いらぬ説教
正体不明の敵が接近している(レッドアラート)。
ソフトウェアこみで高級ドイツ車が三台は買える、頭蓋に直結したセンサーが熱・音・振動を感知。
データリンク上にある全員のHUDに警告を発した。
それと同時に、オレンジ色のピラミッド三つが敵の姿を囲む静止画がHUD上に展開された。
しかし砂嵐のような荒い粒子が舞うその静止画に、敵の姿などありはしなかった。
オレンジピラミッドが囲む中心には、背景と同化したボロ布のようなものがたなびくだけで、それをモンスターと呼ぶにはあまりにも心霊現象研究家すぎた。
タワーを登れば必ず行き当たる現象――つまり電子機器の性能が目に見えて低下する症状に誰もが頭を抱える。
天井の照明を増幅し真昼の明るさにいながらもそれを認識できないことがあり、逆にはっきり見えていたものが薄暮の黒に塗り込められて、いもしないそれを認識してしまったりする。
超高層ビルの割れた窓から吹きこむ風が、死んだマヌケの衣服の切れ端を舞い上げているのだろう。
――そう判断して全滅するのが三流のやり方だ。
『虫』の三人は矢尻のような形に展開、肩を貸していた仲間の『棒』を床に下ろして横たえた。
ショッキングピンクの髪をした『薬』の少女は、バックパックから伸びるチューブに繋がれた『虫』の頭部を、バックパックとともに『棒』のそばに置いた。
そしてピルケースの蓋あけ、アオコの塊のような錠剤を、白い歯と歯の間にセットした。
宵闇に近いフロアを昼の明るさで見通そうとするも、『虫』のサイバーアイはうまく機能せず、湿り気の多い舌打ち三つが響く。
正体不明の敵が接近している(レッドアラート)。
フォーカス――しかしそこには何もいない。
敵の姿だったものはとぐろを巻く砂嵐のデジタルな悪ふざけ。
ドミノ倒しになった商品陳列棚。
気味の悪いオブジェクト――それは大小の家電製品を積み上げたトーテムポール。
版図を広げる菌糸のように縦横に走るコード類。
遠くにみえる干からびた猿の轢死体に似た何か。
アラートの度に貼り付けられる静止画のひとつには、薄ぼんやりと子供の顔らしきものまで見える始末。
大金をつぎ込んだハードウェアの信頼性に、おもわず呪詛の言葉を奉ずる。
しかし何かが、近づいてくるのは確かだ。
アラートの度にセンサーが音を拾い、ヴォリュームレベルは緑が萌える稜線の数々となって浮かび上がる。
しかし姿は見えない。
だが悲観することはない。
なんせこちらはサイバーアイが2ダース以上あり、銃は四丁もあって、走査線がはしり簡易3Dマップが額のあたりで浮遊している。
だから焦ることはない、襲いかかるその瞬間に、たっぷりと食らわせれば良い。
敵は複数――か。
物体の輪郭線だけを白線が縁取る広大なマップに、左右を大きくへだててピラミッド群が突如として姿を現す――それは先細りの楕円形をした足跡。
デジタルの砂嵐にまじって舞いあがる揺れる湯気は、細かい埃のベール、主の方へと儚げに手を伸ばしている。
獲物を狩る肉食獣のごときコンビネーションが着実に迫っている。
が、それはフェイク。
それぞれ三人が載せているソフトウェアの分析と討議の帰結。
データリンク上で共有するわずかな痕跡、それらはすべて同一、つまり――。
見えた、敵は一匹、一対の光る目をもつ黒い獣の残像。
静止画像に捉えられないほど速いか!
