第拾弐話 天壱の夢
待ち合わせ場所の弐甲はまだ遠い。
「なぁ、夜叉丸。天ちゃん、すっげぇ怒ってたよな? やっぱり貴江の名は今でも禁句なのか」
「うっき?」
左近はほんの数時間前、江渡の手前、蒼下のあたりで天壱に会っていた。
天壱は江渡へと渓流に沿って歩いていたのだが、日が暮れて野宿となった。彼は一度寝たら誰かに起こしてもらうまで寝続けてしまうというクセがあるので、左近が通りかかった昼過ぎまで起きることはなかったのである。
天壱は夢を見ていた。
『てーんーいーつぅー』
自分の下方…杉の大木の幹に、幼子がひとりしがみついている。
暁城に近いこの丘は、少年達にとって大人にナイショの遊び場──秘密基地と呼べるようなところだった。
少女は自分ひとりが地上に取り残されていることが不満らしく、先ほどからしきりに騒いでいる。
『この高さ、結衣には無理だ』
『いやっ、結衣もみんなと一緒がいい!!』
『ダメだ天ちゃん、絶対に甘やかすなよ』
それでも少女は諦めない。しきりに両腕を頭上へと伸ばしている。
おそらく、抱き上げて欲しいとの合図だろう。
『姫様、お召し物が汚れてしまいます』
『高いから、落ちたら痛いぞ。痛いのは嫌いじゃろ?』
『姫さんは女だからダメだ!』
自分より少し下方の枝に陣取っていた、兄弟たちも口々に引き止める。
だが、このまま放っておいたら、大切な妹…大切な主君は泣き出してしまうだろう。
『ふぇっ、えっ…、てんいつぅ…』
『やーい、姫さんの泣き虫〜』
『左近っ、よしなさい』
四人は、この小さな妹に弱かった。結局、根負けして一番高い枝へと引き上げてやる。
『うわぁ…高い! 町がとっても小さくみえるー』
キャッキャッと歓声をあげる少女を見つめる、四人の眼は優しい。
兄妹同様に育った五人。いつも一緒だった…。
離れ離れになることなどありえないと思っていたのに。
別れは、訪れた───。
「おい! 天ちゃん、起きろって!」
天壱は身体を激しく揺さぶられて、草むらの上で夢から覚めた。
結子に会ったせいなのか、久々に楽しい夢を見た。
けれど、この先は…? この夢の続きは…きっと、あの悪夢へと繋がっているのだ。
視界に飛び込んできたのは真っ赤な衣装。
この色を着て歩いている知り合いなど、たった一人しかいない。
「こんなところで寝ていると、追い剥ぎにやられちまうぜ」
「盗られるものなんて、この宝玉くらいだ。ま、はずれやしないけどな」
「あぁーッ!! 天ちゃんも宝玉ゲットしたのかよっ」
「げっと…?」
頭を抱えて呻く左近を、天壱の膝にのった小猿が笑っていた。
「それはそうとお前…だいぶ前に日本へ結子を迎えに行ったはずだよな? 結子は今、白蓮と一緒だぞ」
天壱は目覚めが悪いのか、機嫌が悪いし口調もキツイ。
左近が結子の前に現れたのは、実は偶然ではなかったのだ。
彼らは、一度は結子を暁へ迎え、宝玉と力を手に入れようとしていたのだった。
「行ったさ、行った!! だけど、誰かが呪符を使って道を塞いでいてさ。あの札は姫さんじゃないと解けない。結局、夜叉丸の力でこっちとあっちを往来したけど、たまーに変なところに飛ばされちまうから、姫さんのとこにもうまく行けなくって…」
天壱は、左近が引っ提げている笹の葉にくるまれた土産をみとめた。
「たまにじゃなくて、いつもじゃねぇか。それ何だよ」
「う、ういろう餅」
「……尾張かよ」
ため息をついた天壱に左近が身をのりだした。
「俺だって努力はしたさ、姫さんに札をはがしてもらう為に近づこうとした。それなのに、四六時中、姫さんにべったりの野朗がいて機会がなかった。偶然、祭りの日に姫さんが札を解いて、万里と白蓮もあっちに行けたんだ」
「四六時中べったりの野朗…?」
その言葉に天壱は眉をひそめた。あまりいい気分はしないからだ。
「そうそう、そいつがさぁ、どっかで見たことがあるなって思ったら、磨那国の跡取り息子、貴江郁巳にそっくりでさぁ〜。死んだ人間にそっくりなんて笑っちまうよなっ」
左近と夜叉丸がゲラゲラ笑っている中、天壱は恐ろしい形相をしていた。
「貴江…郁巳っ…」
その後、天壱は江渡へと向かい、左近とは別れたわけだが──。
「やっぱり貴江の名前をだしたのがまずかったかな〜」
頭をかきかき、左近は誰ひとりすれ違わない山道を歩いていく。
「よーし弐甲へ急ぐぞ。早くしないと土産が腐っちまうぜ」