チュウしたいだけ
私はチュウしたいだけ。それができれば悔いはない。
私は男爵令嬢マリアンナ。けれど、正確な肩書きは男爵家の庶子。男爵閣下の血を引いているし、正妻との間に後継が出来なかったから、王国に届け出を出して男爵家に正式に引き取られた結果、男爵令嬢と言ってもよくなったのだ。
私の産みの母は、私が平民時代に亡くなった。何処かの高貴な方の血を引いていると周囲が勘違いするほど、美しい母であった。そんな母であったから、当然私も下位貴族の娘にしては美しい容姿に恵まれた。
引き取られた男爵家では、食べ物に困らない生活と美しいドレスを引き換えに、平民時代には必要がなかった跡継ぎ教育やマナーをみっちり叩き込まれた。
特に正妻たる男爵夫人からの教育は熾烈であった。自分が跡継ぎを産めず、よりにもよって平民の血が混ざった子を跡継ぎとして引き取ってきたからだろう。男爵夫人は立派なことに貴族の誇りだけは一丁前にあった。私が五体満足に生まれていることで、跡継ぎができぬのは夫人側に問題があると示唆されたも同然だったから、プライドの高い夫人には受け入れられなかったのだろう。
ところで私の住む王国の貴族子息たちは、15歳以上になれば学園に通うことが義務付けられている。これは、成人後いきなり社交界に飛び込んでも大丈夫なように、学園で人脈を築き、本物の社交界に向けて練習するためにある。学園に通うことで、下位貴族にとっては高位貴族との人脈が手に入りやすくなるし、逆に高位貴族は有能な手駒となる下位貴族を見繕うことができる。婚約者がいない者たちが学園内で相手を見つけることだってできるのだ。
私も15歳を迎え、学園に入学することが決まった。学園は王都に立地していて、地方から入学する生徒のために学園の敷地内に学生寮もある。私も地方の学生と同じように学生寮に入寮し、学園生活をスタートさせた。
同級生となる方の中には、第一王子やその取り巻き、それから彼らの婚約者がいた。
普通なら上位となる彼らに近づくことはできない。でもここは学園。やろうと思えばいくらでも近づく機会はあった。
「私は真実の愛に目覚めた!性根の腐った貴様との婚約を破棄し、清らかな心の持ち主であるマリアンナを新たな婚約者とすることを宣言する!」
学園の卒業パーティーにて、第一王子は高らかに宣言した。片手で私の腰を引き寄せて密着し、まるで相思相愛であることを周囲にアピールするかのようであった。
第一王子の婚約者たる公爵令嬢は、怒りで顔を赤くしながらそれでも何とか平静になろうと努めているみたいだ。ここからどうにか自分たちに有利になるよう計算している様子ではあるけど、無駄なこと。だって、貴女が私を虐めていたのは周知の事実だし、その証拠は全てこちらで保存してあるから証拠の提示をしろと言われてもすぐに出せる。対して令嬢側は露骨に私を虐めていたから、頭の出来は察するに余りある。当然ながらアリバイなど作れてない。
頭が悪く、醜聞に塗れた令嬢なんて庇っても、旨みはないだろう。だからこの場を打開する手立てなどない。
そんなことは知らない公爵令嬢様は、必死に「男爵家の娘を娶るなど正気か」だの「私たちの婚約は公爵家と王家の契約でもあるのだ。王命に楯突く気か」だの正論を言っている。
だが暴走した第一王子にはそんな正論など関係ないのだ。彼は公爵令嬢の主張を全て退け、私を虐めた罰として貴族籍の抹消の上娼館に行くように居丈高に命じた。
王族が感情のままに動くから、この国の未来が不安だ。まあもう私には関係ないこと。
馬鹿な第一王子に侍るこれまた馬鹿しかいない取り巻きによって会場から連れ出された公爵令嬢の様子を見つめていると、ずっと私の腰を引き寄せていた第一王子が私の唇にキスをした。
「ああ愛しいマリアンナ。これで邪魔者はいなくなった。もうマリアンナを害する者などいない。安心してくれ。」
「…はい、ありがとうございます。第一王子殿下。」
「ふふふ、存分に感謝するといい。この卒業パーティーが終わった後は、俺と一緒に王城に帰ろう。そこで正式に婚約を結んで、俺の妻となるべく勉強させてあげよう。」
「…はい、感謝しております。共に王城に参りましょう。」
その後私はパーティーを楽しむフリをしつつ、タイミングを見計らって、お手洗いに行くと第一王子に告げて傍を離れた。
会場から離れ、お手洗いに行き、個室に入った。貴族が使うものだから、無駄に広い個室は、衣擦れの音を立てても隣に聞こえることはないだろう。
