恋の秘密を誰が知ろう
10、恋の秘密を誰が知ろう
ヴィンセントの両親は純血の人魚であった。
彼らはすでに人間世界で生きる利得性を理解していた為、素性を隠しながら人間らしく生活することに苦労はしなかった。ただ人間よりも遥かに長い寿命だけは誤魔化せない。
数人の仲間が魔女狩りによって磔火あぶりになった様も、ふたりは目の当たりにした。
迫害は怖れからくる。自分たちより強い者、賢い者、優れた者を容赦なく抹殺することは人類の常なる特性だった。
ふたりは折を見て、自分たちの死を覚悟しながら、子孫を残すことにした。
そして、ヴィンセントは産まれた。
父親は他の人魚に漏れず、ヴィンセントが生まれて一年も経たずに衰弱し、亡くなったが、母親は一年経っても二年経っても死ぬ兆候は現れなかった。
彼女はヴィンセントを連れ、顔見知りの男爵の元へ嫁いだ。
人魚には人間を魅了する魔力があると言う。妻を亡くしたばかりのエクスマス男爵は、美しい人魚の姫を心から愛した。
妻となった人魚の姫は、息子であるヴィンセントに家督を継ぐことを男爵に約束させた。
ヴィンセントが十歳になる頃、人魚の母は死んだ。
母は死ぬまでに、人魚の王の資格を持つヴィンセントに様々な掟を教えた。だから母親が死んだ時も、ヴィンセントは泣かなかった。それはいずれ来る運命だと知っていたから。
母の喪が明けた朝、ヴィンセントはひとり海へと向かった。
母とふたりで泳いだ海だ。
小さな身体を飲み込む白波も、果てしない大海原もヴィンセントには故郷でしかない。
ヴィンセントは深く息を吸い込むと、青い海の底を目指して潜って行く。どこまでもどこまでも。
やがて両の足が魚のようなヒレになり、呼吸をしても少しも苦しむことも無くなり、深海の世界が煌きながらヴィンセントの目前に現われ、新しき海の王を歓迎していることに気づく。
太陽の光が届かない海底にはうっすらと別の光源があり、ヴィンセントの行く先を照らしだした。
ヴィンセントは母親から聞いていた青い薔薇を探し続け、そしてやっと見つけ出した。
人魚の王の印「グランブルー」の花だ。
顔を近づけると馨しい薔薇の香りがする。
ヴィンセントは薔薇を一輪手に取り、強く胸に押し付けた。薔薇はヴィンセントの裸の肌に青い文様を刻み込んだ。
ヴィンセントを海の王と認めたのだ。
二十歳の頃、地上の世界では大戦争が始まった。ヴィンセントは貴族ながら戦場の最前線に立ち、多くの功績を上げた。王は彼を讃え、子爵の位を贈った。
この時、焼野原の街中でヴィンセントはまだ少年だったヨシュアと出会った。
彼らはお互いが仲間同士であることを一瞬のうちに見抜き、ヨシュアは人魚の王たるヴィンセントに付き従うことを決意した。
戦争が終わり、領地と財を保持したヴィンセントは世界のどこかに潜むであろう仲間を探し出す為に、海運業を営む。
世界中の海を渡り、生き残った人魚の噂を聞き逃さず、彼らを見つけ出し、生き残る道を示していく。
ヴィンセントは懸命に使命を果たす事、仲間を見つけ出し救う事が自らの宿命だと言い聞かせ、役目を果たすためにこれまで生き続けてきた。言い換えればそれはヴィンセントの生きる拠り所ではなかっただろうか。
自分の行いは何よりも尊いと思い込み、もっと別の大切なものを見失ってはいかなっただろうか…
『乃亜のモノだと判っているのに、なぜ私は尚吾を欲しがったりしたのだろうか…』
ヴィンセントは尚吾を抱いたあの午後の情事を思い出しては、同じ問いを自身に投げかけていた。
『人魚は多情だ。気に入った者を見境いなく味見をせずにはいられない。時にはそれが命取りになる。それがわかっていながら、自分の堕ちる様を見たいと望んでしまう生き物なのだ』