ひとりの舌なめずりが他のふたりの『虫』に伝播し、同調する三人は寸分違わぬ禍々しい笑顔を並べた。
オートターゲットシステムは役に立たないかもしれない。
久しぶりにマニュアルでいこう。残りの二人はオートマチックで良いだろう。
瞬時に仲間へ戦術の変更が通達され、承認、実行へとうつすまでにかかった時間はコンマ数秒。
HUD上に現れることのない猛烈な減数は、勝利への秒読み開始だ。
東京でのハンティングは興奮する。
それはマンハントとは異なる別種の高揚感。
身体スペックの限界すべてをぶつけることができる、夢のような、半合法での、ビッグゲーム。
自身が高級スポーツカー以上のプライスとスペック。
交差点の信号待ちでエンジンをふかすだけでは終わらないのだ。
そしてなんといっても、常にかたわらにある、銃の優雅な曲線美の高揚感。
最高だ。
生身の女なんかは目じゃない。
耳をろうするほど口やかましく、ご機嫌をとるには常に金が必要で、扱い方を間違えれば噛みつかれる。
だが蕩けるはどに、官能的だ。
トリガーを引くのはオルガスムの代理行為。
ぶっかける相手がジャパニーズモンスターなのは興醒めだが、事後の征服感はダンチ。
さあ、来いよモンスター。
こちとら仲間が二人やられてる、意趣返しだ。
いけ好かない坊主女の尻をファックする前の前戯にすぎないが――。
『虫』たちは脳内物質量の制御を行い、戦闘に適した体内環境を整えた。
銃を握る手に興奮はなく、石のような透明さで場を見渡していた。
脳内3Dマップを移動するターゲットに、自然と銃口が吸い寄せられる。
脈拍も呼吸のリズムも同調させ、三人でひとつの迎撃システムとなっていた。
物理的ではなく、脳内にあるスイッチをオンするだけだ。
女のような複雑な手続きは必要ない。
「そいつは間違いだな」
自分の横をかすめる野太い声に、先頭にいた『虫』は、おののき震えた。
愉悦を浮かべるひん曲がった口元も、ぎらぎらと光る機械の眼も、暴力に飢えていた。
そう、間違いだった。
黒い獣はヒト、いや、サイボーグだった。
しかもヒトを痛めつけることに慣れているタイプだ。
人体構造の不可逆性、戦闘サイボーグ痛感リミッターへの裏ワザ、それを可能にするサイバネティックボディの操作と未知のパターンのアーツプログラム。
銃に、腕に、からみつき高速で這い上がる黒い蛇――。
痛感許容量を超えれば脳内に薬物が投与され、本来ならば意識を失う又は前後不覚となるところを、強引に行動可能にするパッシブな緊急時プログラム。
ラストスタンディング。
どんなカタチになっていようと、最後の最後に生き残ってさえいれば、それが勝者だ。
サイボーグはチャンスを掴むことを可能にする。
手をすり抜ける一握の砂を、サイボーグならば人工スキンの皺が砂粒を掴むことができる。
例え上半身だけとなっていても、ゴキブリのように逃げることが可能だからだ。
「ジュージュツか!?」
[ひゃっほう! DQNをやっつけろ!]さちが拳をふりあげ喚いている。
それは人体構造の不可逆性をついた攻撃。
グリップを握る手とアサルトライフルを巻き込んだ関節技に、天地が二回ひっくり返った。
どすん、と背中から床に落ちる衝撃に一瞬HUDに亀裂が入るも、警告音だけが病的に何度も何度も繰り返されるだけで、いまになってハードが受け身を再現した。
ソフトウェアが反応できないほど鮮やかな投技。
それだけではなかった――ご丁寧に顎へ蹴りが入る。
投薬に至らないダメージによる身体の痺れ。
混乱する内耳ジャイロシステムの、水平起点修正までのカウントダウン。
蹴り――更なる修正へのカウントダウン。
それらが虎の子のサイバネティクスボディ――スポーツカー並みの金がかかった身体――にアイドル状態を提供する。
ぴしゃり――分厚い平手打ちがシリコンスキンのゆらぎを震わせる。
適度なシェイクの連続にマニュアルで投薬を行おうとするが、早まるな、と生命維持システムが厳然とそれを拒否をする。
いくら緊急時のプログラムといえども、度重なる投薬は脳へダメージを蓄積させるからだ。
これはなんだ。
自分とシステムが命令系統の優先度を奪い合っている。
指令の上書きの上書きをしているのか――。
ループ、ループ、ループ。
そんな混乱をおこさせるようなソフトな蹴りと平手打ちの連続だった。
抵抗はやめてされるがままにしておき、データリンクで繋がる仲間をモニターすれば、二人揃って酔いつぶれたオヤジのようなうわ言を、無駄に発している。
それもそのはず、自分と同じように視覚映像にノイズが走り、ぶるぶると震えている。
身体を起き上がらせようとすれば、容赦なく蹴りが突き刺さる。
こうなれば頼みの綱の『薬』は――
「フェアリィ……」
クソッ! 手まで振ってやがる、正気か!?