私は着ていたドレスを脱いで、一度下着姿になった。このために1人で脱着できるドレスを選んだと言ってもいい。男爵夫人に嫌われているから、彼女の采配によって私に使用人などつけられなかった。だから、粧し込むときなどには基本的には1人で熟す必要があった。このドレスもその一環である。
第一王子は私とまだ婚約していないからドレスを贈ってくることはしなかった。流石にあの馬鹿王子でもその辺りは分かるらしい。代わりに匿名でアクセサリーを贈られたが。今回はそれが助かった。
私は着ていたドレスを裏返しした。このドレスはリバーシブルタイプである。先ほどまで私の雰囲気に合った可愛らしいデザインだったドレスが、フリルやリボンがない一見するとワンピースにも見えるシンプルなドレスへと変わった。
私はデザインが変わったドレスをもう一度着て、身に付けていたイヤリングやネックレス、ブレスレットなどのアクセサリーを全て外した。大ぶりの宝石があしらわれたアクセサリーの品々は、美しいけれど、それだけで誰が身に付けていたか分かる特徴でもある。下着の中に隠し持っていたネックレスと指輪を身につけて、外したアクセサリーは個室内に置いていくことにする。もちろん個室内の隅に隠すように置く。
アップにしていた髪も下ろす。貴族用のお手洗いだから、個室内でも小さな鏡はあるのだ。鏡を見ながら見苦しくない程度に下ろした髪を整えたら、これまた隠し持っていたヌードベージュのリップを唇に塗る。
最後にやや猫背になりながら個室から出れば、すっかり体調を悪くしたどこかのご令嬢の完成だ。
その状態で会場の外に出て、馬車がある場所へと赴けば、パーティー途中で体調を崩した令嬢の姿を目にした学生寮との送迎用の御者が、「学生寮に送りましょうか?」と提案してくる。パーティー終了の予定時刻よりまだずっと早いこの時間だからできる提案であった。
「ええ、お願いできるかしら?」となるべく俯きがちに馬車に乗り込みながら答える。
親切な御者は、体調不良の令嬢を一刻も早く安静させるために、いつもより早く、けど余り振動しないように気遣ってくれながら走ってくれた。
学生寮の玄関で馬車から降りた私は、割り当てられた自室に一度帰り、メイクもアクセサリーもドレスも全部脱ぎ捨てて、使用人が着るようなデザインの服に着替え、髪も纏めた。使用人の格好で学生寮を出て、そのまま堂々と学園の敷地内からも出る。学園の警備は厳重ではあるけれど、それは外から来る人にしか発揮されない。中から出る分にはガードが緩くなるのだ。それは学園の貴族子息たちが外出するときは必ず護衛を連れ立って行くから。さらに今の私は使用人にしか見えないことから、警備の人はどこかの使用人が貴族に呼び出されたか用事だかで学園の外に出ただけである。
学園の外に出られれば、私の勝ちも同然である。後は適度に服を変え、元々着ていた服を売りながら、馬車に乗っていけば、あっという間に隣国である。
隣国では、名前を変え、平民のアンナとして暮らし始めた。いびってくる男爵夫人も、虐めてくる公爵令嬢も、真実の愛に目覚めたと宣ってくるような王族もいない暮らしは快適だった。
元いた国はあれから大変だったらしい。
流れてきた噂話や新聞によれば、真実の愛に目覚めた第一王子のお相手が姿を消したことから、元婚約者の最後の悪あがきで消されただとか、それを受けて第一王子は報復として元婚約者の家を潰し、貴族と王家の関係に致命的な傷を入れただとか。王家は第一王子を廃嫡し、第二王子を立てて関係修復を図ろうとしたらしいが、時すでに遅し。王家への不信感しかない貴族からは反発があり内戦に発展したり、内戦の影響で平民は国から逃げ出し今や貴族としての地位も誇りもないも同然になったりしたとのこと。
迷惑を被った大多数の平民には申し訳ないと思うが、アンナはスッキリした気分になった。自分1人が消えただけでこうも国が崩壊するなんて失笑に値する。
美しいだけで非力な平民の母を無理やり手篭めにした男爵閣下も、平民の血が流れているというだけで癇癪を起こした男爵夫人も、脳が下半身に直結していると思うほど愛に正直な第一王子も、自分が高位貴族の生まれだからと言って下位貴族で遊んで楽しむ公爵令嬢も、そんな第一王子や公爵令嬢を嗜めることすらせず一緒になって楽しんでいる貴族連中も、全員嫌いだった。
貴族などクソ喰らえだ。平民だからと言って舐めるな。
私はうっそりと笑って、内戦による疲弊の果てに隣国の植民地となったと報道する新聞紙にキスをした。
チュウしたい•••キスしたい
誅したい•••復讐したい




