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激しい風が海の彼方から

挿絵(By みてみん)


5、激しい風が海の彼方から


 その夜、拓海はベッドに横になってからも、随分と寝つけなかった。

 今日一日、驚きとときめきの連続で、今まで生きてきた日々の平凡さと比べたら、まさに青天の霹靂ほどの衝撃である。


  目を閉じて、あの六人の兄弟を想う…

 末っ子の乃亜の可憐な可愛さと、人を思いやる優しさに拓海はこんな純粋な大人がいるのかと感動した。

 五男のリオンは無邪気で大らかな乃亜と違って、無口で愛想はないけれど、絵が好きで、持っていたスケッチブックに拓海の肖像画をさらさらと描きあげ、「あげる」と、手渡してくれ、嬉しかった。

 双子の三男のヤンと四男のルイはフリーのクリエイティブディレクター。傍から見ても仲の良い兄弟だと思った。

 スタイル抜群の次男のヨシュアは、主にファッションウィークのショーモデルとして活躍している。その割に人懐っこく、一番気軽に話しかけてくれた。

 黒髪長身でひときわクールな長男のヴィンセントは、イギリスの第五代エクスマス子爵。

 違う次元に住んでいるかのように思え、近づき難かったけれど、神秘的で一番印象に残る人だった。

 

 拓海はひとりひとりの名前と顔を照らし合わせながら、先刻彼らと交わした話の内容を繰り返し思い返した。


 くだらなくバカな事を言って、呆れさせなかっただろうか。

 子供じみた質問で、幻滅させなかっただろうか。

 みんなみたことないくらい綺麗な人だったなあ…。

 特にヴィンセントさんは、昔、宝物にしてた碧いビー玉みたいな目の玉してて、こっちを見られるだけで緊張して手が震えてしまった。子爵って…貴族のことだろ?わかんねえけど、凄いんだろうな。お城とか持ってるんだろうか。

 考えてみりゃ、それもこれも乃亜さんが尚吾さんの恋人だからだよな。

 尚吾さん、凄い人たちと親戚付き合いしているんだな。

 一体どうやって乃亜さんと知り合いになったんだろう…

 

 尚吾の彼ら兄弟への対応にも拓海は驚いた。

 何ひとつ違和感もなく、家族同然の如くリラックスしていた。

 それ以上に驚くのが、兄弟の尚吾への好感度だ。

 口ではケンカをしているのかと心配するほど毒づきながらも、眼差しは優しく、尚吾と掛け合いで話すのが楽しくてたまらなそうだった。

 食事の途中で理容が得意だと言うヤンが、縁側のテラスに尚吾を連れ出し、彼の髪を切り始めた。聞けば三か月に一度、ヤンはここに来て、尚吾の理容をするのだと言う。

 尚吾は「あんまり短くするなよ。この間も取引先の客から、新入社員みたいに若くなったってからかわれたんだからな」と、鋏を持つヤンに文句をたれる。

「若く見られるんだから、いいじゃん」

「そうだよ。尚吾は短めの髪が良く似合う」と、鏡を持つルイがのんびりと笑う。

「三十路の男にはそれなりの貫録が必要なの!」

「尚吾はどんな髪型でも最高にステキだよ。でも、僕はいつまでも若い尚吾でいて欲しいかも」と、乃亜が鏡に映る尚吾を見て、にっこりと微笑むものだから「そうか?乃亜がそう言うんだったら…まあ、いいけど…」と、とうとうヤンに委ねることになる。

