スラッシュ
地上では太陽の光がわずかな時間しか届かない、天を覆い隠すような高さの超高層建築群が密集する新宿歌舞伎町。
その中でも一際高い中央の建物は厚い雨雲を突き破り、上層を認めることは叶わない。
バベルタワーと揶揄されるその中央の巨大構造体の第73階で、男は叫んだ。
「FrrRReeeaaaks!」
『虫』の男は、叫ぶよりも早く、データリンク上の仲間に危険を知らせる信号を放っていた。
『虫』は、電脳化は基本として身体の一部または全部をサイボーグ化し、音・熱・光・振動といったセンサーを詰め込んだヘルメットを被り、銃火器で武装化した者たちをいう。
彼らは武装化に伴う重量増加による機動力低下を強化外骨格により軽減させ、オートリロード用の義肢やヘルメットから生える各種センサーや複眼レンズといった見た目から”虫“とからかわれた。
4人の『虫』たちは瞬間、危険を知らせた仲間の視覚野にシンクロしHUD上に展開、『それ』を見た。
フリークス、化け物、モンスター、妖怪、イット、妖と呼び名は様々、新宿歌舞伎町のセントラウタワーに発生するその異形は、醜悪な姿をもつ怪物、好んで人を犯し・食い・殺すその性質に誰もが恐怖した。
しかし同時にそれはチャンスでもあった。
大型の異形は富と名誉の象徴。
打ち倒したあかつきには必ず報酬が得られるために、セントラルタワーを出入りする者は財産と命をつぎ込んだ。
金属製の高い商品陳列棚が行動と視界を制限し、数えるほどしかない天井の弱い光で薄暗くなった階層であるが、『虫』にとっては障害となりえない。
あらゆるセンサーを詰め込んだ彼らにとっては、買い物客でごった返すかつてのショッピングフロアと変りなく、光で溢れた白い世界だ。
見たくもない異形のデキモノだらけの醜い皮膚も丸見えで、輪郭線にそってグリーンのデジタル線が囲っている。
『虫』たちは、リーダーの統合火器管制プログラムにより振り分けられた目標に向け、エイムを合せる。
自身のサイバネティックス義肢または強化外骨格をオート機能に任せるか、手動で目標にHUD上を移動する着弾点を合せてやる。
グリーンの縁取りが血の赤に染まればオーケー。
『それ』をグズグズの肉片にする準備ができたことを示す。
全員がそれぞれの目標に重ねレッドパターンに展開した瞬間、『虫』のリーダーが指令を下した。
指令を受けたと同時に全員が寸分違わずトリガーを絞り、ドイツ製の高級車よりも高価な愛銃が震えた。
歓喜の声を上げて淀んだ空気を切り裂く青い小さな稲妻を帯びた弾丸は、異形を何度も何度も貫いた。
高さは三メートルもあろうかという山なり型の、六本の腕を持つ異形は、芋虫のような太く毛の生えた指を吹き飛ばされ、ヒステリックな声を上げた。
思わず鳥肌が立つようなその叫喚に一団は、ビクリと身体を震わせるも、攻撃を止めることはなかった。
「いける、いけるぜ……」
複眼レンズのバイザーの下で、『虫』の男は乾いた唇を舐めた。
異形から漂う、吐き気をもよおす腐臭など気にはならない。
人間工学的にデザインされた曲線が美しいアサルトライフルと同調し、身体の一部となった『虫』は発射時の胸を貫くキックに酔いしれていた。
アサルトライフルは信号を発し、腰の辺りに折りたたまれていたサイバーアームが展開し弾倉を自動交換、適切にリロードが行われたことを検知すると、自動で初弾を薬室に送り込んだ。
目標から生える六本の突起が削がれていき、三角形をしたレッドパターンからは絶えずヘドロのような体液がジュブジュブと流れでていた。