尚吾を欲しがった自身を戒めることをするつもりはない。乃亜や他の兄弟に話す必要も無い。
多分…と、ヴィンセントは思う。
『私は…尚吾とふたりだけの秘密を共有したかっただけなのかもしれない』
それはヴィンセントの尚吾への一方的な執着なのだろう。
二日後に東京でショーがあると言うので、ヨシュアは四、五日留守にすると言う。スタッフにとヤンとルイも呼ばれているから、別荘にはリオンが残るけど後はよろしくと、キッチンに立つヴィンセントに近づいた。
ヴィンセントは承知したと言いつつ、焼き上がったミートパイをオーブンから出した。
「拓海を招く夕食の準備かい。ローストビーフの仕込みに…お、ミートパイ、美味そう~」
横からつまみ食いをするヨシュアに、ヴィンセントは行儀が悪いとしかめ面を見せる。
「ヴィンセントの料理を味わえるなんて、拓海も幸運だな」
「せっかく招待するのだから、得意料理でもてなしてやろうと思ってね」
「そりゃ当然だな。いつも尚吾と乃亜にはご馳走になっているからな」
「…そうだな」
滅多な事では感情を面に現すことのないヴィンセントだが、長年傍でヴィンセントを見ているヨシュアはわずかな変化も見逃さない。
「…なあ、ヴィニー。拓海はあんたに告白したんだろ?それであんたは拓海をどうしたいんだ?」
「別に。私はあの子には何も求めてないさ」
「あの子に…は、ね。余計な世話だと思うけどさ…。尚吾はいい奴だよ。今まで色んな人間と出会ってきたけれど、あいつは相当にマシな部類だし、悪癖はあるけど、バカ正直で可愛いし、何より乃亜に尽くしてくれてるし…だから、まあ…尚吾に協力する意味でも拓海には優しくしておくのが得策だと思うけどね」
「ヨシュアは本当に尚吾が好きなのだな」と、ヴィンセントはヨシュアをからかってみた。
「あんただって…そうだろう?」
「…」
「素直じゃないヴィニーも俺は好きだけど、俺達よりも生きる時間の短い人間にはもう少しわかりやすい態度を見せないと、誰もあんたを理解できないぜ」
「人間に理解されたいとは思わないが」
「俺は嫌だな、あんたが誤解されるのは。本当は誰よりも頼りになる優しい男なんだと、尚吾に理解して欲しいけどな」
「…くだらないなあ、ヨシュア。それにこの事は尚吾には関係のない話だ。それより急がなくていいのか?日本の飛行機は時刻通りに離陸するぞ」
「そりゃまずいね。じゃあ、拓海によろしく」
「Bye、Joshua。Goodluck」
ヨシュアを見送った後、ヴィンセントは自分だけの為に紅茶を淹れた。
ヨシュアの言葉がヴィンセントの胸に深く突き刺さる。
『尚吾に私を理解して欲しいって?…そんなことなど考えたこともない…いや、多分ヨシュアの言い分も一理あるのだろう。だから昔話やらどうでもいいことを尚吾にダラダラと喋ってしまったんじゃないか…』
その上、ヴィンセントは尚吾の気を惹く為に、嘘話まで作り上げたのだ。
『人魚は人間の性的エネルギーを好むなんて…よくでっち上げたものだ。真剣な尚吾の顔を見るのが面白くて、つい適当な事を言ってしまったのだが…』
ヴィンセントの話に驚いたり同情したりする尚吾をからかって面白がるつもりだったが、次第に尚吾への欲望に変わっていくことにヴィンセント自身も動揺していたのだ。
『尚吾の肉体は想像以上に素晴らしく、充分に私を満足させてくれた。しかし…尚吾は、私を許さないだろう…』
確かにヴィンセントは尚吾に理解されたがっているのだと認めざるを得ない。
夕方、クルーザーで拓海を迎えに行き、ハーバーで待つ拓海を見た時、ヴィンセントは無意識に尚吾の影を探している自分に苦笑した。
『これでは不毛な恋をしているこの少年と同じではないか…』
拓海が夏の黄薔薇の花束をヴィンセントへ差し出す。
