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喜びの島

挿絵(By みてみん)


7、喜びの島


 突然のキスで呆然とする拓海を気に掛ける風もなく、ヴィンセントは拓海の座る花ゴザを手で触りながら「これは携帯用の畳なのか?面白いな。座っていいか?」と、聞く。

 拓海はまだ話せる状態ではなく、ただうんうんと首を上下に振って頷く。

「じゃあ、遠慮なく…」

 一人用のゴザにふたり並んで座るのは少し無理がある。

 もともとこの花ゴザは、乃亜の手伝いで庭の倉庫を掃除している時に見つけたもので、尚吾から「学生の頃、岩穴で昼寝をするのに良く使った」と、教えてもらい、それを拓海が言われたままに実行したまでだ。

 拓海はヴィンセントに譲る為、花ゴザから身体をずらし、砂浜に座った。それを見たヴィンセントは「一緒でも構わないが…」と、言う。

「いえ…あ、お気になさらずに。おれ、ここでいいですから」

「じゃあ、こうしよう」と、ヴィンセントは身体を横にしてゴザに寝転んだ。

「こうすれば、一緒に寝れるぞ。ほら、ここにおいで」と、枕にした片手と反対の手で拓海を招いた。

 この状況はなんなのだ。と、拓海の動揺は収まらない。

 今度は首を横に必死に振った。


「本当にいいのか?…では甘えさせてもらおうか」

「どうぞ、どうぞ」

「…少しだけ眠らせてもらってもよいか?」

「か、かまいません。ゆっくりお休みください!」

 拓海は土下座のように頭を砂地につけたまま、しばらくの間そのままの格好でいた。やがて胸の鼓動も静まり、波の音だけが聞こえるようになり、拓海はやっと顔を上げ、恐々とヴィンセントの様子を伺った。

 ヴィンセントは仰向けになり、やすらかな寝息をたてている。

 拓海はやっと緊張から解き放され、息を吐いた。同時に、ヴィンセントに聞きたかったことが山ほどあるのに、その機会を失ってしまったことにがっくりと肩を落とす始末。


「もうちょっと話したかったなあ~」

 拓海は乾いた砂浜に身体を横たえ、身体をヴィンセントに向け、仰向けに眠るヴィンセントの横顔をじっと眺めた。


 映画かテレビでしか見たことにない外国の俳優のような彫の深い整った容貌。日本人とは全く異なったコーカソイド特有の光に透き通るほど薄い瞼と仄かな赤みの差した白い肌。そのくせヴィンセントは腕や胸の体毛が少ない。

 一番目立つ漆黒の長い髪は花ゴザの模様の上に黒い波紋のようにうねりながら流れている。

 拓海は長い黒髪の端をそっと手で摘み、自分の鼻先へ運んで匂いを嗅いだ。

 潮の香りと…微かに薔薇の香りがした。


 ヴィンセントさんはイギリス人だから、きっと薔薇の香水なんかを使っているんだろうなあ。貴族って言ってたし…お城みたいな家に住んでいるのかな?使用人とか沢山いて、舞踏会でワルツを踊ったりして…夢みたいな生活をしているんだろうなあ…。そんな人と知り合いになるなんて、なんか得した気分だ…


