第拾伍話 願いと代償
その夜──。
「ほどけ――っ!! 畜生ッ、俺様をなんだと思っているんだぁぁぁっ」
「やかましい! 商品に決まってんだろがっ。競りが始まるまで静かにしてな」
ククリは嘲笑しながら隣室へと消えた。
木の扉一枚を隔てた隣室は、競りを前にした妖鬼達の酒盛りで騒がしい。
結子と左近、夜叉丸はそれぞれ両手両足を縄で縛られていた。
(なんでこうなるかな…助かったと思ったのに)
結子は肩を落とした。
気がついた時には、綺麗な小袖に着替えさせられ、ご丁寧に縛られて、この部屋に放置されていたのだ。
しかも隣には助けてくれるはずだった左近まで。
二人以外にも、広い板張りの床には二十人近くの人間らしき姿もあった。
皆、競りの為に攫われてきたのだろうか。
「もう一時もしたら競りが始まる。今生の別れでもしておくんだな」
非情な科白を吐く喜兵衛を、左近が鋭く睨む。
「てめぇ、人間だろ? 同胞を売るなんて良心が痛まねーのかよ」
「生憎と良心なんてものは失くしてしまってね。生きていく為には、賢くなくてはいけないわけよ。なぁ、娘さん、怨まないでくれよな」
「ふざけんなッ、姫さんは絶対に渡さねぇ!!」
左近は尺とり虫のように這いずって、喜兵衛の下へ向かおうとした。
その執念に結子も喜兵衛も驚いてしまう。
「兄さん、しつけえよ!」
バキッ…!! と音がして結子は悲鳴をあげた。バットで殴りつけたのだ。
左近は呻き声をあげて苦しそうだ。
更にバットを持ち上げ殴ろうとしたが、結子が制止すると、唾を吐き捨てて部屋から出て行った。
「ごめんな…」
月の光がわずかに差し込むだけの室は薄暗い。
左近の表情をうまく読み取ることはできなかったが、彼なりに落ち込み反省しているようだ。
「もういいよ。左近は助けようとしてくれたもの。それに…こうしてゆっくりとお話できるしね。四人の中で最初に会ったのは、左近だからね」
「姫さん…」
左近は目を見開いた。囚われの状況だというのに、自分を励まそうとしているのがいたく健気だった。
「傷、痛くない? バットで殴るなんてヒドイ」
「バットって言うのあれ? 南蛮もの?」
「うーん…米国産だけど…わかりやすくすると南蛮式球打ち棒ってとこかしらね」
「そっか、姫さんの世界のものか…」
納得顔の左近と反対に、結子は怪訝な顔をした。
「日本からもってきたの?」
「うんにゃ。夜叉丸には神通力があるらしくて、別の世界のモノを取り出したり、しまっておいたりすることができる」
「ふーん。この猿が夜叉丸ちゃん? よく見ると日本のお猿さんとは違うよね〜」
天壱の力とやらを見ていたので、神通力と聞いても結子は素直に受け止めた。
「ああ。夜叉丸とは生前からの付き合いだし、みんなよりも長いかな」
(今…聞き捨てならないことを、聞いてしまったような…)
「あ…あのさぁ、生前って私たちまだ死んでないよね? そんなに後ろ向きにならなくても…左近らしくないわよ」
結子が取り繕うように言葉をつなぐと、彼は楽しそうに笑った。
他の人たちは薬でも盛られているのか、横になったまま動かない。
隣室では相変わらずの酒盛りが続いている。
「わりィ、姫さん。説明不足だな、やっと会えたから俺、嬉しくなっちまって…」
左近が照れたような笑みを見せると、夜叉丸も転がったまま、ニシシっと笑う。
「俺たちは一度死んでいるからさ。百年前に───」
結子の意識は一瞬遠のいた。
戻ってきた頃には、ゾンビとかキョンシーとか往年のホラー映画が脳裏をよぎる。
「俺は一番早くに死んだから…今度は少しでも長く、姫さんと一緒にいたい」
「どういうこと…? もしかして、力に関係あったりする?」
「まだそこらへんのこと、聞いていないわけ?」
「その…ゆっくり訊く時間がとれなかったというか…深く追求できなかったというか」
「百年前──妖王の真の目的がわかってから、姫さんを人身御供にすることは中止された。けど、妖王は諦めずに何度も暁へと襲いかかった。人間だった俺たちは、力及ばず殺された。情けねぇよなぁ〜。その後のことはわかんねえけど…たぶん、力を得ているってことは、天ちゃんも万里も白蓮も…殺された。転生している姫さんも──殺されたんだよ」
殺された──その言葉が耳にこびりつく。
夢で見たあの光景は…本当に夢なのか。もしかしたら、遠い記憶の断片ではないのか。
「みんな誰に力をもらったの?」
結子は最も訊きたかったことを口にした。なんとなく空気が重く感じられる。
「わかんねぇ」
「は?」
「死にたくねぇって思いながら最期の時を迎えた。俺は最初にやられたから、まだみんなも戦っているのに、姫さんだって城にいるのに…どうして死ねる!? 俺は大切なモノをすべて奪われた!!」
左近の声は大きくなり、言葉では言い尽くせないという激情が感じられる。
「光の渦…」
「渦?」
「あぁ、赤い光が渦になって…声がした」
『生きたいか』
──死にたくはない…!!
