真見せてあげる、と携帯の画面をこちらに向けた。

「‥‥外人?」

「クウォーターだって。素敵でしょ?」

「一度お茶しただけって言ってなかった? なのに徹クン呼ばわり?」

 早穂のツッコミにすました顔で花穂は当然よ、と答えた。

「でもこの写真‥。隣にいるのは亜沙美さんじゃないの?」

「まあね。お母さまに言われて、亜沙美さんの買い物に付き添っていた時だから。でも声かけられたのはあたしよ。」

 花穂は胸を張って答えた。

 亜沙美というのは、先月から見習いとしてやってきた遠縁の女性で、三十くらいの胸の大きな美人だ。山奥の小さな集落から出たことがなかったとかで、東京では買い物もろくにできないから母の命令で花穂が付き添った時のことらしい。瑞穂は少し頭が足りないのだと思っている。

「今は仕事で海外に行ってるけど、メールにはいつも返信くれるし。お土産も買ってきてくれるって。ね? もう徹クンで構わないわけよ。」

 はいはい、と気のない返事をして瑞穂は溜息を呑みこんだ。


 その晩茉莉花は、いろいろな情報を考え合わせた結果出た推論を、鳥島と夜鴉の若頭領に説明した。

 四宮本家の思惑は、葛城真生の娘である咲乃を使って若頭領のもとへ葛城を誘導し、夜鴉一族の手で葛城を抹殺させるのが第一の狙いであったろうということ。もう一つは紫の霊力珠を取り戻すこと。更に人間に手を出したことを理由に、夜鴉一族を始めとして物の怪を東京から一掃する狙いもあったかもしれない、と付け加えた。

 若頭領は怒りを抑えきれない様子で、茉莉花に根拠を訊ねた。

「一つめは想像どおりだがね。三つ目は‥どうしてそこまで考えられる?」

「まずは順を追って説明します。鳥島さんと剣羽さんたちが調べてきてくれた『御霊の会』の非道な所業は、ここ一年から半年ばかりの間に頻発し始めました。教団が発足してからおよそ十二年、それまではこれほど目立つ振舞いはしてこなかったのになぜなんでしょう? どうやら葛城は急に大金が必要になったらしいのです。」

 これは(あきら)が佐山徹として調べてくれた情報だった。

 『メルサ』のオーナーが仲介に立って、葛城は多大な金を誰かに支払っている。一部はリズを貰い受ける代金として坂上にも渡ったようだったが、大半は白田と名のる白髪の男が受け取っていた。

「葛城は白田に何かを依頼したのでしょうが、それはリズさんが魂を剥がされた時期とほぼ一致しています。」

「じゃあ‥。リズの魂を剥がしたのはその白田とかって男なのか‥?」

「‥正直なところわかりません。魂を剥がすだけなら自分でできたはずなのに、なぜ大金を払って依頼する必要があったのか‥。一方で数日前、生きているリズさんの体が目撃されています。本名の尾崎亜沙美の名で‥四宮花穂という少女と歩いていたそうです。」

 鳥島は目を見開いて、茉莉花を凝視した。

「‥‥生きているのか。」

「別人です。目撃者に同行していた守護精霊に確かめましたが、リズさんの気配とは似ても似つかなかったそうです。けれど体は生きていました。」

 若頭領は鳥島に同情のまなざしを向け、魂を入れ替えたのさ、とつぶやいた。

「あんたの女が体を取られたのは五月の話なんだろう? 今はもう七月だ。普通ならとうに体が腐ってておかしくない頃合いだ。それがきれいに融合してるとなると‥。ただ人の魂じゃねェな。『懐古堂』、おまえの懸念どおり‥中に入ってるのは、葛城が持ってたはずの四宮紫の魂だろうぜ。」

「やはり‥若頭領もそう思いますか?」

 吐息をついて、茉莉花はうつむいた。

「詳しくはわかりませんが‥。リズさんを見つけてようやく、葛城は紫さんを生き返らせるめどが立ったのでしょうね。でも四宮紫の霊力珠で彼女自身の魂を扱うのは危険だったので、大金を支払って白田に依頼したと考えれば腑に落ちます。ここ一年余りの荒稼ぎは白田への依頼料を得るため‥。亜沙美さんの魂は無理矢理に吸い出されて、数珠の一つにでも封印されたのかもしれません。」

「惨い真似をする。で、その白田って男は何もんだい?」

「‥‥鬼人かと。」

「鬼人‥? 鬼人がなんで人間界に干渉するんだ? ()せねェな。」

「真の目的はわかりません。大金を要求する理由も‥。人として生きるつもりなのでしょうか‥?」

「さもなきゃ‥組んでいる人間が他にもいるんだな。金が欲しいのはそいつだろうよ。」

 若頭領は眉根に深い皺を刻んで、腕組みをした。

 黙っていた鳥島が口を開いた。

「リズの‥いや、亜沙美の体はどうなる‥? 中の魂が融合しているというのは平たく言えば、ちゃんと生きてる別人になったということなのか。」

「まだ‥何ともいえません。このまま寿命を生きられるものか‥わたしには疑問です。」

「だけど融合しているうちは体を取り戻せないだろう? 人殺しになってしまう。」

「確かに尾崎亜沙美さんは、戸籍上生きているわけだから‥。」

 茉莉花は再び吐息をつく。

「それに解らないのはここ数日、葛城が夜鴉一族を意味もなく殺戮していることです。紫さんを四宮に取り戻されたのなら、若頭領に助力を願うところでしょうに‥。むしろわざわざ敵に回すような行為をなぜするのでしょう?」

