死闘 その1
東京というよりも、ここ新宿は、奇妙な街だ。
ぎらつくネオンや無節操に視界をふさぐ拡張現実(AR)広告と同じように、ここの人種はバラエティに富んでいて、かつ非常にうっとうしい。
日本は単一民族でどーのこーのと言うやつはいるが、ここ新宿の地に立ったことのない目無しばかりだ。
タイムズスクエアかポンピドゥセンター前を歩いてるような感覚に陥る。
街を歩けば波にブチ当たり、否応なく互いの肩をこすり合い、悪意をぶつけられ、何度も何度も種種雑多な人種の波に洗われる。
が、そのうち純粋日本人はどれくらいいるのだろうか。
黒人である自分がそこらをフラフラしても、特段目立つこともなく都会の無関心と冷徹さを程良く満喫できる――それがここ新宿だ。
かと思えば、別の意味で目立ってしまうために、貧相な顔つきのゴロツキどもに取り囲まれることもしばしば。
差別だなんだと騒ぎたて、ゴネて誰かが受け取る福祉を喰う輩とは別の、食い損ねたゆえ穴埋めに誰から失敬しようとたくらむ不埒者の方だ。
同じ髪型、同じ色合いの服装、同じような顔。
思慮に欠け、素寒貧で、おまけに便所で手を洗わない不潔そのもの。
群をなしてしか襲ってこない、ゴミ野郎の名に相応しいボンクラども。
まあ、こいつら自体大したことではない。
ここ新宿でほんとうに恐ろしい存在ってのは――。
「CK!」
カルバンクラインのロゴをあしらったミラーグラスをかける「棒」の黒人青年は、自分の名を呼ぶ声に続く銃声に、現実へと引き戻された。
連続する銃撃音の単調なリズムをベースに複雑なリズムをきざみ、振り下ろされる触手の六条鞭をたくみにかわしていった。
襲いかかる触手の群れをみていると、街のゴロツキを思い出す。
醜いのも同じ。
逃げれば執拗に追いかけてくる。
残虐性は同じくらい。いや、ゴロツキは群れるゆえに悪ノリがはいるからコイツの方がアッサリしているかも。
ひとつ違うのは、一撃のヒットが命取りだ。
CKは剣を一閃させ、ひときわ長い触手を断ち切った。
「姐御、声がデカイ。それに言われなくたって見えてる」
CKは日本刀を握っていないほうの手で、カルバンクラインのミラーグラスを整えつつ、追撃を次々に斬り払っていく。
スキンヘッドのロシア女はマグチェンジをしながら、湿った斬撃音にまじる落ち着き払った声を、骨伝導通信装置で聞いていた。
50口径のオートマチック・ハンドキャノンによって触手の束が破裂していくも、それらはすぐに再生してキリがない。
そして弾丸は、本体へ届かない。
仇、この階層の主、タカシを殺した異形――見立てが正しければ、それはひとつの伝説。
そいつは両腕が極端に肥大化した巨人。
上半身と対照的に矮小な下半身は、手羽先のような干からびて萎えた両脚をズルズルと引きずっている。それでも床から頭までの高さはゆうに3メートルを超える。
かろうじて目鼻口を確認することができるが、タールを拭きとったモップのような頭髪がはりついており、表情はよく見えない。
盛り上がった肩の筋肉から垂れ下がるいくつもの触手が蓑のように上腕を覆う。
そして侵入者を引き裂かんと荒れ狂う。
しかしながら、一番の特徴は、みぞおち辺りに生える筒状の物体だ。
手垢がついたまま放置された銀細工のように、表面は煤けたように汚れており、はっきりと中身を確認するこはできないが、中が空でないことは確かだ。
黒い汚れの隙間で、内容物が動いているのを時折かいま見ることができる。
触手がざわついた。
――宙を不規則回転する、四十インチの国産薄型テレビが、異形を襲う。
異形がそれに振り向くことはなく、肩より伸びた数本の触手がそれを素早く巻き取り、一瞬にして粉々に破壊した。
天井の弱い照明を反射するナイフのように鋭いプラスチック片、金を散りばめたライトグリーンの基板、はらはらと舞う素子。
時間差で、異形の頭上に薄型テレビが襲いかかった。
が、それも粉々に破壊されてしまう。
きらきらと散る家電製品の雨の向こう側で、鮮やかなブルーが駆け抜けた。
騎士風のプロテクターを身にまとう『棒』が、異形の背後に回りこむ。
すらり伸びる長剣を右肩に担ぐそれは、一気に彼我との距離を詰めた。
それに気づいた異形は上半身をひねり、触手で横薙ぎに払うも、スカイブルーのマントの端をかすめるのみであった。
右袈裟斬り。
触手の次に、暴風のごとく襲いかかる右腕をかいくぐっての鋭い一撃。
汚れた無数の飛沫が舞う。
右脇腹を斜めに斬られた異形は、ブレーキ音のような悲鳴をあげた。
スカイブルーマントは、左脇腹にひきつけた長剣で突きによる追撃を繰りだそうとした瞬間、激痛に背を弓なりにそらす異形の右腕が再度襲いかかった。
轟音とともに巻き風がおこる。
しかしその巨大な腕は空を切り、床に三本線の溝をえぐるだけでしかなかった。
その瞬間を逃すまいとデータリンク――スカイブルーマントの主観映像と敵を中心とした3Dマップ――で見ていたCKは、ゆうに大人二人分はあろうかという大木のような、異形の全体重をかけた左腕をジグザグに日本刀で斬り上げた。
つんざく叫喚に身動ぎもせず、ロシア女はたてつづけに異形の胸からさがる銀筒へ50口径を叩き込んだ。