いや正気じゃない。
下の階でキメた薬が抜けきらずまだラリってやがる。
蜘蛛のように複数ある、ヘルメットの後頭部カメラアイが、五歳児のように微笑む『薬』であるパンク娘の姿をはっきりと捉えていた。
そして背後から自分の首を片手で掴み、安々と立たせる黒装束の男の姿。
その男――弾造は、ギュッとその手に力を込めて、会話が出来る程度に気道を圧迫した。
『虫』は、背後の者が、いつでも喉を潰すことができることを悟った。
男の手の中ある大口径のハンドキャノンが、横たわる仲間に向けられていることを――男の身体で死角となっていたが――データリンクで共有している視覚映像から目にすることができた。
「よう。怪我人連れての『ケツ堀り』とはずいぶん余裕だな」
「ちょっと嫌がらせをして帰るつもりでしかなかった。べつに命まで取ろうなんざ考えてもいねえ」
首を絞められる『虫』は、かすれた泣き声をだして憐れみを誘おうとした。
「旗色が悪いからって逃げようとした割には、茶目っ気があるじゃないか」
「あいつらの態度が気に食わなかったんだ。目的は『仇討ち』と言っていたが何かを隠してる。そのうえ戦闘のほとんどを俺たちにまわして奴等はずっと高みの見物。イッコ下でようやく動いたが、遅すぎる。負傷者が出た。それでもあの女は先に進めとのたまう。さすがに我慢ならねえ、一発でもブチ込んでやらなきゃ気がすまん」
「傭兵稼業なんてのはそんなもんだろ。銃ばかりシコシコいじってないで、今後は目利きに磨きをかけるんだな」
弾造が溜息まじりにうんざりした声を漏らすと、
「損益分岐点を甘く見積もってると全滅する――時は金なり、だ。あんたもここに出入りしてるんだ、それぐらい分かるだろ」
ちんけなプライドが侮辱ととらえ、首を絞められていることも忘れ、『虫』は食ってかかった。
「一理ある。だが逃げようとしたあげくの逆恨み、さらには背後からの闇討ちをしていいワケがない。それなりに筋を通せば後々お前さん方に手を差し伸べる存在になっていたかもしれない。あんたもそれぐらい分かるだろ?」
『虫』は言葉に詰まり、短くうめくだけだった。
大昔の映画に登場する絵に描いたようなバケモノの類が徘徊する、セントラルタワーを出入りする者のほとんどは、金目当て。
天才博士が懸賞金をかけた骨董品をバケモノの死骸から掘り出し換金するか、
タワーに挑戦する者たちに襲いかかって追い剥ぎまがいのことをするか、
バケモノに殺された者の死体から武器防具や生体パーツを漁る落ち首拾いまがいのことをするか、
それらのいずれか、または全部が、彼らの基本的行動パターンだ。
低階層は職にあぶれた若者が一縷の望みをかけて普段着のままに徘徊し、スリルを求める金持ち連中がツアーを組んで練り歩く場所だ。
ビッグマネーを得ようとするならば、自然と目線は踏破率の低い上層階へ向けられる。
上を目指すゆえに他人はすべてが競争相手。
人間用の罠を設置するなどの妨害工作は当たり前。
我先にと他人を蹴落とすことに迷いはなく、寝首をかくことなど朝飯前という者が大半である。
地上から離れれば離れるほどバケモノとの戦闘は激しさを増し、恐怖は色濃くなっていき、身体改造はパーセントを増していく。
しかしながら同業者の危機に身を挺す者も全くないわけではなかった。
苦労を知っているからこそのシンパシー、身体を機械に置き換えても失ってはいない人間性の証明、社会のつまはじき者ながらも最低限貫き通すスジがあると理由は様々ではあるが、わずかながらも互助の精神が確かにあった。
そうはいっても仁義や功徳に侠といった概念はバケモノ退治には役立たず、容易に捨て去ることが可能で、それを逆手にとって一儲けができる換金性を有していた。
