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ブレイク

 新宿歌舞伎町セントラルタワー74階を漂う空気は、新鮮な腐臭により湿り気を帯びた。


 販売する家電製品の機能とコンセプトに基づくライフスタイルの提案を詰め込んだ箱庭を、広大な面積を利用して贅沢にいくつも並べたこのフロアの中心部で、人型の妖魔が13体――頭を腹を手足を撃ち抜かれ、斬り割かれ、岩のような拳で砕かれたものが――無造作に散らかっていた。



 当時は最新であったエアーコンディショナー・ソファ・遮光カーテン・空気清浄機といったものが詰めらたモデルルームの箱から、腹がぼっこりと突き出た餓鬼のような妖魔が這い出てくると、弾造たちの行く手を遮ったのだった。


 ぞろぞろと這い出すその姿は、心優しき猫好きオジサンが現れたのを察知した腹を空かせる野良猫のようだった。


 全身サイボーグで食えるところなどごく僅かであるにもかかわらず、それらは現れた。


 一口でも脳味噌を啜れれば、それで満足なのだ。


 角なし洗濯機が提案するスタイリッシュさからは程遠い、ゴワゴワとした毛がまばらに生えるやせ細った姿――モデルルームの住人としてはあまりにも醜い――それらは、四方八方から弾造たちに襲いかかった。


 が、一瞬にして斬り刻まれ、逃げようとすればその背に頭に風穴を開けられて悉くが肉塊となった。


 そこらに飛び散った胃や腸の中の未消化物が腐臭を放ち、ぱっくりと空いた傷口から立ち昇る上昇気流が更にそれを周囲に拡散させた。


 死体は消えることはなかった。


 絶命した妖魔は茶壺や文鎮に変化することなく、『ハズレ』であることを嘲笑うかのように、感覚器官への嫌がらせに励んだ。


 皮・肉・骨・血管による切り口鮮やかな断面図、粥のような茶色のドロドロに混じる人間の毛髪や歯といった未消化物、足の踏み場をじわじわ侵食する血の輪の広がり――。


 フロアの黄昏時のような暗さはかろうじてそれらの輪郭線を浮き立たせる程度であるが、サイバーアイは昼間の明るさでそれらを提供する。


 レッドサークル中心部に佇む弾造は、地下足袋のラバーを血で濡らす前に、反動もつけず一飛びで肉塊を飛び越え風上へと向かった。





[おなかが減った]


 腹が減っては戦はできぬ。


 そろそろその言葉を耳にするだろうと思っていた弾造は、腐臭の届かぬ白物家電のサークルを見つけ、そこに腰を下ろした。


 さち――雛人形大の、弾造が佩く太刀の付喪神――は、胡座をかく弾造の膝の上で、うぐいす色の金平糖をかじって言った。


[それで今日はなにしに来たんだっけ?]


「何って、仕事だよ。ちゃんと説明しただろうが」


[そうだっけ? あ、ひぃちゃんにもこんぺーとーあげてね]


「へいへい……」


 弾造はヒップホルスターからリヴォルバー式のハンドキャノンを抜くと、シリンダーを右へと押し出した。


 シリンダーは金属製の円柱に弾薬収める穴が空いている蓮根のような外観をもつものであるが、そのハンドキャノンのシリンダーは臼のようにぽっかりと穴が空いているだけであった。


 弾造はシリンダーの中に金平糖を3つ4つ入れると、、シリンダーは勝手に閉じた。


[イイィィィヤッハァァァアアアァ!]


 ひぃ――喋るハンドキャノン――は、喜びの声を上げた。


 時計回り・反時計回りを繰り返して高速回転するシリンダーからは、小気味良いしゃらしゃらという音が鳴っていた。


 弾造は目の前の2つの奇怪な光景に、溜息のモーションで応え精神の安定を図った。


「……今回は『仇討ち』だ。タダノ・タカシ、享年32歳。埼玉にあるヤマサギパン蕨工場・第182レーンで監督官をやっていた男の――母親が今回の依頼人だ」


[カントク……ってなにする人? 偉い?]