 結局ヤンの御手のままに尚吾の髪型は誰が見ても若くていい男風に決まったわけだが、その時間の穏やかな空間に拓海もなんだか癒される気がした。


「尚吾さんは、皆さんに好かれているんですね」

「まあ…あいつは特別だからな」

 リビングのテーブルから尚吾たちの様子を眺めていた拓海は、誰ともなく言ったつもりだったが、向かいに座るヨシュアが拓海に答えた。

「特別…ですか?」

「それでも、初めて尚吾を見た時は、そりゃあ随分と憎んだもんだぜ」

「え?どうして?」

「乃亜は俺達兄弟のアイドルで、大事に可愛がっていたからな。それをいきなり黙って寝取られたんだ。怒って当然だろ?」

「そう…なんだ」

「尚吾は色男だから、遊びで乃亜と付き合っているんじゃないかって、そりゃ心配したものさ」

「じゃあ、どうして…尚吾さんを許したんですか?」

「…拓海、おまえ、好きな人を救う為だったら命を賭けられるか?」

「え?」

「恋人の命を救うために、自分の命を差し出さなきゃならない…それを口だけではなく、実行できるか?って事だよ」

「…わからない。いや…できないと思う。だって、いくら好きな人の為でも自分が死んだら、意味ないじゃん」

「それが普通だよな。いくら口で命を賭け守るって誓っても、本当に命を捧げる奴なんてそんなに居るもんじゃない。でも、尚吾は乃亜の為に自分の命を捨てた。その覚悟を俺達は目の前で見せつけられた。だから…俺達は尚吾を他の人間とは違う特別な奴だと認識している」

「命を賭けた?乃亜さんの為に?」

「簡単にできるもんじゃないだろ?」

「うん」

「羨ましいとも思うだろ?」

「うん」

「俺達も同じく、あいつらが羨ましいんだよ。なあ、ヴィンセント」

「…そうだな。だが、愛とは感情の産物だ。決して永遠に持続するものでもない。信じるという感情は不安定で、簡単に裏返ってしまう。…未来永劫、尚吾が乃亜を裏切らないという保証はどこにもない」

「…」

 ヨシュアやヴィンセントの言葉は、拓海には難しかった。

 命を賭ける意味も、永遠の愛の意味も、拓海の淡い恋とは程遠いものに思えた。



 あまりに寝付かれず、拓海は喉の渇きを癒そうと部屋を出た。夜は深い。

 階段を降りようとした時、尚吾と乃亜の寝室から僅かだが甘い声が聞こえた。

 そう言えば、今日は尚吾と乃亜が最初に出会った記念日だと、誰かが言っていた。その夜に睦み合うのは当然と言えば当然であり、拓海はそれがいやらしいとは感じなかった。ただ、乃亜の快楽に酔った喘ぎ声が、羨ましくてたまらない。

 命を賭ける程に尚吾に愛される乃亜…。

 美しい兄弟たちに可愛がられ、今でも心配されている乃亜…。

 羨ましすぎて、憎しみも沸いてこなかった。


 壁ひとつ向こう側で、愛し合う理想の恋人たち。

 自分はあんなに良い声を上げていたんだろうか。

 Rとの情事はただ性欲を満たすだけの愛情のない行為だったのではないだろうか…と、拓海は自分とRとのセックスを思い返した。そして少しも納得するものではなかったと落胆した。

 階段に腰かけ、しばらくの間、交じり合うふたりを想像してみた。だがどう描いても、拓海が満足する快楽は味わえなかった。


 おれには愛する意味がわからないから、本当の快楽も理解できないのかもしれない。



 翌日、寝付くのが遅かった所為で拓海は寝過ごしてしまった。

 時計を見ると間もなく十一時である。

 Tシャツとジーンズに着替えて、一階へ降りてくると、リビングで寛いでいる尚吾と乃亜が声を掛ける。

「おはよう、拓海君」

「今日は日曜だから御小言は言わないでおくが、明日からは一日のスケジュールを決めて、健康的に過ごしてくれよ」

「わかりました…。ごめんなさい」

「じゃあ、食事の用意するね。拓海君も手伝ってくれる」

「うん」

「尚吾はああ言ってるけどね、休日は僕らもブランチなの。だから拓海君も寝坊しても構わないよ」

「…」

 爽やかに笑う乃亜を見ると、昨晩のふたりを思い出し、拓海は赤面する。

「どうしたの?拓海君」

「なんでもないよ、乃亜さん。そうだ。おれ、ここに居る間は、家事も覚えたいから、色々こきつかってください」

「わあ、うれしいな。じゃあ、拓海君と一緒に僕も頑張るからね」

 拓海の両手をしっかり握りしめて、満面の笑みを浮かべる乃亜の可憐さと言ったら…尚吾の前であっても思わず頬が緩んでしまう。


「拓海~。飯が終わったらちょっと外に出ないか?ずっと家で過ごしてもつまらないだろう。近所を案内するよ」

「う…ん」

 尚吾の視線がきついは牽制のつもりなのか?

