死闘 その2
狙撃銃のスコープを複眼のひとつで覗くファーローンは、生唾を飲みこみ乾いた唇を舐めた。
そして唇を動かすことなく、報告を続けた。
「小嵐と私で構築した3Dマップの共有および攻撃予測により、CKとメイスンの連携は問題ありません。ただ――」
「いつものように私だけのけ者扱い。それが問題とは思わないけど?」
唯一電脳化していない完全な生身の、オリガのわざと拗ねたようなハスキーボイスに、銃撃音が混じる。フィルターで一部音域をカットされているために、間の抜けた音がする。
「パンチが足りないのよねー。どうしたもんかね? 誰かさんが雑なスカウトの上に無駄遣いするし~」
小嵐は、下層で手に入れた茶器をオリガが大盤振る舞いして失ったことを揶揄した。
「確かにあれは痛い出費だった。同じ払うにしてももう少し積むか条件を提示させてでもミスターニンジャを引っ張ってくるべきだった――おっと」
オリガの形の良い眉が釣り上がるのを、観測装置ごしに認めたファーローンは口をつぐんだが、
「早いとこ一発キメて檻に入った猛獣をたたき起こすべきじゃない?」
小嵐は、はばかることなく刺激するような言葉を続けた。
データリンクしているので、小嵐はファーローンと同じく不機嫌極まりないオリガの顔を見ているはずであるが、本人はそれを気にする素振りさえ見せない。
「だいたいCKはちまちま腕なんか斬り刻んでないで、さっさと銀筒を攻撃しなさいよ。ビビってんの?」
「ハッ! 高みの見物がよく言うぜ!」
鞭のような触手の軌道予測が、色分けされたアニメーションとなって表示される。
しかし予測進路をかすりもしない、ひねりを加えた三本螺旋となって襲いかかった。
CKの剣筋はS字を描き、二度目のカーブの終盤、凄絶な斬り上げの一撃に変化してすべてを斬り落とす。
「サボるなよ、予測が鈍ってる」
CKの歪んだ口元からのぞく白い歯がキラリと光った。
「そっちは肉体労働、こっちは頭脳労働、オーケーボーイ?」
「寝そべってピコピコやるだけじゃねェか。やっぱトシには敵わないってか?」
「……口の利き方には気をつけなよ、ボーイ」
凄む小嵐の一オクターブ低い声が響いた瞬間、CKは頭をかかえた。
「――ッ!? 冗談じゃねえ、こちとら戦闘中だッ!」
人がまばたきする程のコンマ数秒、CKのサイバーアイが黒に塗り込められた。
ブラックアウト。
その一瞬が隙をつくり、異形の肩の盛り上がりがぶるりと震えたかと思うと、触手は鈍色の二十八本の槍となって襲いかかった。
CKは罵り言葉を慌てて飲み込むと、飛び退り、ジグザグに走り避けては転がり、なんとか安全圏に逃れたところで自慢のカルバンクラインのグラスを整えた。
その間、オリガのオートマチックが異形の頭部に弾丸を叩き込み、正面に回り込んだメイスンが銀筒に攻撃を仕掛けていた。
思い詰めたようなファーローンの声が、スカイブルーマント・メイスンの名をゆっくりと読み上げた。
「メイスンにダメージ。左上腕・右大腿部――」
「問題ない。ただ……」
バックステップで一気に距離を開いたメイスンは、オリガのもとまで下がると、彼女を護るようにして立ち、異形に対峙した。
「ただ?」
ファーローンの報告に顔を曇らせるオリガは、紺碧に問うた。
データリンクができないオリガは、メイスンがどの程度のダメージを受けたのかを把握することができない。
その生まれてからずっと維持してきたその眼で、目視による方法以外に認めるすべはなかった。
オリガに見えるのは、視界いっぱいに広がるスカイブルーのマントだけだった。
常に冷静沈着。CKの変幻自在の剣に対し、メイスンは惚れ惚れするような迷いのない剛剣。ここぞという所で攻めては快進撃を与える勝負強さがあり、かつてそれを見誤るようなことはなく、それを鼻にかけて返り討ちにあうことなど皆無であった。
しかしいま、事実ダメージを受け、尾を引くメイスンの言葉に、オリガは妙な胸騒ぎを覚えた。
「……マントが破れた。だが一太刀入れることはできた。陽動はCKが仕掛けるに限る」
――そう、過度の心配は無用。大胆不敵が彼の強みのひとつで持ち味。これが緩急を生み、剛剣は単調さを回避する。それを活かせるだけの十分な技能があった。
そして彼の抑揚のない言葉は、ときどきジョークを言っているのかただ事実を述べているだけなのかを不鮮明にさせ、なんとも言えない妙な笑いを誘う。
「ふふ、素敵な色だもの。化け物が嫉妬するような、ね。――二度は言わない。小嵐、ふざけるのはやめなさい」
「嵐嵐悪くないもーん」
「なんだそりゃ、パンダか? 冗談は顔だけにしてくれ」
