第拾四話 猿まわし・左近
(弐甲まではまだありそうだな)
天壱と別れてから、付近を樹木で覆われた山道が続いていたが、ここに至っては右手に岩肌、左手の崖下には渓流と、視界が開けてきた。
「うひょお〜、絶景絶景ッ! あの渓流…アユとか、しこたま釣れそうだよなッ」
左近が崖下の渓流を眺めていると、夜叉丸が頬をぺちぺちと叩いた。
それでも気づいてくれないとみると、ボキッと音をさせて無理やり顔を動かした。
「いってぇーッ! ボキッっていったぞ、ボキッって!!」
首を撫でつつ夜叉丸の騒ぐ方を見ると、こちらへ歩いてくる二つの人影があった。
一人は人間のように見えるが、もう一人木樽を背負った方は間違いなく妖鬼だ。
(人間と妖鬼の二人旅…? 珍しいな)
妖鬼が人間に化けている場合もあるし、半妖鬼かもしれない。
だが、最悪なのは人間が妖鬼に捕まっている場合だ。
「確かめてみるか…妖鬼に捕まっているなら助けてやらねぇと。夜叉丸、何か武器になりそうなものはねぇか?」
「うき? うっき、うっき」
何もない空に手をすえると、手を突っ込んで何かを探す様な仕種をしてみせる。
夜叉丸は別の世界からモノを取り出せるのだ。
「うう…ッ、き…い…」
「なんだよ、そんなに重たいのかよ?」
小猿が重たそうになにかを引きずりだしている。それに左近も手をそえてやる。
「うおっ、重てェ〜。なんだこりゃ? 硬いけど鉄じゃねぇし…、金でも銅でもねぇな」
片側が細くて、一方は少し太くなっている。
表面はツルツルしており、何か文字が書かれていた。
鬼が使うこん棒にも見えるがそれよりは小さめだ。
「よくわかんねーけど、振り回すのには悪くないぜ、夜叉丸!!」
「うっき〜」
時間は惜しいが人助けも大切だからな…と、左近は自らに言い聞かせた。
喜兵衛とククリが峠を越え、岩山にさしかかると前方に人の姿が見えた。
見たところ青年は一人で、身なりは芸人の格好だ。
肩に小猿をのせ、岩肌に立ったまま寄りかかっている。
「おい、どうする」
「どうするって、人間か半妖鬼だろ? ビクビクしないで普通にしていろよ。いざとなったら俺サマの爪で引き裂いてやるから」
喜兵衛は平静を装ってはいるが、内心は冷や汗ものだった。
同胞を妖鬼に売り渡している自分だ。
怒り憎しみといった、人並み以上の恨みをかっている。
もしかしたら、すれ違い様にグサリと一刺しくるかもしれない。
「よう、兄さん。今日は天気がいいねぇ」
ククリが裂けた口で陽気に声をかけた。
「…」
左近は黙ったまま、ククリではなく喜兵衛を見つめている。
というよりは、二人の関係をいぶかしんでいるようだった。
「お、おいらたちは江渡まで味噌を売りに行くところさ。仙代味噌っていやぁ、有名だろ」
「兄さんは何処に行く? カワイイ猿だなぁ〜」
(脅されているわけでもねぇみたいだな…俺の気にしすぎってことか)
慌てて取り繕った二人に、左近はニンマリと笑って尋ねた。
「俺は真逆、弐甲に向かっている。ところで男女の三人組とすれ違わなかったか?」
「三人組…? はて、すれ違ったかな?」
「あっ、でもまてよ。もしかしたら二人組かも」
その時だった。
チャカチャカ…と耳慣れない音があたりに響いた。
「なんだっ、なんだ!?」
「変な音が聞こえるぞ…ッ」
それは明らかに樽の中から聞こえている。
「夜叉丸…味噌が歌うわけねぇよな…?」
小猿はコクコクと頷いた。
左近もまたその音に驚いたが、それ以上に樽の中身が気になった。
「なぁ、樽の中見せてみろよ、仙代味噌なんて嘘じゃねえの?」
喜兵衛は冷や汗をかきつつ視線をそらした。ククリは臨戦態勢で身構える。
突然の聞き慣れた音に結子はとび起きた。あまりの酒臭さに眠っていたらしい。
先ほどから響いているのは携帯の着信音だ。
サッカーの世界大会の影響から曲名は『アイーダ』。
なかなか切れないところをみると、メールではないようだが…。
(異世界って圏外だよね? それにバッテリーだってないはずだし、思いきり川に流されて水没しちゃったのに…)
スカートのポケットから携帯をとりだした瞬間、音は途絶えた。
ため息をつきながら画面を確認すると──やはり電池の残量レベルも電波の受信レベルも表示されてはいなかった。
確かに着信音は鳴っていたのだ。
もしかしたらと試してみたが、壊れたのかバッテリー切れか、電源自体が入らなかった。
(き…気持ちわるぅ〜)
身体をブルっと震わせてから、ふと外が騒がしいことに気づく。
喜兵衛たち以外に誰かがいるらしい。
「やましいことがねぇなら、樽の中を見せやがれッ!!」
「うっき、うっき、うっきっきッ!!」
(えぇっ!? お猿さんがいる…じゃあもしかしてこの声って、左近!?)