ひだのようにだぶつく太い腕に遮られ、なかなか砕くことができなかった頭部と思しき膨らみが、教練場で撃って弾けた人工スイカのように、飛沫をあげてパックリと割れてそれがぐったりとして動かなくなった時には、誰もが快哉の声を上げ、拳を突き合わせた。
『虫』の一人が後ろを振り返り『虫』以外の仲間にガッツポーズを決めると、彼らは肩をすくめたり、力ない拍手をした。
が、突然脳内に響くアラート音と視界を走る警告メーッセージに正面へ向き直ると、すぐ横を駆け抜ける仲間の姿があった。
『棒』だ。
そのほとんどが全身サイボーグの彼らは、無粋な銃や枯れ枝のようなセンサー類を嫌悪し、現代技術の粋を集めて作った愛剣を手に、人工筋肉と運動センスの限界に挑む戦士だ。
彼らは巷に出回るソードアーツプログラムにより即席で達人になることができ、日々改良されアップデートされる必殺のソードテクニックを脳波ひとつで再現可能な全身義体をもつが、剣を振り回し研鑽に励む時代錯誤的な彼らを揶揄して”棒“と呼んだ。
いま二人の『棒』が、『虫』たちの射線を遮り風のように異形のもとへと突き進んだ。
一人は西洋式の全身鎧のようなプロテクターに身を包みスカイブルーのマントをたなびかせており、もう一人は『虫』に似た脛当て・篭手・胴当てといった軽装プロテクターに流線型のヘルメットを被りサムライブレードを携えていた。
『虫』は一様に舌打ちをし、無意識に『棒』の尻めがけてエイムを合わせたが、我が目を疑い、罵声は喉につっかえた。
グズグズになった肉山からはいくつもの腕が生え、さらにそれがこちらへと伸びてきていたのだった。
が、それらグネグネと伸びる腕を、
打ち下ろし、凪ぎ、いなし、突いては巻き上げ、
切り裂き、回転し、ジグザグに切り上げては下ろし、
『棒』たちは躊躇なく見事なコンビネーションで突き進んでいった。
同じソードアーツプログラムをインストールしている二人は、決して同じ目標を斬ることはなく、互いの剣がぶつかり合うこともなかった。
抜けがけするように飛び出したサムライブレードの男は、鞭のように振り下ろされる腕を辛くも紙一重で避ると、床を手をつきゴロリ一回転、全身のバネを使って一気に距離をつめて襲いくる何本もの腕をかいくぐり、異形の醜い段々腹の胴体を一閃した。
複層構造の特殊合金でできたその曲刀は、難なく異形を切り裂き、どぷりとタールのような内容物をぶち撒けさせた。
ヒステリックな悲鳴の出どころを見つけ、サムライブレードの男は流線型のメットの奥で歯をむき出しにして笑った。
人間でいえば左胸のあたり、垂れた乳房のようなひだの下から、肥満デブの醜いあばた顔が現れた。
『虫』がふき飛ばしたのは、単なるひだの重なりだった。
一秒と経たぬうちに、サムライブレードが捉えた視覚映像が仲間に送られた。
《汚え面だ》――音声メッセージも添えられる。
ピロン♪ という軽快な効果音とともに視界にサムズアップマークが浮かんだ。
ふと漏らした感想が全員メッセージを受けた全員の共感を得た。
「これで終いだ!」
そのあばた顔に必殺の突きをいれようとした瞬間、サムライブレードは右手の陳列棚にその巨体を突っ込んでいた。
見ればスカイブルーマントがすぐ側に立っていた。
スカイブルーマントが顎をしゃくった先には、床を突き破って天井に伸びる異形の槍のような腕があった。
それは異形の下腹部あたりから生えていた。
あと半歩も詰めていれば、サムライブレードは串刺しになっていたのは想像に難くない。
冷や汗をかくことのない全身サイボーグは、恐怖に全身の機能が一瞬停止し、ブランクを補助脳の記憶装置に刻んだ。
スカイブルーマントの、騎士兜を模したヘルメットのスリットが淡い光を放った。
サムライブレードから見れば、彼のマントは風にたなびくカーテンのようにひらひらと揺らいでいるようにしか見えなかった。
