第参拾七話 郁巳の想い
あたりには花の芳香が漂っていた。
棘と蔓によって囲まれた室の中は、緑の絨毯で敷きつめられている。
外から見れば、棘と蔓で出来た鳥かごのようにも見えるだろう。
そこは郁巳の妖力によってつくられた次元の間だった。
結子を連れ去った郁巳は、妖王や天壱たちから逃れるように、結界を張り、姿を眩ましていた。
結子の額に手をあてて、郁巳は不可思議だという顔をした。
(記憶が封印されている……誰が封じた?)
傍らで眠る花嫁衣裳を着た結子を見つめる。
見慣れているのは制服姿だが、水天宮という浜辺で見た小袖姿というのも悪くなかった。だが、百年越しの恋慕には白無垢がふさわしい。
百年前──暁の領主は郁巳と結衣姫の婚約を認めてくれたのに、妖王への人身御供問題が紛糾し流れてしまった。
愛する人を人身御供にされるのは寒心に堪えなかったが、それ以上に衝撃的だったのは、守護四家の一人・百鬼天壱が結衣姫をさらって逃げようとしたことだった。
結衣姫は彼に付き従ったのだ。
それは──郁巳に対する裏切りだった。
人身御供になりたくないという理由ではないはずだ。親の決めた婚姻に納得していなかったのだ。
つまりはあの男を……天壱を愛していたということか? 苦い記憶に頭痛がした。
(だが、今生は違うはず。結とずっと一緒にいたのは僕なのだから…)
妖王が暁へ攻撃してきたことで、人身御供問題はなくなったが、用意していた絢爛豪華な花嫁衣裳は戦火で燃えてしまった。
今、結子に着せている白無垢は日本から持ち込んだものだ。
郁巳は学生服を脱ぎ捨て、シャツの襟ボタンをはずした。
「狗楼、いるんだろう? ここから先も覗き見するつもりなの?」
「郁巳様…」
地面の影が狼となった。困ったように小さくなった狗楼を見て、郁巳が楽しそうに笑う。
上機嫌の主に、狗楼も嬉しそうにしている。
「祝宴の用意をいたしますが…ご希望の品はございますか」
「そうだな。伊丹酒がいい。最高の酒だから、夫婦の契りを結んだ朝にはふさわしい」
「では…私は明日の朝までお暇させていただきます。郁巳様、おめでとうございます」
「……ありがとう。狗楼」
郁巳は結子の傍らに寄り添っている。
君は怒るだろうか……? でも、妖王から守るためには、こうするよりほかにない……過去を繰り返したくはないから、と郁巳は思いをめぐらせる。
あの時、結衣姫を殺したのは妖王へ渡さないためだった。
死んでしまえばアムリタは作り出せない。
それに転生した彼女と、再びめぐりあい──新たな時を築いていきたかった。
愛した人を殺害し心臓を食らう……郁巳は自ら妖となって永らえた。
けれど、百年の時を待つのは長かった。やっと巡りあえたのだ。
「結衣姫…今こそ契りを結びましょう」
お知らせ
〜第4話を修正しました。敵キャラ男1女3から、男2女2となりました。
(すみません・すべて作者の都合っす。見逃してくだされ〜)