猿まわし万歳!! 結子が歓声をあげようとした刹那。
「見せられねえってんなら、こうするまでだッ」
左近の罵声とともに振り下ろされたものが、木樽を直撃した。
「うきゃあぁぁっ」
木樽の蓋の一部を壊し、結子の身体スレスレをそれは掠めていった。
彼女の心臓は破裂寸前。
どうしてこんなところに金属バットが…!? などと、考える余裕すらなかった。
「やっばり、味噌じゃねえよ」
「危ないじゃないのっ、ウツケ!! ウリ坊っ」
手首だけが見えているその人間は悪態をつきながらも、蓋を壊そうと必死になっている。
悪態をつけるなら大丈夫だろう、と左近はホッとした。
「樽の中のひと、今、助けてやるからなっ」
「バレちゃあ仕方がねえ、ククリ殺っちまえ!!」
「兄さん、中身を知られて生かしちゃおけねえよ」
「上等だぜッ、血反吐はくまで這いつくばらせてやる、覚悟しなッ!!」
やっぱりみんな悪ですか…? 蓋を壊しながら結子は嘆いていた。
左近から離れた夜叉丸が、木の蓋をはがそうと懸命になる。
そこへ喜兵衛がやって来て樽を背負って逃げようとした。
それを阻止しようとした夜叉丸と喜兵衛の格闘が始まった。
「このくそ猿っ!!」
「うっきぃー!」
「ちょっと、そんなに暴れたら…!!」
顔面を引っ掻いた夜叉丸を捕まえようと、喜兵衛が身をのりだした瞬間、バランスを崩した木樽は坂を転がりはじめた。
「いやぁぁぁっっっっ!!」
少女の絶叫に左近が動きをとめる。
(今の声…そういや、ウツケとかウリ坊とか…って、おいおい姫さんかよっ!?)
バットを振り回してククリを殴りつけると、急いで坂道を駆け下りた。
結子を入れたままの木樽はひたすら転げ落ちて行く。
坂道の片側は断崖絶壁だ。転げ落ちたら渓流に真っ逆さま。
(絶対に死なせやしねえ…ッ!)
結子は転げまわる樽の中で目を回していた。
あと一歩で樽に手が届くという瞬間、石ころで弾みをつけた樽が岩肌にぶつかって、木っ端微塵に砕け散った。
中から放り出された少女の身体を、間一髪で抱きとめる。
「姫さんっ、しっかりしろ! うっ、この匂い…」
結子の身体を抱きしめたまま、左近はヨロヨロとよろめくと、同じく駆けつけてきた小猿と一緒に昏倒してしまった。
その様子を少し離れたところで見ていた二人は、近づいてから首を傾げた。
「頭でも打ったのか…? どうしちまったんだコイツ」
「さぁ。なんにせよ商品が増えたってことだろ」
左近に助けてもらえるかと思いきや、雲行きは怪しいです。やはり…行く末はモツ鍋なのかっ!?