が、その汚れた表面にひっかいたような銀色の筋を残すだけで、ヒビのひとつさえも入れることはできなかった。
ロシア女は舌打ちをしながら残弾を異形の頭部に撃ちこみつつ、ふるえる骨伝導装置に耳をかたむけた。
頭部から肉片と粘り気のある黒ずんだ液体をたらす異形の叫び声がうるさかった。
「オリガ、データリンクがなければメイスンに弾丸摘出手術が必要だったヨ」
「うちにそんな間抜けはいないわ、そうでしょ?」
茶化した若い女の声にスキンヘッドのロシア女・オリガは平然と答えて言うと、
「問題ない」
と落ち着き払った低音がかえってきた。
声の主たるスカイブルーマントは、幾重にもわたる触手の猛撃を切り伏せていた。
攻撃を一手に受けることで逆サイドにいるCKへの攻撃チャンスをつくる。
メイスンの味気ない返答は、縦横への激しい回避行動による逼迫したものからではなく、つまらない問答へのちょっとした非難と跳弾の三つ四つなど取るに足らないことを強調するものであった。
「電脳化しないのー?」
『板』の少女・小嵐は軽やかにキーボードを叩きながら、流行りのカフェで他愛のない会話をする女学生のような、のんびりとした口調で言葉を続けた。
『板』は情報の収集・分析・撹乱等を行う電子戦のエキスパート。プログラム言語を詠唱する魔術師。基本として電脳化はもちろんのこと、生身であることの不確実性を排除し、ほとんどの者は身体を機械化することで演算結果機能を安定化させ、臓器をコンパクトにすることで余剰スペースに冷却装置や記憶装置を詰め込むことを好む。自身がひとつのコンピューターとなり、耳の後ろや頭部のソケットに素子を差し込んだり、HUD上で事足りるにもかかわらずキーボードを持ち運びすすることを常とする懐古主義ゆえに、偏った興味とそれによる極端な無関心からナード・オタクと蔑まれるスペシャリストである。
「機械に乗っ取られるのは御免よ」
台湾系アメリカ人の美少女がクスクスと嗤う。
長い黒髪をひとまとめにする十代後半の容姿。大きな黒縁メガネに愛くるしい大きな瞳。キーボード上を踊る十指は内側のみ衝撃吸収材がコーティングされている機械式。腕はノースキンの剥き出しで、企業名や型番の刻印が消えかかったサイバー義肢。可愛らしい顔には所々にうっすらと幾何学的な亀裂が見える。これは素子やケーブルを差し込むソケットの防護カバースリット。首の後ろから伸びるいくつものカラフルなケーブルの行き先はバックパックとキーボードだ。
「オリガはあれ? 結婚するまで処女ってタイプ? いまどき流行んないヨ」
CKが吹き出す声に被さるように、男の声が会話を遮った。
「ファーローンです。状況、良くありません。ターゲットは前回見たときより大きく、攻撃は、ややこしい。時間経過につれて――」
『虫』のファーローンは報告を中断、舌打ちするよりも速く警告を発した。
それは、小嵐がつくる3Dマップ上のポリゴン異形像に突起となって現れ、自慢のハンドメイドの日本刀を振り下ろすCKのミラーグラスに、突然、銀線となって降り注いだ。
それは、異形の肩に蠢く触手群が鋼の槍となり、慌てて逃げるCKに次々に襲いかかったのだった。
大理石調のタイルの破片、コンクリートの細かな粒子が舞い、転がる小型携帯端末や今は型遅れとなった義肢サンプルを貫く。
そして標的をからめとろうと、それは前触れ無くしなやかさを取り戻す。
直線から曲線に。曲線から直線に。
緩急の差が激しい攻撃に翻弄される。
「――時間が経過につれて、損耗率は増加の一途をたどります」
ファーローンは唇をきつく引き結んだ。
メイスン・CKのバイタルチェックをモニターすれば、いまは微細であるものの、確実にダメージが蓄積しているのが分かる。
浅黒い肌、高い頬骨、猛禽類を思わせる切れ長の目はバイザーに隠れて見えない。背が高く細身ではあるが、出身国の国技であるムエタイ選手を思わせる引き締まった身体をもつ彼は、半義体化、小嵐の隣でうつ伏せに寝そべっている。
二人は赤外線放射を抑える迷彩布を頭から被り、雑然としたフロアの朽ちた家電製品のひとつに偽装し、フロアの端、陳列棚の下の隙間から仲間たちを見守っていた。
小嵐は常にタイピングの手を止めることなくデータ解析とフィードバックを送る。
一方のファーローンは、頭部センサーとばら撒いた観測装置からのデータを受信しつつ、ボルトアクション式狙撃銃のスコープを覗く。
バイザーとスコープはケーブルで繋がっており、いちいち覗かなくとも主観の一部がスコープを覗いたときの映像を表示するが、ファーローンはバイザーの眼のひとつでスコープをのぞき目標を捉える。
狙撃銃の傍らには、愛用のアサルトライフルがあった。
これを売れば妻と娘が帰りを待つ故郷に、一体いくつのマイホームが建てられるのだろうか――ときどきファーローンは考える。
しかし、異形の胸からさがる銀筒に十字線を重ねているときは、家族とマイホームなど浮かんでくることはなかった。
50口径の炸裂音、銀の弧、キーボードのステップ、そして異形の叫喚。
異形の叫びに女――少女の悲鳴が混じっているようで、眉間に皺が寄り、心がざわつく。