第八話 白蓮と万里
ちょうど入れ違えるように、木杖を携え琵琶を背負った男が現れて、足下に跪いた。
「先刻はお助けすることもかなわず…恥を忍んで参りました」
「それって、あなた達が鏡の中に引きずり込んだわけじゃないってこと?」
男はかしこまって答える。
「はい。わしらは無理やり連れ去るような野蛮なことはいたしませぬ」
自らを「わし」と言う男を、まじまじと見つめてしまう。
男はジジイ言葉を使うほど年をくっているようには見えない。
彼もまた凛々しい顔立ちをしており、瞼を閉じたままの様子から盲目なのだとわかる。木杖を手にし、布に包んだ薩摩琵琶を背負っており、背も高く、長くのばされた黒髪を高い位置で結っている。濃紺の着流しが彼の落ち着いた印象を強くしていた。
「なぜ私が引きずりこまれたのか理由が知りたいです」
「わしのことは、白蓮とお呼びくだされ」
「白蓮さんね、私は結子。敬語なんて使わなくていいから。それでさっきの続きだけど」
「我らも皆、呼びすてで結構。天壱からはどこまで聞かれたのじゃ」
「てんいつ…?」
結子はその名を頭の中で繰り返した。先程の男の名だろうか。
そういえば…盲目なのになぜ天壱がいたことがわかるのだろうか。そもそもどうやって結子の跡を追いかけてきたのか。
「誰が袖の香りじゃよ。天壱は愛する人の匂い袋を袂にいれておる。それにわしは盲目じゃが、この宝玉が姫殿や仲間の居所を教えてくれる。宝玉は互いを呼び合う」
よほど怪訝な顔つきをしていたのだろう、白蓮が教えてくれた。
なるほど…天壱は甘い香りに包まれていた───愛する人の誰が袖。
愛する人というのがなんとなく気にはなったが、今は自分の置かれている状況を知るほうが大切だと、結子は話を戻した。
「人間と妖鬼が入り乱れていて、この暁の国も領主が殺されていること。それから、宝玉に力の源が封印されていて、気の交流で解放されるって」
「その通り。わしらが妖と戦うためには宝玉と姫殿の気が必要。姫殿の世界、日本とつながっている道は《暁神社》になるのじゃが、何者かが封じてしまった為に我らはなかなかお会いすることができなかった。妖王の一味によって引きずりこまれた時は心配いたしました、ご無事でなにより」
やはりよくわからない。どうして《六國》という世界に…《暁の国》へ来なければならないのか。
結子は天壱の立ち去った方角を無意識に眺めながら尋ねた。
「私と妖王にどんなつながりがあるの? 私はもう帰ってもいいんでしょ?」
白蓮は三メートルほど離れた場所に跪いている。そんなに離れなくてもいいのに、どうやら女嫌いというのは本当らしい。
彼の様子からすると話してもよいものか迷っているようだ。
「妖王とのつながりのぅ…話せば長くなるので、とりあえず先に力を解放してはもらえまいか」
「ひょっ…ひょっとして解放って」
おそるおそる尋ねると、白蓮は口元に微笑を浮かべて右手をさしだした。これが白蓮の気の交流らしい。
(よかったぁ〜。口吸いじゃなくて)
「ご無礼をお許しくだされ」
こちらに向かって宣誓するように右手をあげている白蓮に、結子は左手を重ねそっと瞳を閉じる。白蓮の手の感触は大きくて温かい気に満ちていた。
(やっぱり不思議な感覚…何かが流れ込んでくるカンジなのよね)
瞼を開けると、正面の白蓮の顔は紅潮していた。重ねたままの手から彼が震えていることに気づく。かなり緊張しているらしく、女嫌いは筋金入りのようだ。
手を放した二人は、どこからか変な音が聞こえてくるのに気づいた。それはどんどんこちらの方へと近づいてきている。
(なに…? 戦国時代の出陣の合図みたいな…)
白蓮が菅笠をあげて見ている土手の向こうから、白い装束を着た山伏が歩いてくる。