『力が欲しいか』
──守りたいひとが…仲間がいる…!!
『代償はもらうぞ』
──構わない、妖王を倒せる力が得られるならば──。
「俺たちはどうなってもかまわないッ!!」
それは強い意志であり希望。願望。切望。せつない想い。
死という安穏すら選べなかった四つの魂。
「願っていたのは俺だけじゃなかった。みんなも死を受け入れることができなかった…」
彼らの願いはただ一つ──愛するひとを守ること。
「だけど、俺たちが死の淵から生還したとき…城は落とされすべてが終わった後だった。残された俺たち四人は誓ったんだ。結衣姫が転生したら…その時こそ、すべてに決着をつけようって。なんで…どうして姫さんが泣くんだよ?」
左近のひどく狼狽した声で、結子ははじめて自分が泣いていることに気づいた。
月明かりがその顔を照らしていた。
(わからない…可哀相じゃなくて…そんなんじゃなくて)
両手両足を縛られた状態では、涙を拭うことはできなかった。
困り果てた左近は、結子に近づくと、頬に伝わる雫を唇でそっとかすめとった。
「泣くなって、絶対に助けるから。姫さん泣かせるとあいつらうるせーんだよ。天ちゃんに殺されちまう」
呆けた顔をしていると、左近は苦笑してみせた。
「姫さんは十六だろ? 俺は十七で、年が近いから小さい頃よく喧嘩した。主君ってことだけじゃなくて、皆、姫さんが好きだから、泣かせたりしたら半殺しにされた」
そうは聞いても、三人の仲間に虐げられる末っ子というイメージはない。
ただでやられる末っ子に思えなくて、結子は吹きだしてしまった。
「天壱は何歳なの?」
「やっぱり天ちゃんが気になるわけ?」
からかうような笑みに少しムッとして答える。
「み・ん・なの歳を教えて」
「天ちゃんが十八。万里が二十で、ジジイが二十一。享年なんだか再誕生年なんだか、よくわかんねぇけど」
「後悔…してない?」
結子の顔を正面から捉えて、彼は言った。
「後悔なんてしない。俺は同じ過ちを繰り返したくねえよ。力を得られて、仲間と一緒に戦える──その代償がなんであっても光の渦には感謝してる」
「代償?」
「喜兵衛たちに捕まったのは、姫さんの制服が酒臭かったからさ。俺と夜叉丸は生前、大酒のみだったけど、力の代償に一滴も、匂いすらうけつけなくなっちまった。今じゃ酒で力を奪われちまう。好物が唯一の弱点になったってわけよ」
百年前、彼らが最期のときに現れた光の渦。それは力を与えるかわりに、代償として何かを奪ったらしい。
「それじゃあ、他のみんなも…」
「あぁ。その証拠に白蓮は視力を失っているだろ? 万里だって奪われたモノがあるし、ただ天ちゃんだけが、わからねーんだよなぁ〜。教えてくれねぇし」
「力はずっと宝玉に封印されていたのよね? こんな妖鬼だらけの国で、百年もの間、よく宝玉なしで無事でいられたよね」
「これでも忍の端くれだからな。でも姫さんがいるから…」
「「ああぁ――――っ!!」」
顔を見合わせた二人の近くで、夜叉丸が縛られたまま楽しそうに転げまわった。
結子とウツケは囚われたままです。おまけに夜叉丸も。
次回、このまま競りにかけられてしまうのか、はたまたウツケが宝玉を手にするのか…気長に話は続きます。(笑)