まったく反省の色のない小嵐の言に、顔をしかめるCKは、わざと聞こえるようにべっと唾を吐いた。
「サングラスをかければ誰もがヒップホップスター。そんな安っぽい顔してるの、知ってる?」
小嵐は腹の底から絞り出すようなドスのきいた低い声を響かせ、ほっそりとした金属製の中指をエンターキーの上にそっと置くと、
「自慢のグラサンに自分を映してみなよ、サムライボーイ。何が見える?」
さらなる挑発の言葉を吐いてCKの応酬を待つ間、エンターキーにぐるぐると『の』の字を書いていた。
が、返ってくると思ったCKからの罵倒はなかった。
CKのバイタルチェックの表示が点滅。
――スイッチ。
小嵐は視界をCKの主観に切り替える。
連続音。
ピュウピュウという鋭利な風切り音がいくつも通り過ぎていった。
それは鈍色の触手。
間髪いれず次々に身体をかすめていくそれは、実体化した銃撃のように、伸びきった触手が銃弾の軌跡として残る。
そしてときどき、ヂッヂッという擦過音を肩・脇腹・ふくらはぎが聞く。
すべてを避けたつもりでも、現実には機械式時計の秒針のように、じりじりじりじりと小さなダメージが積み重なっていく。
非情にもそれは数値化され視界の隅に表示される。
小嵐は、ちらとそれを見やり、己の過ちを省みた。
CKは、異形の左手より弧を描き、地を這うように疾走っていた。
日本刀のカーブが三日月形の残光となって流れる。
それを追う触手群は、禍々しいギザギザの穂先となって次々に繰り出される。
――が、届かない。
次々に空を切り裂き、伸びきり限界点まで達すると、それは柔らかさを取り戻して鞭の如くしなり襲いかかる。
CKは、そのまま異形の正面を通り過ぎるかと思いきや、急遽反転――
鋭角に折れ、門柱のような巨腕の中間、懐へ、銀筒へと斬りこむ。
吠えるオートマチックハンドキャノン。
舞うスカイブルーマント。
狙撃銃の螺旋が来るべき未来を捉える。
キーボードがカタカタと鳴く。
異形の右腕と胸板の隙間に、点滅するブルーの避難路が、CKの主観にガイドされる。
CKの脳内で自然とアドレナリンが弾け、主観時間をぐにゃりと引き伸ばし、リハーサルを繰り返す。
勝利の複数パターンを反復する。
――衝撃。
時間切れとともに、伸びきった輪ゴムが一気に縮むが如く現実に引き戻されたCKは、コンマ数秒その落差に衝撃を覚えた。
が、勢いが止まることなく加速は金箔のようになめらかで艶めいていた。
異形の砕けた顔の、洞穴のような真っ黒な口から吐き出される礫を躱し、ミラーグラスいっぱいになった銀筒に斜め四十五度のスラッシュを思い描いた。
完璧な踏み込み。
連動する上半身。
日本刀のすべらかな曲線を、天井の薄明かりがのり星となって流れる。
曇った銀細工のような円筒の表面のぼんやりした影が、くっきりとCKの像を結んだ瞬間、
――なにを思ったのか、
CKは滑りこむようにして指定された避難路へ無様な態勢で突っ込んでいった。
「理解不能! メイスン、逆方向へ引きつけて! CK、ロール、ロール!」
メイスンは、小嵐の指示の通りに異形の正面へ肉薄し、触手と巨腕の暴風のごとき攻撃を受けつつ巧みな体捌きと剣捌きでしのぎ引きつける。
CKは、割れた液晶板・異形の肉片・へこんだ薬莢とともに床を転がり、顔にプラスチック片を貼りつけたまま立ち上がった。
ヒビのひとつさえなかったが、ミラーグラスは細かな埃の粒子で汚れていた。
――銃声。
そして歯ぎしりの嫌な音が通信にのって響いた。
その出どころはスキンヘッドのオリガ。
顔を横向けにして大きく引きつらせ、筋や皮の強張りが、深い陰影を首筋に刻みこんだ。
歯ぎしりの原因は、噛み砕いたまんまるの黄色い錠剤。
古代に生きたトンボが閉じ込められた琥珀のような、艶やかな表面に黒い羽虫がプリントされた、焚き火のような舌ざわりのペルー産ドラッグ。
思い出すのはアガディールの太陽。
自然由来の成分。
人間の可能性のひとつに、シナプスが連結する。
それはまぶたの裏でストロボとなって弾け、視界の一点がつねった頬のように歪み、無数の皺の弧が回転をはじめ渦となった。
横向きの顔の血走った青眼がそれにフォーカスする。
視線の先はお伽話の挿絵のような一幕。
あらがう鎧騎士の全身にからみつく触手の束。
異形とメイスンの中間点で、形を保てなくなったマグマの泡のように、大きく膨れた触手が弾けた。
聞く者の身体さえもゆらすほど大きな絶叫がほどばしる。
つづく歯ぎしり。
臼歯の凹凸をすり潰す不快に驚愕が混じっている。
鋭いタイヤブレーキ音に女の悲鳴がまじるような、モンスターの、異形の叫び。
観測装置がそれを記録していた。
――銀筒の中で何かが動いている。