 相当の妬きもち焼きだな~と、拓海は呆れるが、乃亜がこんなに可愛いのでは仕方がないのかもしれない、と、逆に尚吾を不憫に思う。


 食事の後、拓海は尚吾に海辺への近道を教えてもらった。

 急な坂になった裏道を降り、松林を抜けると五分も経たぬうちに白波打つ浜辺へと着く。

「ここは地元の奴らもあまり知らない浜だから、気兼ねなく泳げるし、あちらの岩場は海釣りを楽しめる。ああ、足場には気を付けろよ。それから、ここからは見にくいけれど、あの小さな崖の下には小さな岩穴があって、ふいな雨宿りなんかには便利だ。学生の頃はよくみんなで遊んだもんだぜ。…ロクな遊びじゃなかったけどな」

「へえ~、尚吾さんでも不良だったことあるの?」

「大人にわからないようにワルぶって秘密主義になるのは、思春期の特権だと思っていたよ。自分でもわからない熱情に振り回されたり…その居場所があの岩穴だったりねえ…ちょっぴりしょっぱかった気もするけど…」

「ね、尚吾さん」

「なんだい?」

「昨日…ヨシュアさんたちが言ってたんだ。尚吾さんは命を賭けて、乃亜さんを救ったって。それってどういう事があったの?…おれには、命を賭けてまで愛すると言う意味が、わからないんだ」

「…難しい事じゃないさ」

「え?」

「もし、大海原で愛するふたりが小舟に揺られ、舟を漕ぐ櫂もなく、食べ物もない。後は餓えて死ぬだけ。神様がどちらかひとりだけを助けてやろうって言われたら…俺は迷うことなく、愛する人を救ってくれと祈る。…それだけのことだ」

「でも、それを思う事と実際にやるのは違うよね」

「俺はただ…乃亜に死んで欲しくなかったんだ。俺が死んでも乃亜が生きてくれたら、俺の命は報われるって…あの時は思った。…まあ、俺も乃亜もこうやって生きてるし、あれほど必死な自分がいるんだと、自分で驚いたし…。だけど、愛ってもんは天気みたいにコロコロ変わるものだから、またあの時と同じように命を賭けられるどうかはわかんねえぜ」

「…ヴィンセントさんも、おんなじようなこと言ってた」

「ヴィンセントが?…ふ~ん。まあ、いいけどさ、拓海。あの兄弟は魅力的かもしれんが、あまり関わりあうなよ」

「なんで?」

「…あいつら揃いも揃ってゲイだから、ノーマルなおまえに感染したら困るだろ?」

「…尚吾さん」

「なに?」

「自分を卑下するようなことは言わないでくださいよ」

「え?」

「おれは尚吾さんがゲイでも、尊敬してるし、乃亜さんとずっと仲良く愛し合って欲しいって思っているんだ。だからゲイとかノーマルとか…そんなの関係ないし」

「…そりゃそうだな。俺が悪かったよ、拓海。俺だって、あいつらの事は好きだよ。乃亜の兄弟だし、今じゃ大事な家族だと思っている。だけど…まあ、あいつらは…少し変わっていて…。いい奴らに違いないけど、なにしろ手が早いくせに、火遊びばかりで…本気で恋愛をする気はないんだ。遊び慣れてる相手ならそれでも構わないんだろうが…おまえはシロウトだし、まだ高校生だからな」

「心配ないよ。あの人たちが、おれみたいなガキを相手にしてくれるわけないじゃん」

「…」

「おれ、ここが大好きになりそう…」


 眼を閉じ、両手を広げ、気持ち良さ気に海風に身体を晒している拓海を眺め、尚吾は自分の青春時代を思った。


 刺激的な体験こそが、一番欲しかったモノ。

 煩悩に生きる子供は、秘密の王国に住みたがる。

 いつだって大人よりもずっと純粋に貪欲に愛の形を求めるんだ。

 もろくて中身のない形でも、それは輝いて見えてしまうから。



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