が、陳列棚に身体をめり込ませたサムライブレードめがけ、もはや腕というよりも触手のように自由自在に蠢く十六本の触手の連続攻撃のことごとくを、スカイブルーマントが長剣で斬り払っていたのだった。
《後退しろ》
という脳内通信に我に返ったサムライブレードは陳列棚から抜け出し、全身スキャンをするとともに、後方の『虫』は何をやっているんだと苛立った。
「汚えツラを銃でふっ飛ばせば話は早いだろうが――」
とボヤいたが、自分が一番のマヌケであることを知った。
目まぐるしい脳内通信のやり取りに、いま、気付いた。
『虫』の一人の首が転がっている――HUD上の添付画像に目を疑った。
後方の『虫』たちは半狂乱だ。
伸びる七本の触手にむけて銃を撃ちまくり、己の身を守るので精一杯で、とてもあばた顔を撃つ余裕はなかった。
サムライブレードたちが異形のあばた顔に近い方に位置しているため、同士討ちを避ける統合火器管制プログラムがロックをかけていたからだった。
誰か一人でもマニュアルでプログラムの管理下から抜け出せば良いものであるが、そのことを知っているかのように、触手はサムライブレードたちの後方を迂回するようにして攻撃をしかけたりしていた。
「クソッ、ジャンキーどもはなにをやってるんだ!」
サムライブレードは口に出して罵った。
突然スルスルと『虫』を襲っていた触手が引き下がり始め、チャンスと構えたが、
《一気に下がれ、様子がおかしい》
という、スカイブルーマントの通信を受けて一人後方へと突っ走った。
それを脳内3Dマップで確認したスカイブルーマントも後を追った。
去り際、あばた顔が白目をむいて歯ぎしりしているのを見た。
走る風切り音に混じって、歯ぎしりの音がだんだんと強くなり、謎の圧迫感を背に感じたスカイブルーマントは、振動と音の数値が跳ね上がるのに驚いたが、数値化できない『何か』に恐怖した。
特殊合金でコーティングされた生の脊髄と脳が、それを感じていた。
ぞくり――。
全身サイボーグとなった身では決して味わうことはない、背筋を走る悪寒めいたものに代え、脳が震えた。
そして咄嗟に床に伏せた。
「ぃい゛い゛い゛ぃい゛い゛ぃいいいいいいぃぃ」
のこぎりのような薄い金属片を千切るような、神経を逆撫でする異形の歯ぎしりが、走るサムライブレードの背中を貫いた。
貫いただけでなく、その歯ぎしりの振動は自我をもつかの如く、チューブの中を進む半流動体のようにじわじわと巻き付いていった。
しかもその振動は目で捉えることがきた。
振動する黒い煙、またはデジタルノイズが暴れる百足。
激しく振動しつつも的確に確実に四肢を這い進み、支配下に治め、身体を宙に浮かせた。
サムライブレードの周囲の空気が歪み淀んでいるのを、サイバネティックス視覚装置でも認識することができた。
具現化した意思、徹底的に凝縮した悪意、どす黒い感情の洪水――それは『呪い』。
生身の肉体を機械で代用できるまでに進歩した科学を享受する現代において、そのような非科学的で理解不能の事象が目の前で発現したいる事実に、誰もが身を凍らせた。
サムライブレードが絶えず発信するカラー映像つきの人生の断片と助けを求めるありとあらゆる文字・音声メッセージを、『虫』と『棒』はさせるがまま、ただただリフレインさせる他なかった。
トレースするサムライブレードの脈拍・呼吸数・心音・脳波のすべての数値が乱数表をなぞるが如くめまぐるしく変化していた。
発信するメッセージはモザイク画のようになってHUD上の一角を塗りつぶした。
異形のあばた顔だけが、ほほに脂肪たっぷりのこぶを作り、愉しそうに微笑んでいた。