「監督官なんて肩書きを持ってるんだ、偉いさ。ベルトコンベアを右から左へ流れる、合成メンチの衣の形が崩れていないかを監視する仕事だそうだ。正社員登用まであと一歩か二歩ってとこで突然辞表を提出、それが三年前のこと。コツコツ貯めてきた自分の貯金、先祖代々伝わる20坪の築50年にもなる一戸建てを抵当に入れた銀行からの借金、それから親の定期預金を取り崩して全身サイボーグ化に注ぎ込んだ。酒もタバコもやらなかったのが功を奏し、脳と脊髄以外は移植用として全部売却に成功、そこそこのボディと装備を手に入れたそうだ」


[うえぇ、世も末だね]


「……そうだな。電脳化をしていないパーフェクトピュアボディ故に高度情報処理ビジネスからは遠く離れ、肉体労働にしても機械化していなければ制限がつく。ダンスパフォーマーや音楽家にはなれず、トラディショナル工芸家となって文化継承を担い補助金で食うに至るほどの技術がないために、国産・手作りがウリのパン工場の一部品に落ち着くはずだったが、一念発起してサイボーグとなり新宿歌舞伎町にやってきた」


[それでそれで?]


 さちは平べったいアルミ製のパックを弾造のポーチから引っ張りだすと、短いおかっぱ髪を揺らして金属製の蓋を力一杯ひねった。


 アルミパックの中身のお茶は、次第に適温へと温められた。


「『虫』となった彼は秘められし才能を開花、めきめきと頭角を現し稼ぎに稼いだ。1年経つか経たないかというところで銀行の借金をすべて返した」


[タカシやるじゃん!]


 ズズズッと吸い口から茶を啜るさちは、バケツに口をつけて飲んでいるようだ。


 ひぃに水物はやらない。



 以前に茶を注いでやったところ、敵を撃つ段になって突如液漏れを起こした。


 合成スキンの皮膚だからこそ火傷をしなかったのは幸いと言うべきか。


 それ以降は滅多にやることはないし、本人も欲しがらない。



 チャキッと金属音が鳴りシリンダーが勝手に空いた――ひぃが金平糖のおかわりを催促しているのだ。


 弾造は紙袋に太い指をつっこみ、金平糖をいくつか放り込んだ。


 嬉しそうに声を上げてシリンダーが回転するのを聞きながら、弾造はさちから受け取ったパックを口を咥えた。


「一週間前のことだ。タカシは俺達のいるここ74階よりひとつ上の階に到達し、チームとしての登頂記録を伸ばすも探索中化け物に遭遇、勇敢に挑むも敗走、チームメイトはなんとか逃げおおせるも――」


[そっか、タカシ死んじゃったんだっけ。こんな辺鄙なトコに来なきゃ良かったのにね]


「……そうだな。しかし残された家族はやり切れないよな。仕事辞めて借金して機械化して、結果死んじまって。タカシにもっと何かしてやれたんじゃと後悔の堂々巡り。ま、そうまでしてでも欲しいものがあったんだろうよ。なんにしても遅かれ早かれだったかもしれん」


[……たんに逃げてきただけなのかもね]


 さちの幼い顔つきからは想像もできないような、昏い笑みが浮かんだ。


「そう言ってやるなよ」


 弾造の口から自然と溜息を漏れた。



 ときどき思う――。


 見た目同様の幼い精神年齢かと思えば、突然どぎつい言葉を吐いたりする彼女は、人ならざる存在であるのだ、と。


 


[そーいえば家族は止めなかったの? タカシがオバケと戦うって知らなかった?]


