第拾六話 左近、鬱憤をはらす
隣室の酒盛りはピークに達し、競りの準備は整いつつある。
広い床板に座り込んでいるのは異形の集団。お目当ての商品よ、今や遅し。
彼らはやる気持ちを必死で抑えていた。
「えらく盛況だな」
呟くククリの視線の先で、主催者らしき妖鬼が開催を宣言する。
喜兵衛は左近からの分捕り品ういろう餅を食べていた。
(何度来てもおぞましいヤツらだよ)
喜兵衛は夜ごと繰り返される光景に辟易していた。
競り落とした商品がどうなるのかなんて知ったこっちゃない。だが、金になるのだ。
暁という国は無くなってしまったが、まだ生きている人間だっている──生きていく為には金がいる。食い物がいる。
(あの娘だって…普通に生きていたって、行く末に幸せなんか待っちゃいないさ)
だったら、少しあの世に行くのが早まった位に考えてもいいだろう、と喜兵衛は勝手な論理で結論づけた。
「さて、商品の準備にとりかかるか」
「あいよ」
隣室へと続く扉を引いた。
「よぅ〜。毎回こうしてさらってきた人間を売ってんのかよ?」
二人は信じられないといった表情で固まった。眼前で両手両足を縛ったはずの男が睨みつけている。
「うおっ、てめぇ姫さんへの土産もん食いやがったな――っ!!」
喜兵衛の口まわりには食べかすがバッチリついていた。
「おまえ、いつの間に…っ」
「畜生っ、姫さんさがってな!」
食べ物の恨みは恐ろしい。
結子が後方へまわったことを確認すると、左近の肩に小猿が飛び乗った。
「解!!」
左近が叫ぶと同時に、腕の紅玉が輝いて、背中に大きな翼が現れる。
「にっ、人間じゃなかったのか!?」
不敵な笑みを浮かべてから、左近は屋根を突き破って夜空へと舞い上がった。その音に驚いて妖鬼たちも空を見上げた。
(翼があるなんて! これが左近の力…)
空高く旋回する左近に見とれていた結子は、気の交流の余韻が残るまだ温かい額に触れた。
それから自らの手首の異変に気づく。
金色の腕輪にも何か文様が浮かび上がり、その中央には七色の輝きを放つ宝玉がついていた。
ど、ど、どうゆうことでしょう!? 結子は激しく動揺していた。
万里、白蓮、天壱、左近、と気の交流をしたことや、知恵の輪状態ではなくなったことが原因なのだろうか。
「行くぜ!」
左近の翼が暴風を巻き起こすと、隣室が妖鬼ごとぶっ飛んだ。
中から這い出してきた妖鬼たちがわらわらと逃げ始めると、追い討ちをかけるように鋭く尖った無数の羽が、手裏剣のように彼らへと突き刺さった。
妖鬼たちが悲鳴をあげて森へと逃げても、追撃の手は緩めない。
「夜叉丸、変化だ」
「うっきー!!」
元気よく返事をした肩の小猿が一回転すると、ポンッという煙とともに一本の刀に変化した。
その刀は仕込み刀らしく、振り回すと交互に重ねられた刃がジグザグに伸びてゆく。
「すご…」
月明かりを頼りに、感心して見上げていると、すぐ近くにククリたちがやって来た。
「おまえだけでも売り飛ばしてやるっ、来い!!」
「いやっ、離して」
「大人しくしろ!!」
喜兵衛のわき腹に蹴りを一発。
続けてククリに拳をぶつけるが、大きな手で簡単に遮られてしまう。鋭い爪が腕に突き刺さりそうになった。
「───硝散符」
静かに地を這うような低音が耳をうつと同時に、符を貼り付けられたククリの身体が、たちまち泡立ち始めた。
「ギャアァァ――ッ」
絶叫と共にやがてその身体は消え失せた。
信じられないことに結子の眼前には、いつになく酷薄な目をした万里と白蓮が立っていた。
「姫様…ご無事でしたか」
「…すまぬ」
二人はすぐさま膝をつき頭を垂れた。顔は青ざめており、かなり憔悴しているようだ。
無理もない、彼らは必死になって結子を捜していたのだから。
喜兵衛が表へ逃げ出そうとしたのを結子は見逃さなかった。
渾身の力をこめて、背後から回し蹴りをくらわせる。喜兵衛は白目をむいて倒れこんだ。
「あー、スッキリした! 万里、身体は大丈夫なの? 白蓮も怪我してない?」
華麗なまわし蹴りに呆然とした万里と怯えた白蓮は、慌てて気をとりなおした。
「へ…平気です。本当に見つかってよかった。生きた心地がしませんでした…」
二人が心配してくれたことは嬉しいのだが、それ以上に結子はある衝撃を受けていた。
巻布を失った万里の頭はツルっぱげ!?──髪の毛一本生えていなかったからだ。
(心配しすぎてハゲちゃった!! なんてこと…ないよね?)
