あたためたい気持ち
大会10日前… 水泳を取られたわたしは、久しぶりに土日が空いていた。
待っていたように、ミナミとアカネが「集合!」連絡をしてきたから…高校時代からのお決まりの場所で、皆でオチャすることになった。
昼下がりのカフェ、私たちはいつものお気に入りのテーブルで、定番のメニューを頼んでいた。
柔らかい日の光とともに、洒落たジャズが掛かる中、ゆっくりと時間が流れていく。
少し離れたテーブルで、オバサンたちが喋っていた。いつも誰かが話していたりとか、静かすぎない雰囲気が、私は昔から好きだった。
ここは、オチャとケーキセットがイチオシ。なかでも、ハーブティが飲み放題だったから、ミナミは特にお気に入り。
そのミナミは…
「あ、ミナミきた。」
アカネがガラス向こうを見ながら呟く。ミナミは、今日も遅刻。もう常習犯。いつものことだね。
「着いたよ」連絡すると「いま家、出るね」と当たり前のように返事が返ってくるんだもん… 呆れたというか、慣れたというか。
一瞬、このごろ知り合った人達だったらなんて言うか…ふと浮かんだ。
カンナちゃんだったら、一刀両断だろうな
「社会人になって遅刻?無断で待たせるとか、常識ハズレね」とか、言いそう。
大会の朝、無連絡で遅れてきた男子を冷たく一瞥して謝らせてたエピソードが浮かぶ…
ありえないな、うちのプールじゃ。
ミナミが「ハロオ~」と手を振って近づいてくる。
「朋子、痩せた??」
そして謝りもせず、ミナミが堂々と座った。
「ジム、通ってるから」
…やっぱり、ミナミ 謝らない… もう、いいけど。
わたしは、少し乾燥したスポンジケーキを、フォークでもう少し小さく切った。
「そう、ミナミ聞いてよ! 朋子、ずっとジム通いしててさ 練習しすぎて足首痛めたらしいよ」
待ってましたと、アカネが話し始める。
「どうしちゃったの、朋子〜っ!スポコン優等生じゃない。通ってるトコに、かっこいい人とか、出会っちゃったりしたの?」
「…」
どうしてそういう方向に走るかなぁ、この二人。
「朋子、なに、春きた?」「お姉さんに話してご覧なさい!さあ!」
興味津々な二人だけど…
「春、ねぇ…」
わたしは生憎、春的な浮かれた感じはなくて。
んーん
春らしい、春だっけ?春といえば、春…かもしれないけど…
世間で言う桜が咲き誇るような『春』よりも、先に浮かんだ風景は、違ったもの。
カンナちゃんとごんちゃんが、屋外ジャグジーで豪快に笑ってたり、
タロー君がカンナちゃんにチョッカイ出して、ユカちゃんにツッコまれてたり…と和気あいあいとした小さい日常。
あったかくて、ささやかだけど、ほんのり明るくて。
そういえばこの前、「王子って彼女いるの?」って聞いたら「いますよ、倦怠期ですけど」ってサクっと答えてくれたっけ。
そしたら、アイちゃんがすかさず
「王子って、イザってときは、ガオーってなるの?」って変なこと言い出してさ… タロー君が「ガオーってなんすか?ガオー」って悪ノリして。
王子は、クスっと笑いながら
「まぁ…男ですから」って律儀に答えてくれるもんだから、皆で笑っちゃったっけ。
「春…」
もちろん、二人はそんな話を期待してるとは思えないんだよね。
ちらついたのは…
サウナでストレッチをしながら、わたしの話を延々聞いてくれたヤマトさんの背中。
長い手足に、アメリカのヒーローマンガみたいに、見事な筋肉質で。でも、背筋とかピリッと伸びて、いつも穏やかで丁寧な言葉遣いするの。
…ますでサムライ? 修行僧? ヤマトさんは、慎ましくそして謙虚だけど、練習にはストイックで…
次に浮かんだのは、ペースクロックを見つめる横顔だった。
シャープな顔立ちに真っ黒のゴーグル姿が、よく似合ってた。鼻緒の部分をたまに押さえてたりしてね…サングラスしても格好いいんだろうなって、密かに思ったりして。
本人は「黒のゴーグルって使いづらいっすね」って漏らしてたけど、ヤマトさんは、黒のゴーグルがよく似合う。
気が付いたらいつもヤマトさんを探していた。そして、見つけると少し安心してずっと見つめてしまう。
そんな…春らしい春は、あるけど…でも、まだ言いたくない。
二人が探るようにみている。
「それは、いるってこと?」
いない、と言ったら嘘になる。いる、って言ってもいいのかもしれないけど…ミナミとアカネには、まだ言いたくなかった。
「何やってる人か知らないんだもん。」
当たり障りなく、会話をぼやかせた。
「フルネームもお互い名乗らないし、仕事の話とか皆しないから。」
ここまでいえば、諦めてくれるかな…そう思って、どんどんぼやかせると、案の定、アカネが割って入ってきた。
「なにそれ、知り合い止まり?」
アカネの言葉に、心の中で小さく万歳。
「みんなそんな感じ」
「なにそれー」「久しぶりに朋子の恋バナ聞けると思ったのに」
誰がどう見ても、蕾としか思えない小さな心のつながり。人に話すのはまだ破棄だとしても。
言えなかった。
恋も大事にしたいけど、泳げるようなってきた自分も、大事にしてあげたい。
ヤマトさんとのきっかけになった、カンナちゃんたちの話は、もちろん出来なかった。
ヤマトさん自身のことも話せなかった。
ちゃんと話せば、十分恋バナだけど、そこまでして…話したくなかった。なにかに穢れちゃう気がして。
「写真とかないの?」
お生憎なことに。
「プールサイド、ケータイ持ち込み禁止なんだ…」
「えー、じゃあ連絡先とかは…」
「女の子同士ならロッカールームで交換できるけど…男子は、ね?」
早く諦めて。そろそろ。お願い。
「なんだぁ~ 気になるけどぉ…」
しょうがないなあ、と会話は別な話題になった。
テラス席からみる道では、ジョギング中の男の人が走ってる姿が見えた。サングラス姿が…どことなく、ヤマトさんのゴーグル姿に似ていた。
「朋子、どうしたの?」「帰ってこーい」
「あ、ごめん。ちょっと知り合いに似てた気がしただけ」
私、やっぱり ヤマトさんの事、好きなんだなって思う。
そして… 今の気持ちを大事にしたいなって思った。