悪事を働こうとする者にとって、お人好しはチャンスなのである。
しかし一方で、そのようの行為を『粋』ととらえ礼賛する風潮があった。
「美人の尻をどうこうしたいのは分かるが、話を変えよう。あの女は隠し事をしてると言ったが、お前さん方は何を掴んでいる?」
「ハハッ、隠し事と聞いてビビってんのか? あいつらの甘い言葉に飛びついた自分を恨みな」
「なにか勘違いしてるようだが、俺はあの女に雇われたわけじゃない」
「じゃあ殿として待ち伏せてたわけじゃ――」
「誘われたことは確かだがどうにも胡散臭くてな。多少なり情報を持ってるであろうお前さん方が来るのを、こうやって待ってただけだ。さ、話してもらおうか。もちろんタダとは言わん」
「……断る。あんたの態度が気に食わない」
[そうだそうだ。首を締めといて、それが人にものを聞く態度か!]さちが怒鳴った。
まったくどっちの味方だよ……。
「強情はるんならこっちにも考えがある。しばらくシコシコできなくしてやるまでだ」
「それがどうした! 生体器官のクローン移植でどうにでもなるし、キンタマは銀行に預けてある」
[ど、どうやって引き落としするの……?]
「……まあ、なんだ、やり方は色々ある」
弾造の言葉を拷問と勘違いした『虫』は、
「そんなもんは脅しにもならねえ。やるならさっさとやりな」
と、緊張したひきつった声で虚勢を張っていたが、身体は震えていた。
「それじゃお言葉に甘えて――」
弾造は、倒れている男の胸からハンドキャノンの狙いを股間の方へと這わせていった。
[キ、キ、キタナイキタナイ……キタナイヤダ、ヒィーン、ヒィーン]
[ちょ、ちょー、やめなさい。嫌がってるでしょ!]
ジョットエンジンのような高い音を響かせ泣いているひぃを助けようと、さちは弾造の頬をペチペチと叩いた。
「安心しな。第二のチ○コたる『銃』を、高級外車よりも高価な自慢のものを、ちょいと去勢してやるだけさ」
「ま、待ってくれ! それだけは勘弁してくれ。一人はまだローンが残ってるし、俺は娘の名前をつけてるんだ。後生だからそれだけはやめてくれ」
[えー、てっぽうに名前つけるの? キモーイ]
――ならば自ら名乗りをあげる太刀はどうなのだろうか。
――そもそも喋る銃に『ひぃ』と名づけたのは、さちじゃないか。
弾造はツッコミをいれたい衝動をなんとか抑え込んだ。
「まあ、なんでもいいさ。それより話してもらおうか、何を掴んでいる?」
「……『ミラー』だ」
「ミラーって鏡のことだよな? 何かの符牒か?」
「わからない。それが切り札になると聞いた。それとなにか『ウィルス』を持ってるようだ。BC兵器の類いかコンピュータをハックするものなのかは不明だ。もういいだろ、仲間の一人は首だけのままなんだ。早く病院に連れて行ってやりたい」
「だったら『ケツ掘り』なんかせずにさっさと帰るべきだろうが。まあいい」
弾造はハンドキャノンをヒップホルスターに収めると、ポーチから布にくるまれた包みを取り出し『虫』に握らせた。
「これは一体……?」
「下のバケモンを殺ったときの報酬だ」
「な、なぜ? いや、何て礼を言っていいのか……」
「恩に着せるつもりはない。情け人のためならず、だ。『ケツ掘り』なんて金輪際やめろ、それだけだ」
『虫』が深々と頭を下げると、倒れている仲間を起こし、力なく座り込む『棒』とニコニコしている『薬』のパンク娘のところへ下がっていった。
弾造は、その姿を、ただじっと見ていた。
さちは豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
てっきり弾造が馬鹿だのゴミだのと罵るものだと思っていたからだ。