第伍拾弐話 さよなら天壱
瞳に正気が戻ると、結子は破邪の剣をかまえた。
孔雀明王は暁の守り神。暁は孔雀明王を崇め奉る国だった。
結衣姫としての記憶が戻った今、孔雀明王によって与えられた破邪の剣と獣の力。
神々しい気が身体中に満ちている。
瀕死の天壱はすでに銀虎としての姿を解いていた。
朱羅は祭壇を這い上がって螺国へ逃れようとしている。
「破邪の剣よ……お願い、力をかして!」
『妖は……闇を纏うモノ……闇は影なり』
破邪の剣が脈うち輝き出した。腕の宝玉もまだ輝きを失ってはいない。
『影は異形……それは……まやかし』
「妖王・朱羅よ、おまえはすでにこの世にない! おまえはただの思念なり! 邪悪な魂よ、浄化の光とともに────去れ!!」
七色にほとばしる光が破邪の剣を包み込んでいる。
結子はかかげた剣を朱羅へと投じた。
背に剣が突き刺さった妖は断末魔の叫びをあげた。
「おのれっ…おのれ…暁の巫女オオォォォ!!」
妖王・朱羅は七色の光に包まれて剣とともに消滅した。
朱羅の肉体はとうに滅んでいたのだ。魂のみとなった彼女は妖王としての存在に執着するあまり、そのことに気づいていなかった。彼の配下たちもまたしかり。
主を失って維持できなくなったのか、妖の城は揺らぎ始めた。
天井が崩れ落ちる中、結子は慌てて天壱のもとへと駆け寄った。
「天壱、しっかりしてっ!」
天壱の呼吸は弱弱しく、結子の心臓は恐怖で早鐘のように脈をうつ。
「終わったな……やはりお前は……暁の巫女だ」
こんなに弱りきった天壱を見るのは初めてだった。
不安になって泣き出す結子に彼は言った。
「結子…夜叉丸の鏡に……、本当に帰りたい場所を……日本を願って飛びこめ」
傍にいた夜叉丸が、どこからともなく大きな鏡をとりだした。
「なに……言ってるの……? 天壱のケガ、誰が見るのよ!?」
「もう……終わりだ。……さよならだ」
「や…だ。やだ……よ。こんなのって……お願い、一人にしないで」
「これでいい……結子は俺たちと違って生まれ変わりだ。今生の人生があるだろう?」
天壱は手をのばし、涙でグチャグチャになった結子の頬にそっと触れた。
(最期に……代償として奪われた言葉を伝えてもいいだろうか……)
天壱の宝玉が砕け散った。
彼の身体はキラキラとした青い光の粒子に包まれていく。
「結子……」
彼は最期に優しい顔で微笑んでくれた。
「いつか…いつかまた…めぐりあえたらいいな」
死に行く者とは思えない熱い双眸。
ゆっくりと頬を撫でる掌は包み込むように温かかった。
「結子が……好きだ」
もどかしい願いだった。百年かかって伝えた想いは、たった一言。
「や…いや…逝かないで!」
蛍みたいに美しい光が集まって渦を作る。
涙のせいなのか、本当に霞んでしまっているのか……天壱の肉体が陽炎のごとく揺らいだ。
精一杯に伸ばした掌をかすめて、彼はしゃぼん玉のようにはじけとんだ。
「天壱────っ!!」
結子の悲痛な叫び声もむなしく、守護四家最後のひとりは逝った。
残されたのは、宝玉を失った銀の腕輪だけだった。
ごめんなさい。嘘つきました。今回は最終回ではありません。次回が最終回っす……。