 目の前の眠るヴィンセントを目の保養にしながら、先程までの夢心地に再び誘われた拓海は、重くなる瞼に逆らえず、ついに眠りに身を任せた。



 次に目を覚ました時には、花ゴザの上に居たヴィンセントの姿は跡形もない。

 あれは夢だったのか…と、拓海は慌ててゴザの匂いを嗅いでみた。…確かに微かな薔薇の香りが残っていた。

 拓海は急いで花ゴザを丸め、駆け足で家路に向かった。

 いつもは見惚れて動かなくなってしまう海を輝かせる落日にも目も暮れず、拓海は砂に足を取られながら松林を抜け、坂道を登り、家路に急いだ。

 庭の花壇に水を撒いている乃亜の姿を見て、やっと一息ついた拓海は、乃亜に先程ヴィンセントと出会った話を聞かせた。

 乃亜は別段驚きもせず、「そう、折角岩穴まで来たのなら、うちまでくればいいのにねえ~」と、暢気に微笑む。

「え?ヴィンセントさん、ここから来たんじゃないの?おれ、ここに来たついでに…って思ったんだけど…」

「違うよ。多分泳いで浜辺に寄ったんだね」

「…どこから?」

「それは…ああ、ここからは見えにくいけど、拓海君の部屋からなら見えるよ。兄たちはこの海岸から三マイルばかり離れた島の別荘に住んでいるんだよ」

「別荘?」

「うん、なんか五年ほど前に大手の不動産企業が島全体を高級別荘地にしたらしくてね。家ごとに船着き場があって、陸には自前のクルーザーやボートで行き来するんだ。町の海岸通りにヨットハーバーがあったでしょ?あそこが陸への船着き場なんだよ」

「…みんな…ヴィンセントさんたちはそこに住んでるの?」

「夏だけだよ。日本と違って欧州人の夏のバケーションは長いからね。春先に売りに出されてたこの島の別荘をヴィニー(ヴィンセント)が買ったんだって。兄たちも僕や尚吾に会いたくて仕方ないのかもね。僕も別荘にお邪魔したけれど、とってもオシャレで専用のビーチもあってね。泳ぎ放題で楽しかったなあ~」

「で、でもそこからここまで泳ぐのって大変じゃないの?」

「そんなに大した距離じゃないよ。それに僕たち泳ぎが得意だし…」

「そうなの?」

「…それより、ヴィニーは拓海君に何の用事だったの?」

「え?…」

 乃亜の言葉で、拓海はヴィンセントとのキスを思い出し、一瞬にカッと赤面した。

 ちょうど夕日に紛れて拓海の紅顔は悟られずに済んだものの、あいまいな返事をした拓海は乃亜を置いてひとり家に上がり、二階の階段を駆け登り、部屋へ着くと、後ろ手に鍵を掛けた。

