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獣の烙印  作者: 日野枝 弥
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第伍話 菅笠の男

 結子はかすかな光の中、目を覚ました。

 傍らには通学用のバッグが放り出されていて、靴は見当たらない。

 夢の中の出来事とばかり思っていたのに現実らしい。腕には知恵の輪もとい腕輪が三個ついたままだった。

 白い粘着質の糸でできた繭のような空間は、息が詰まりそうな圧迫感がある。めちゃくちゃに暴れてやると、絡まっていた糸が解けてくる。やっとのことで抜け出すと、そこは埃っぽく何かの建物の中だった。


 見上げると小さな祭壇に鏡が安置されており、そこから白い糸が千切れてゆらゆらと漂っている。おそらくはそこから出てきたのだろう。

 冗談じゃない! と結子は再び糸が出てくることを恐れて、鏡を叩き割った。

 障子から陽光が射し込んでくるのに、なぜか肌寒い。今は六月。結子は半袖のセーラー服に、濃紺のニーソックスという姿のままだ。

 バッグを拾い上げ、建付けの悪い障子扉を根性で押し開く。

「ゆ…雪っ!? 六月なのに雪っ――!!」

 外は一面銀世界。シンシンと雪が降り積もっていた。


 結子がいた建物は古びた祠で人の出入りはなさそうだ。靴がないので冷たさをこらえ、ニーソ一枚で歩き出す。

(と、とにかく人をさがそう…ここは何処なの…?)

 あたりは見慣れない景色。雪原には人の足跡はおろか、動物の足跡すらない。山奥なのか左右には鬱蒼とした林が広がっていた。

「寒いし……お腹すいた」

 こんなことなら露店で焼きソバでも食べておけばよかった、と後悔する。


 シンシンと降る雪の中、頭に降り積もる雪も気にせず夢中で歩いた。三十分以上歩いただろうか…それでも民家は見つからず、誰一人出くわすことはなかった。

 一体どうなっているのかと不安に思っていると、前方から男がひとり歩いてくる。が、菅笠(すげがさ)に着物というなんとも古風な服装だ。

「ほぉ〜珍しい。女子(おなご)の一人歩きとは」

(な…なんだか危ない人っぽい、てゆうか…なんで菅笠?)

 菅笠の下にある男の顔を見て、結子は悲鳴をあげた。

 彼の顔には一つだけ大きな目がついていた。もしかしてこれも一種のコスプレなのか!? 髪も生えているし、皮膚も人と変わらない。まぁ、多少ツメが鋭いような気はするが…。

(た…たぶん、コスプレの大会があるのよ、きっと)

 一つ目男は結子の腕をつかむと、いきなり赤ん坊にするように抱き上げる。

「うぎゃあぁぁっ、放して!! 放せってばっ」

 空手部員が騒ごうと暴れようと、一つ目男の厳つい腕からは逃れられなかった。

「なぁ逃げるなよぉ、悪いようにはしねぇから。寒い日は鍋だよなぁ」

 もしかしたらご馳走してくれるのだろうか、それとなく期待してしまう。食べ物はもちろん、水さえ口にしていなかった。

「鍋はやっぱり塩かな〜」

「鍋といったらキムチよ、それか味噌かしら」

「ミソかぁ〜モツ鍋はうめぇぞぉ」

「やったー! モツ鍋サイコっー」

 妙なところで盛り上がった二人だが、不意に一つ目男が立ち止まる。

 何事かと頭をめぐらせると、またまた視線の先には菅笠の男が立っていた。

(また菅笠っ!? なんで菅笠!?)

 結子は男の腕の中でうなだれた。


 前方の菅笠男は「いいなぁ、いいなぁ」と連呼する。

「いいだろう、遅くなったがこれから昼飯なんだ。あんたも来るかい?」

「やはり鍋か」

「もちろん鍋だ。さぁ、行こう」

「行こう、行…」

 元気よく応えた結子は途中で言葉を失った。菅笠の雪を掃ったもう一人の男もまた奇怪。三つ目の妖怪コスプレイヤーだったからだ。

(本物? …まさかね)


 三人が辿り着いたのは、林の中にひっそりと佇む小さな小屋。中は意外と綺麗にしてあり、木こりでもして暮らしているのか、斧や鋸らしきものが飾られている。

 一つ目の男が囲炉裏に火をおこすと、湯を沸かしてくれた。

「着物が濡れているだろう、乾かしてやるからその間、湯にでも入ってこいや」

「それがいい、それがいい。この着物を着るといいぞ」

 結子は濡れた制服が体温を奪っていくのがわかったので、お言葉に甘えて湯に入らせてもらうことにした。湯とはいっても、浴槽などないので土間をかりて、盥に湯をはる半身浴にちかいものだ。


 ほんわかと温かな湯の中、この寒い雪空に外を歩くのはもうゴメンだと彼女は思う。

 用意された着物に袖をとおそうとした時、その赤い花模様にギクリとした。よく見るとその柄は赤というより朱にちかく、まるで人間の血のようだったからだ。

(血染めのサクラ…? まさか…ね)

 裸でいるわけにもいかないので仕方なく袖を通すと、恐る恐る扉のむこうをうかがった。扉の奥からはシュッシュッというなにかを研ぐような音がする。

「こんなもんでいいかな」

「あぁ、出汁もよくでているし、あとはどんな味噌かだな」

 だし…? みそ…? 結子の頭の中は疑問符で一杯だ。

「女なんて久しぶりだな。人間の男は筋っぽくてかなわねぇ」

「んだ、んだ。やっぱり女子の血肉のほうが柔らかくて甘いからな」

 二人の会話に戦慄がはしる。もの凄い勢いではしる。

「おやぁ〜でたのかい? こっちへおいで」

 男の猫なで声につづいて、土間の扉が開けられた。

「おまえの出汁とおまえの脳のミソ。おまえの内臓で臓物鍋(もつなべ)ができる」

「うそ…つき…」

「嘘なんかついちゃいないさ、お前は食えないけどなぁ」

 二人は互いを見てニタリと笑った。それはまさしく妖怪そのもの。


 結子は制服とバッグをひったくると今度は裸足で外へと飛び出した。

(モツ鍋のメイン食材だったなんてっ!)

 彼女は心の中で嘆き後悔する。

「いやあぁぁぁっ、こっちに来ないでぇ」

「まてーっ、昼飯――っ」

「やさしく料理してやるから――っ」

「優しくされたって、モツ鍋はいや――ッ!!」

 凍てつくような冷たさに、足裏の感覚がなくなってきた。冷たさを通り越して痛みが襲ってきても、ひたすら走り続けた。追いつかれることはなかったが、振り切ることができない。

 左右に茂っていた杉林がなくなったかと思うと、そこには大きな川が滔々と流れている。向こう岸に渡れるような橋はなく、渡し船もなかった。

 とにかく逃げようと雪に覆われた土手を滑り降りる。すると、対岸で釣りをしている男が目に映った。

 菅笠をかぶった男──それに寄りそう女が一人。

(また菅笠かいっ!!)

 思わず心中で突っ込みをいれる。

 菅笠に良い覚えはないが、この際四の五のいってはいられないのだ。

「お願い、たすけて───!!」

 妖怪二匹が追いついたのは、まさに結子が助けを求めた瞬間だった。


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