「表向きは東京都から受注した案件処理中の事故死亡ってことになってる。ハッカーのイタズラが原因で軍用プログラムを積んだ殺人アンドロイドやロボットが暴走・徘徊するここセントラルタワーの調査とそいつらの破壊ってのが案件の内容ね。だから事故って言っても外部では殺人ロボに殺されたと理解される。ここの周囲に広がるスラム街のせいでそうそうマスコミは入ってこれないし、不法占拠してる住民様は殺人ロボでおちおち眠れないと騒いでおこぼれ頂戴する方が都合がいいから逃げもしない」


[じゃあ、ちみもーりょーがばっこしてるとは知らないわけね]


「まあ、バケモンに食われましたって報告を聞いても大した差はなかったかもな。なんせ大事な一人息子がロボットに殺されたと知って母親は卒倒するも即退院。遺体のない葬式がしめやかに行われたが、母親だけは連日鬼の形相で親戚一同震え上がってたそうだ。息子の仲間はなぜ仇討ちをしないのか、と」


 弾造は周囲を見回しながら仕事の経緯を語って聞かせた。


[ふーん、肝っ玉母ちゃんなのね。ふつー『仇討ち』なんて思いつかないよ。でもそのおかげで弾造にお仕事がきたのね]


「業を煮やした母親が方々巡っていたところを、ウチの会社の営業マンが接触して受注、俺んとこに流れてきて現在に至る。労働に感謝。生きていくには必要なことだからな」


 弾造は重みを感じる自分の膝、さちの方へと目線を戻したが当の本人は話など聞いてはいなかった。


 小さな手を見つめ、何事かを指折り数えていた。


 非科学的存在の皮算用――きっと『とらやの羊羹』が何本食べられるのかを勘定しているのだろう。


 サイボーグボディのメンテナンス代に比べれば安いものだが、燃費が悪いのもまた事実だ。


 石炭を食う蒸気機関のように、前時代的なものを好んで口にし、どこから仕入れたのか『千疋屋のフルーツポンチ』が食いたいとぬかす。


 困った奴だ。


[ヒヒヒ……]


 忘れていたがコイツもだ。


 癪に障る。





[ん~、でもさー。ギャラリーもいないのにどうやってやっつけたことを証明するのさ? あいつらやっつけちゃうとお皿とか掛け軸になっちゃうじゃん]


「各階層に『ターミナル』が設置してあるだろ? ATMみたいなやつ」


[そんなのあった? アンチ・タンク・ミサイルでしょ?]


「ちげーよ。エリア情報とか商品案内とかに利用される総合情報端末だよ、ここが商業ビルだった名残だ。あっただろ、立体ホログラムを投射する洗濯機みたいなやつが。それに接続して『足跡』を残すだけさ。あとは適当にタカシの部品らしきものを拾って、証拠品とするぐらいか?」


[なんかめんどくさいね]


「同感だ。かといって視覚映像をみせるわけにもいかない」


[なんでー? てっとり早くていいじゃん]


「びっくりして死んじまったら困る。今度は俺が『仇討ち』の対象になりかねん。まぁここの奴等の映像を見せてもだ、造形は最近の映画やゲームの方がデキが良いから馬鹿にされるのがオチだ」


[あはっ! 人相手の仇討ちDQNのひとりやふたり、弾造なら一捻りでしょ? そーいえばさー、表向きってことはウラがある?]


「ある。殺人ロボットでもアンドロイドでもなく、実際は化け物の類いが徘徊してる。それはここらのビルのオーナーでもあるロボット工学博士の天才の、愛弟子が進めていた秘密プロジェクトが原因だそうな。なんでも『魂の複製』を試みたが失敗して強力なデーモンだか悪霊だかを復活させちまったらしい。そんでもってそれが天才博士の骨董品コレクションにとり憑き、こうやって悪さをしてるそうな」


[えー、なんか話が突然オカルトチックになっちゃたね]


「オカルト的存在がなにを言うか」


 弾造は軽くデコピンを放つが、さちは軽快なフットワークでそれを避け、太い指にジャブを繰り出した。


[なにをぅ? 神秘の存在たるこの私を、そんなインチキ臭い話と一緒にしないで!]