 誰も知らない秘密を持った少年は、それがどんなにつまらないものでも、輝く宝石に見えるものだ。


 拓海は、部屋のベランダから、乃亜が示したヴィンセントが住むという島を探した。

 両端の湾岸道路の曲線が消える水平線を横に移した中央に、小さな島が見えた。

 あの島にヴィンセントの別荘がある、ヴィンセントがあの島で暮らしている…。

 ああ、今すぐにでも行ってみたい。

 ヴィンセントの事をもっと沢山知りたい。そして、おれの事も知って欲しい。


 拓海は自分の口唇を指で触れた。


 この口唇がヴィンセントの口唇と触れ合ったことは間違いないんだ。

 きっと彼にとって、キスなんかあいさつ程度でしかないんだろう。だって車の中で知らない男ともっと激しいキスをしていたじゃないか。

 それでもおれには、こんなにもときめきの味がする。



 帰宅した尚吾に、拓海は今日、ヴィンセントに出会った事を話し、島へ遊びに行っていいかと尋ねたけれど、尚吾の返事は渋いものだった。

「何故拓海がそんなに行きたがるのか、俺にはわからんが…」

「おれ…ヴィンセントさんが…好きになったみたいなんだ…」

「…」

 ノーマルだと信じていただけに、拓海の告白は尚吾には驚きだった。勿論この環境の毒に中ったとも言えなくもないが…

「え?ちょっと待ってくれ。拓海は…ゲイなのか?」

「…」

 世話になっている尚吾にこれ以上、偽りたくないと思った拓海は、自分とRの事を話し、そして、不登校になった原因がRと別れたことにあると、正直に話した。


「そうだったの、拓海君、辛かったね」と、乃亜は拓海の手を擦りながら慰める。

 尚吾はまだ憮然としている。

「拓海の気持ちはわかったけれど…あいつらとは距離を置いた方がいい」

「でも…おれ…ヴィンセントさんが…ホントに好きなんだ。もっと色んな事知りたいって思っちゃ駄目なの?」

「だから…知る必要はないんだよ。あいつらは…」

「ね、尚吾。拓海君が誰を好きになろうが、僕たちが横やりを入れるもんじゃないと思うよ」

「無責任な事を言うなよ、乃亜。拓海は子供だ。それにまだ、一度しか会ってない奴を本気で好きになるなんて馬鹿げてる」

「…僕は尚吾を一目見て、すぐに恋をしたよ。尚吾だって出会ってすぐにキスをくれたね。それから二度目に会った時にセックスをするから覚悟してねって言ってくれたじゃない。僕、すごく嬉しかったんだ。尚吾が本気で僕を欲しいって思ってくれて…」

「乃亜~…そこは、ぼかしてくれ…」

「尚吾さん、そんなこと言ったの?…かっこいい…」

「バカやろ…やぶ蛇じゃねえかよ…」

「尚吾、ヴィニーは大人だよ。拓海君を傷つけたり、遊びで付き合ったりはしないよ」

「乃亜さん、ありがとう!」

「僕は、拓海君に素敵な恋をしてもらいたいんだ。恋は生きるエネルギーになるからね。僕がそうだった。きっと拓海君も素晴らしい未来に生きる力を得られるって思うんだ」

「うん!おれ、頑張るよ」

「頑張って!島に遊びに行ける様にヴィニーに連絡してあげる」

「マジで!ありがと~」

 目の前のふたりがしっかりと両手を握りしめ、感動に酔いしれている様を、尚吾は半分呆れ、そして残りの半分はこの先の不安で占められた。

 この時ほど拓海の若さと我儘さに嫌気が差したことはない。

 だが、乃亜の言い分にも道理がある。

 確かに尚吾は山林の別荘で乃亜を一目垣間見ただけで、魔法にかけられたように、神の御業に屈したように、乃亜の前に頭を垂れたのだから。


 選りにも選ってヴィンセントに惹かれるなんて…。まだ子供の拓海をあいつらが相手するはずはないと、侮っていた俺がアホウだったわけか…

 まさかヴィンセントの奴、本気で拓海の相手をする気じゃないだろうな。するならするでお互いにひと夏限りの恋と割り切ってくれるのなら、こちらも折り合いをつけようが…拓海を傷つけたら、承知しねえからな、ヴィンセント。



 拓海がヴィンセントからの招待をもらったのはそれから三日後で、夕食を招待すると言う事だった。

 夕方、抑えきれない胸の高鳴りにうんざりしながら、拓海はヨットハーバーへ向かう。

 持ってきた服の中で一番マシと思えるジーンズと白のシャツにチェックのサマージャケットを身に着け、乃亜が用意してくれた庭に咲いていた淡い紫がかったピンクのイングリッシュローズの花束を持って、ヴィンセントのボートを待つ。

 約束の時間丁度に、「マーメイド」と書かれたクルーザーが、拓海の居る桟橋に横付けされる。

 橋げたもかけず、ヴィンセントは片足を板に乗せ、拓海に向かって、片手を伸ばす。


「ひとつ言っておくが、拓海…。君が望んだものを私が与えられるかどうか、試すのは君自身だよ」

「うん、わかってる。おれ、ヴィンセントをもっと好きになりたいから、ヴィンセントと一緒に居たいから…島へ行きたいんだ」

「では、手を取りなさい」

 拓海はヴィンセントの手をしっかりと掴んだ。力強く引き寄せた腕の先にはヴィンセントの胸がある。

「ようこそ、私の船へ」

「ヴィンセント…さん」

「ヴィニーで結構」

「うん、ヴィニー…」

「では、行こうか。我らの喜びの島へ」


 舵を握るヴィンセントの脇に立ち、滑るように海を走るクルーザーに揺れながら、拓海はこの先、どんな事があっても決して怖じ気ず、雄々しく立ち振る舞おうと、決意するのだった。



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