 返事はなかった。

 深い吐息の後で、若頭領が苛々と口を開いた。

「何にせよ鬼人がいるなら、悔しいが迂闊には動けない。当面は四宮と教団の双方に目を光らせておくしかねェな。‥‥どうする、『懐古堂』? この先俺たちと共闘する気はあるかい? 一応人間だからな、物の怪の味方につくわけにはいくまいが。」

「わたしは‥‥咲乃さんにつきます。彼女に関する遣り口は人を守る四宮本家の職分を逸脱していますから、交渉の余地があるかと思うのです。」

 若頭領はびっくりして、目を上げた。

「つまり‥四宮と直接交渉する気かい? 驚いたね。‥俺にとっちゃ否やはねェよ。無駄な血は流したくないからな。四宮が了承するなら、葛城真生の始末は夜鴉一族が引き受けてもいいがね。ただし鬼人を四宮が片づけてくれたらの話だ。」

「鬼人が四宮側にいたら‥どうなさいますか?」

 若頭領は険しい視線を茉莉花に向けた。

「そりゃ掟破りだぜ。そう考える根拠があるのか?」

「尾崎亜沙美さんが四宮本家に滞在している事実があります。むろん、白田の正体を知らないで取引した可能性もありますけど‥。」

「四宮が鬼人を使っていると判明したあかつきには、一族の総力を挙げて攻撃する。たとえ全滅しても、だ。」

「‥思うつぼかもしれません。」

「さっきおまえが言った三つめ、東京から夜鴉の闇を一掃するってヤツかえ? ‥ふん、こっちも無策じゃいねェよ。鬼人は無理でも四宮の首だけは取る。むろんできればそんな事態にならねェよう願いたいがね。」

 若頭領は立ち上がり、翼をばさり、と広げた。澱んだ深い闇がびっしりと取り囲む。

「‥‥これをやる。鈴と一緒に身につけるといい。」

 手渡されたのはつやつやした漆黒の羽だった。

「これは‥?」

「危なくなったら念をこめてこれを飛ばしなよ。俺が直々に助けにいってやる。‥おまえみたいに綺麗な女が、若い命を散らすのはもったいないからな。」

 茉莉花は素直に礼を言って、若頭領の羽を懐にしまった。


 若頭領が去った後、茉莉花はおずおずと鳥島を振り返った。

「鳥島さん‥。あの‥」

 茉莉花が言葉を探して逡巡している間に鳥島は心を決めたようで、俺も連れていってくれと頭を下げた。

「それは‥‥四宮にですか。」

「‥‥自分の目で確かめたいんだよ。頼む。」

「‥‥辛いだけかも。」

 うんと鳥島はうなずいて、正座していた足を崩し、すわり直した。

「あんたには‥バカに見えるだろうな。俺も自分でつくづくバカだと思うよ。何もかも手遅れになってから悪あがきしたって‥自己満足にもならないのにな‥。」

 うつむいた横顔が唇を噛みしめる。

 茉莉花はわけもなく鼓動が早くなってしまう。

 話を変えるつもりでリズの名前を『しず』だと思っていた、という話をした。

「‥‥しず?」

「ええ。彼女が唯一覚えてた言葉は‥鳥島さんと別れた時の言葉だったんですけど。その中で『しず』って呼ばれてたように勘違いしていたんです。今思うと‥どうして間違えたのかしら? 本名も亜沙美さんて言うんですものね。」

「俺の‥せいだよ。」

 鳥島は泣き笑いのような表情を浮かべた。

「え?」

「『メルサ』はオーナーの趣味で、ホステス名を五十年代のアメリカ映画の女優から取ってるんだ。それを知らなかったから俺は、最初の頃ずっとリズを『しず』だと思いこんでてそう呼んでた。リズは面白がってて‥。俺が間違いに気づいた後もたまにわざと『しず』って呼んで、と笑っていた。」

 茉莉花は言葉を失った。

「別の魂が入っていても‥リズは笑ったりするんだろうか‥。どう思う?」

「‥‥鳥島さんの記憶にある笑顔とは‥少し違っているかもしれませんね。」

 ついそう答えてから慌てて、ごめんなさい、と謝った。

「わたし‥どうも、上手に言えなくて‥。」

 鳥島は苦笑いをうかべた。

「いいんだ。年甲斐もなく感傷的になってるのは俺の方だから。‥あんたがしっかりしているもんだから、つい年齢を忘れてしまうが‥。ほんとはすごく若いんだよな?」

「十八です。この春、高校を出たんです。」

「十八‥? そりゃまた‥。一回り以上も下なのか。すっかり頼ってたけど、俺の方がしっかりしなきゃだめだな。」

 鳥島はふふっと自嘲気味に微笑うと、ゆっくり立ち上がった。

「お帰りですか‥?」

「うん。もう一度吉見達也の様子を見舞ってから、今夜は自分の部屋に帰る。明日は何時に来ればいい?」

「ほんとに‥一緒に行ってくれるんですか? かなり危険かもしれないんですけど‥。」

「ああ。夜鴉の若さまじゃないが、いざという時には盾代わりくらいはできるよ。」

 そう言って鳥島はあらためて茉莉花に微笑んだ。

「では、何時でも。来られる時間で結構です。‥お待ちしていますから。」

 うつむいた茉莉花は、自分の声が微かに震えているのを感じていた。


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