第参拾伍話 結衣姫の死
『天壱殿…っ』
城に入ってまず目にしたのは、傷つき倒れた家臣たちの姿だった。あたりには血の臭いがたちこめ、首のない死体、下半身を失った武士、妖鬼と相打ちとなって息絶えた者たちと、屍の山が築かれていた。
『姫様を……どうか、どうか』
『わかった。安心して休め……』
仲間の死を看取ると、天壱は急ぎ城の中を駆け抜けた。
廊下や室の中は、人間と妖鬼の死体で溢れている。
屍をむさぼろうとする妖鬼に耐えかね、刀で一閃した。
その直後、右腕に激痛が走った。
『ぐあぁ…ッ』
見ると、刀を握ったままの自身の右腕が、床に転がっていた。
傍らには屍をむさぼったまま妖鬼が佇んでいる。
天壱は左腕で刀を拾い上げると、その妖鬼を斬り捨てた。
(こんなに妖鬼が入り込んでいるとは……まさか、結界は完全に消失したのか?)
結界は結衣が張っているのだ。嫌な予感がする。
やがて火の手が迫ってきたのか、煙がたちこめてきた。
右肩に走る激痛を耐えながら、走り続けた。
『結衣…結衣っ!!』
まだ伝えていないのだ。この想いを伝えてはいない。
城の地下、最奥に《祈りの間》がある。
いつもなら彼女はそこで結界を維持する為に、祈り続けているはずだ。
だが、たどり着くもそこに彼女の姿はなかった。
(どこだ…? どこにいる!?)
残るは姫の私室だ。襖を開けると畳の間が続いている。ひたすら妖鬼を斬り捨て、傷つきながらも前進した。
『にんげん、うまそうだぁ〜』
天壱の前に現れた妖鬼は巨体のわりに俊敏な動きをした。右肩からの出血がひどく眩暈がひどい。
妖鬼はその隙を見逃さなかった。
次の瞬間、天壱の左腕が刀ごともぎ取られた。
『うわあぁぁぁぁぁッ』
あまりの激痛に倒れて転げまわった。両腕を失った男に勝機はない。
だが──結衣が待っている。唯一の希望は失われてはいない。
彼女が……待っているのだ。
(丁度いい、拝借する)
天壱は最後の気力を振り絞ると、傍らの屍が握り締めていた刀を口で銜え、妖鬼へと突進した───。
この襖の向こうが姫の私室だ。ようやく辿り着いた時、あたりは炎の海だった。
中へ入ろうとした時、室から刀をもった郁巳がフラフラと出てきた。
全身は血に塗れ、彼の血なのか返り血なのかがわからない。
(なんだ…? どうしたんだコイツは)
『はッ……はははは……』
郁巳は意味もなく乾いた笑い声をたてた。その手には拳ぐらいの血の塊が握られていて、彼はそれを貪り始めた。
(狂っている)
天壱は顔をそむけると刀を捨て、室へと踏み込んだ。
『結衣…』
衝立から淡い桜色をした着物の裾が見えていた。それは彼女が気に入っていた着物。
妖鬼には見つからなかったようだ、と思わず微笑む。
愛する人の姿を見つけ安堵するも、両腕を失ったこの姿だ。怖がらせることになりはしないか? と、天壱は不安になった。
(まずいな…視界が霞んできやがった)
結衣を安全なところへ避難させなければならない。急がねば。誰か生きているヤツはいないのか?
暁の巫女を守る使命………この状態では果たせそうにない。
(共に生きることができないならば、せめて───この想いを伝えたい)
『結衣……俺の……今の姿を見ても驚かないで欲しい……』
声をかけてから、一歩踏み出した。
そして衝立の向こうを信じられない気持ちで見る。地獄のような光景だった。
『結衣っ……結衣っ!!』
彼女の好きだった桜色の着物は、血が変色し闇色へと染まっていた。
──結衣姫は心臓をえぐり出され絶命していた。
白く小さな手が、何かを握りしめている。両腕を失った天壱は、そっと顔を近づけた。
震える唇で、甘い香り漂うその手に口づけた。
握られていたのは、彼女へ贈った……誰が袖だった。
天壱の頬に温かいものが伝う。心には懺悔と後悔の血の涙が流れた。
守れなかった。誰よりも何よりも大切な人を失ってしまった。
貴枝郁巳が握っていたのは、結衣姫の心臓。
そして、彼はそれを──食らったのだ。
どうして? なぜ? 妖王ではなく、人間に愛する人を奪われなければならない?
(人の心には鬼が棲む──)
『─────っ!!』
天壱は絶叫した。
いくら泣き叫んでも。どんなに泣き叫んでも。
両腕を失った男には、愛する人の亡骸を抱きしめることすら出来なかった。
とうとう郁巳と結子の前世(結衣姫)の因縁が明かされました。この話は、1話・10話・31話と微妙に絡んでいます。