「姫様、ここは危険ですから外へ」
「いや、外の方がもっと危険かもしれん」
「…どういうことです?」
怪訝な顔をした万里に白蓮は顎でしゃくってみせた。外を覗くと…。
結子たちが囚われていたのは森に囲まれた古びた家屋だとわかる。農業でも営んでいたのか、土間には鍬や鋤などが残されていた。
そして真っ暗の森から、時折、何か喚き散らす声が聞こえた。
それから、ドゴォォン!! と轟音がしたかと思えば、木が傾げる大地の震動が響いた。
「お助け――っ」
妖鬼たちの逃げ惑う悲鳴がむなしく響き渡る。
「左近ですか…」
「ウリ坊、本領発揮じゃ」
「す…すごい地響き」
「木が切り倒されておる」
森林伐採は環境破壊…と、結子は朝にこの惨状を見るのが怖いと思った。
やがて晴れ晴れとした表情で、左近たちが戻ってきた。
鬱憤が晴らせてとても嬉しそうだな──と、左近を除いた皆が思う。
「お〜、やっと皆そろったなっ」
「なにを言っとる、お主がはぐれておったんじゃろーが!!」
「俺かよっ!?」
白蓮が木杖で左近の頭を突っつきまわす。それはまるで兄弟がジャレあっているようにも見えた。
ふと結子は隣の万里に渡すものがあったことを思い出す。
「あの、これ…」
結子は携えていた制服のポケットから白い布を取り出した。以前、川に落ちた時に拾っておいたものだ。
「ありがとうございます」
はんなりと微笑んで頭に白布を捲きつけるのを、結子はじっと見つめる。
その視線に気づいた万里が優しく目を細めた。
「驚いたでしょう? 私は力とひきかえに髪を失いました」
「やっぱり…力の代償なのね。きっと天壱も…」
(か、髪の毛はあったわよね? えーと、じゃあ何がないの…?)
いろいろ想像してしまい口ごもると、三人の視線が注いだ。
「こうしちゃいられねーよ。天ちゃんと途中で会ったぜ、江渡に行くんだろ?」
「そうですね。夜とはいえ宿などないようですし…」
「ウッカリしておった。力を得た以上、早く移動できたわい」
(早く移動…?)
首を傾げる結子に白蓮がバッグを渡してくれた。川に流されたものを拾ってくれたらしい。結子が制服を詰め込むと、今度は小猿が持ってくれるようだ。
「姫様は左近がお連れした方がよいでしょう。下は樹木で怪我をする恐れがあります」
「そうじゃな。左近、頼んだぞ。万一にでも落とすなよ、よいな、死んでも落とすな」
「ええ。落としたら──あなたの命、ありませんからね」
「頼んでるって言い方じゃねえだろがッ、はっきり言って脅迫じゃんか!! それに俺はトリ目なんだぞ――っ」
「夜叉丸がおる、目になってもらえばよい」
「では姫様、後ほど」
二人は会釈すると軽々と跳躍し、林木の上段へと跳び乗った。
呆気にとられた結子を残し、もの凄い早さで木から木へと移動していく。
二人の姿はあっという間に見えなくなった。
「んじゃ、俺たちも行くとしますか。いざ、天ちゃんの待つ江渡屋敷へ!!」
左近が結子の膝裏に手を差しいれて抱き上げる。
夜叉丸が待ってましたとばかりに、結子の腕の中へと飛びこんだ。
バサリと翼がひるがえり、みるみるうちに上空へと舞い上がる。
あまりの高さに結子は左近の首へ必死で腕を絡めた。
左近は笑い、夜叉丸は鼻で唄ってご機嫌だった。
競りにかけられなくてよかったよかった。合流した四人は江渡を目指します。はたして天壱と会えるのでしょうか。
読んでくださりありがとうございました。