第参話 遅れて来た待ちビト
暁神社の本殿前に男がいた。
彼の服装は六月だというのに詰襟の学生服。結子の幼なじみ貴江郁巳だ。
優しげな瞳に整った鼻梁、形の良い唇。サラサラとした短い髪は清潔な印象を与え、穏やかな物腰が彼の性格を反映しているかのようだった。
「狗楼」
「御前に」
アスファルトだというのに、その中からくぐもった声が答えた。
「これは…どういうことかな?」
郁巳は忌々しげに地面を見下ろした。
待ち合わせ場所に結子がいないことを不審に思い、本殿へ駆けつけると、そこには見覚えある八人の男が倒れていた。
しかも、本殿にほどこしたはずの封印は解かれている。
「郁巳様、追わなくては」
地面の中から狗楼が焦った声をあげた。そこに結子の姿はなく割れた鏡が転がっている。
「あれほど本殿には近づくなと言ったのに」
恨めしそうに見下ろした先には、もう一つ鏡が置かれていた。
「おや? この鏡…この気配は妖でもなく、姫様でもありません。何者かがこちらの世界へやってきたようです」
郁巳は途端に険しい顔をした。こんな表情は結子にも見せたことがない。
「…四人か?」
「いいえ、気配を残しているのは合わせて三人」
「三人? 四人じゃないのか」
「…今度こそ…郁巳様のものになさりませ」
郁巳が無言のままでいると狗楼と呼ばれたモノは、様子を窺っているようだ。
「お許しください。ですぎたことを申しました」
「かまわない、おまえのアドバイスはいつも的確だから。だが、あと一年でヤツは死ぬ。それからでも遅くはないだろう」
歩き出した郁巳に、影のように狗楼の声が付き従う。
「郁巳様…油断は禁物でございます。期限はあと一年、妖王は姫様を手に入れようとなんらかの手段を使ってくるに違いありません。それよりも早く祝言をあげるべきです」
「わかっているよ。けどね…いざ彼女を前にすると僕は本当にただの高校生になってしまうんだよ。本当は二十歳のまま、時は止まっているのにね…」
「それだけ愛しておいでなのでしょう。なおさら、祝言をあげるべきです。あなたは主であり私は影。あなたがいて私が存在する価値がある」
「お前にはまた苦労をかけるかもしれない」
「この名をお忘れか、我が名はクロウにて…」
「オヤジっぽいね、狗楼」
黙ってしまった狗楼に苦笑した郁巳だが、鏡を睨むと静かに告げた。
「そうだ…過去は繰り返さない。もう手段は選ばない」
郁巳は無言で、自らの影に沈み込むように地中へと姿を消した。
下方からの祭囃子が響く中、気を失っていた不良八人が目覚める。そこにはなぜか鏡がひっそりと置きざりにされているだけだった。