「乃亜さんが、ヴィンセントさんは薔薇が好きだからって…庭に咲いてたのを切ってくれたんです」
「そう、ありがとう。それからヴィニーと呼んでくれてかまわないよ」
「え?…でも呼び捨てはちょっと…。ではヴィニーさんで」
直視も出来ずに頬を赤く染める拓海は、尚吾と違って素直で愛らしい。そういう子は世の中に多いが、尚吾の甥はこの子だけなのだと、ヴィンセントは目を細くした。
拓海を招いた伝統的なイギリス式の夕食には、リオンも同席した。
二十七歳と言うリオンだが、見た目は拓海と同じくらいにしか見えない。性格もマイペースでおっとりとしており、拓海に対しても別段気を使う気もなく、ヴィンセントの料理を素直に褒めながら口に運んでいる。
ヴィンセントにエスコートされ、別荘に着いた時は緊張で固くなっていた拓海も、のんびり屋のリオンのお蔭で、料理の味は一応わかる状況まで落ち着いている。
「で、拓海はどうして学校を休んでいるの?」
「え?」
リビングのソファに移り、デザートのカスタードプティングを食べながらの唐突なリオンの質問に、拓海は一瞬警戒しそうになったが、リオンはそんな拓海を気にした風もなく、言葉を続ける。
「不登校って日本ではポピュラーなの?せっかく自由に色んなことを学べる時期なのに、なんだかもったいない気がしたから。拓海は学校よりももっと役に立つことを勉強したいのかな~って思ってさあ」
「リオン、拓海は失恋のショックで学校に行けなくなったんだよ。若い時期にはよくある事さ」
「ふ~ん、じゃあ、その相手って、拓海が学校に行けなくなるぐらい素敵な恋人だったの?」
「え?…いや…どうかな…。そうだな…。今から考えれば別にそんなに夢中になるほどの相手じゃなかったと思うけど、でもなんかね…別れたからって平気な顔で、そいつを見たり話したりできなかったんだ。別れてもおれだけが未練がましいのも、なんか悔しいし、そんな顔を見られるのも嫌だったし…たぶん全部自分が弱いからだと思うんだけど…」
「拓海はえらいね。別れた相手を非難しないんだね。それってすごいことよ」
「そ、そうかな…」
「でも、僕なら意地を張ってでも学校に行くかな~。で、そいつに平気な顔を見せつけてやれる自分を褒めてあげるんだ。傷ついても我慢できる自分はえらいぞ~って」
「…」
「拓海、こう見えてもリオンは我が兄弟の中で、一番のポジティブな男なんだ。リオンが居てくれると皆が元気になれる」
「でもね、僕は誰かに愛してもらってないと生きられないんだ。だから拓海が失恋した辛さってわかるよ~。でも、また素敵な人に会えたから良かったね」
「え?」
「ヴィンセントの事が好きなんでしょ?今夜はセックスするんでしょ?ヴィニーは素晴らしいから、きっと拓海も失恋の痛みなんて忘れると思うよ」
「リオン、そんなことを言ったら、拓海が誤解するだろう。それに、私はセックスをしたくて拓海を招待したわけでもないよ」
「…(そうなの?)」と、拓海は思わずヴィンセントを凝視した。
「そうなの?拓海?」と、リオンは首を傾げて拓海の顔を真顔で伺う。
「え?…いや、あの…でも、セックスってひとりでするもんじゃないから…。相手の事情があるだろうし…」
リオンに己の欲望を見透かされた拓海は恥ずかさのあまり、トイレに行くと言って急いで部屋を出ていった。
「リオン、あまり拓海をからかうんじゃないよ」
「からかってはいない。拓海が望むなら、ヴィニーは抱いてあげるつもりなんでしょ?それとも、尚吾に義理立てするのかなあ~。まあ、それもヴィニーらしくて面白いけど」
「…」
痛いところをついてくる弟だ、と、ヴィンセントは暢気に二個目のプティングを平らげるリオンに苦笑する。