「……さて、せっかく所有している不動産の価値がほぼゼロとなったにもかかわらず、天才博士は太っ腹なことにだ、自分の骨董品に懸賞金をかけた。倒せば化け物は消えてコレクションが残ることを利用して、このセントラルタワーを再び使えるようにするために一計を案じたんだ。コレクションを持っていけば金になる」


[あったまいいー! でも博士にしては頭柔らかいね。オバケを信じるなんてなんかウラがありそうな予感]


 さちは小さな顎を擦りながら、弾造の膝の起伏を行ったり来たりしていた。


「かもな。なんにしてもここは穢れすぎてる。少しでもきれいになるならそれに越したことはない」


 弾造は厳しい目つきで辺りを見回した。


 とっちらかった大型家電製品によって、周囲からの視線を遮っていた。


 積み重ねた白物家電のバリケードにはいくつも弾痕があり、それは貫通していて弾造の背後の壁の穴とちょうど高さが合っていた。


 防御力に難はあるとはいえ姿を隠すのには十分、いざとなったら身を低くして壁にそって進めば、敵の後方に回りこむことだって出来る。


[ん? ちょちょちょちょーと待った! そしたらさっきのブヨブヨ倒したら何か出たんじゃないの? なんでもらわなかったの? 空也のもなかいくつ買える? 怒らないからちょっと計算して!]


「勘弁してくれ。横取りだろと恨みを買うし、こっちの獲物をとられたら困るからこやって先を急いだんじゃないか。誰かのワガママでいま一休みしてるけど」


[だったらさっきの人達を先にぶつけて弱ったところを、弾造がズバーってやっちゃえばいいじゃん]


「さち、おまえ時々えげつないこと言うね」


[でへヘ]


「褒めちゃいねえよ」


 弾造は顎を擦りながら、薄黄色の明かりを漏らす天井を見上げた。


「だがまあ悪くねえよな、実際。誰かしら先行させて糸口を探るってのも」


[でしょでしょ? 力業もいいけど、やっぱへーほーだよ、へーほー。戦わずして勝つ的な?]


[ヒヒヒ……ア、アホウ……]


[ちょっとひぃちゃん、アホウって何? 誰がアホウよ、失礼な]


「いや、それは俺のことだ。阿呆にも程がある」


[へ? どゆこと?]


「もっと時間がかかると思ったが……。多少バケモンは斬ったがそれを尾けてきたにしても早過ぎる」


[敵?]


 ぽやぽやとしていたさちの顔に、鋭角が走った。


 怖がるどころか剣山のような弾造の頭の上に駆け登り、おかっぱ頭を右に左に振って周囲を警戒した。


「どうなるかは向こう次第だ。ほれ、おいでなすった……」





 横倒しになった冷蔵庫を長い脚で軽々とまたぎ、女が現れた。


 爬虫類の鱗模様が浮かぶ赤茶けたロングコートを着たスキンヘッドの――サファイア色の瞳を妖しく輝かせる――ロシア系の美人。


 下の階で化け物と戦っていた『ピルズ』の一人が、あぐらをかく弾造を見下ろしていた。


 敵意はないようだが両手はロングコートのポケットにしまい、何を手にしているのかは見当がつかない。


 女と弾造の間にはペン型の小さな明かりがひとつ。


 見下ろす者と見上げる者の、はっきりとした顔の陰影の違いが、互いに相容れないことを暗に示しているかのようだ。



 ひぃはホルスターに戻しており、右手はお茶のパックを掴んでいる上に、胡座――。



 弾造は完全に不利な状況にありながらも、不敵に笑いながら女の美しい顔立ちをまじまじと見ていた。


[うわぁ、片っぽは……お経書き忘れちゃったんだね]


 女の右耳は欠けていて、形の良い頭蓋のカーブはそのまま右側面を滑り落ちて顎の角張りまで達することができた。


 皮膚の色は他と変わりないということは、生まれつき右耳は欠けていたのだろう。


 さちの場違いで緊張感のない声色に、弾造は眉根を寄せ、口をへの字に曲げた。


「こんばんは。ちょっとお時間、いただけるかしら?」


 女は夜の散歩でも楽しんでいるかのような、高く弾んだ声で問いかけた。


 笑顔まで見せたが、瞳は変わらずサファイアの冷たさを保ったままだった。

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