山伏はやたらと法螺貝を吹き鳴らしている。
本来、法螺貝というものは入山する時や戦の出陣の合図に吹くはずだが、彼の場合、はっきりいって意味はなさそうだ。
「遅いぞ、万里。ん…? 左近はどうしたのじゃ」
(たぶん左近っていうのは、あの猿まわしさんじゃないかしら)
「私はこちらでは会っておりませんが、何処へとばされたのでしょうねぇ」
「まぁよい」
いや、よくないと思います。結子一人が脳内ツッコミをいれる。
「おおぉ、姫様っ、ご無事でしたか!!」
結子に気づいた山伏男は嬉嬉としており、今にも抱きつきそうな勢いだ。
(と…とりあえず落ち着いてっ! 法螺貝もしまって欲しいかもっ)
白衣の山伏男もまた片膝をついた。
「万里とお呼びください。白蓮と同じく、姫様をお守りすべく参上いたしました」
「あのぉ、姫様って…私は結子です。人違いじゃ…」
「これはまた珍妙な。わしが気を交流させたのだから、間違いないわい」
「姫様は暁国の領主の末女──結衣姫様の転生したお方。命にかえてお守りします」
「結衣姫ぇ!?」
「はい。領主には三人の姫様がおられましたが、上のお二方は他国へ嫁がれ、最も霊力の強い結衣姫様は国に留まり、巫女としての務めを果たしておりました」
結子は眼前に跪く万里と名乗った男を見つめた。
全身に白い装束を身に纏った身体つきは、マッチョというわけでもなく、かといって細身というわけでもなく、結子の世界でいえば平均的な体格だ。
頭には山伏の被っている兜巾ではなく白い布を捲きつけている。木製の箱を背負い、手甲脚絆をつけた腕には錫杖。穏やかな瞳と女性のような柔らかな笑顔が、中性的な印象を与える。
(女性にも見えるけど、この人も美男子だ……恐るべし暁の国!!)
「やっばり…万里も力が必要なのよね?」
「はい。願います」
結子の顔が一瞬ひきつり、すぐに天壱とのキスを思い出して真っ赤になった。
「あの…怖がらせてしまいましたか」
「なっ、なんでもないから」
気の交流は、彼の左手と結子の右手を交えることで、滞りなくすませた。
「あと一刻で日が暮れるぞ」
「姫様、とりあえず今晩の宿へ参りましょう」
宿などあるのだろうか? ここは山の中。杉林と雪原と大きな川があるだけだ。
「ここに来る途中、廃寺を見つけましたから寒さをしのぐにはいいですよ」
「では行こう。詳しい話はそこでしてやるわい」
まだ訊きたいことがあったのだが、結子は黙って頷いた。
万里は再び、法螺貝を吹きはじめた。まだ吹くつもりらしい。
隣で白蓮が思いきり迷惑そうな顔をしている。
「近所迷惑じゃ」
「そうですか? でも左近が気づいてくれるかもしれませんし…こんな山奥で近所迷惑もないでしょう。それに彼はまだ宝玉を手にしていませんからね」
どうやらはぐれてしまった仲間に気づいてもらうために、ここまで吹き続けてきたようだ。
「近くにいなければ意味ないわい。弐甲にいるとは限らぬ」
暮れゆく夕闇の中、今宵の宿を求めて三人は法螺貝の音色と共に歩き出した。
その頃──。
「ういろう餅ってホント美味いよなぁ、夜叉丸」
「うっきぃ」
「見ろよ、あの天守閣。妖鬼たちにぶっ壊されても崩れやしねぇ」
かつて人間が繁栄を極めたであろう緒張城を、木の上から眺める男と小猿が一匹。
「って、観光にきたんじゃねーんだよッ! どうして俺ばっか飛ばされるんだ!? この前は欧見で温泉入って、その前は…確か弐甲で湯葉食べたような…」
彼の手には笹の葉に包んだ土産まで用意されている。
「願ったところに行けるなら、姫さんの近くに鏡があれば行けるはずだよな? なんで変なとこに出ちまうかなぁ〜」
その横顔を眺める小猿が「それは雑念が多いからだよ」と口にすることはなかった。