異議あり!
「異議あり! 被告が提出した証拠は、本件の大型詐欺を隠蔽するための偽造文書であると立証できます!」
法廷に私の声が響き渡る。
数千億円規模の経済倒産、その裏に潜む巨悪。数年間に及ぶ地獄のような調査と、睡眠時間を削って積み上げた「事実」の結晶が、今まさに勝負を決する。裁判官が驚きに目を見開き、被告の顔が青ざめるのが見えた。
勝てる。正義は、私の弁護士としての執念は勝つ――。
そう確信した瞬間だった。
視界が唐突にブラックアウトした。
胸を巨大なハンマーで殴られたような激痛。過労による心不全。
薄れゆく意識の中で、私は崩れ落ちる自分の体を感じながら、ただただ無念さに歯を噛み締めていた。
(あと少しで、勝訴だったのに……!)
* * *
「……カス! ルーカス、しっかりして!」
遠くで、声が聞こえた。
酷くひび割れた、焦燥に駆られた少女の声。
重い瞼をこじ開けると、薄暗い天井が見えた。背中にはひんやりとした硬い感触。どうやら、粗末な木箱か藁束の上に寝かされているらしい。
「……ここは?」
乾ききった喉から、掠れた声が出た。
同時に、ひどい頭痛が襲ってくる。二つの全く違う記憶が、脳内で激しくぶつかり合っていた。
六法全書を暗記し、法廷で戦い続けてきた三十代の『弁護士』としての記憶。
そして、残飯を漁り、日々のパンにも困窮する十五歳の『スラムの孤児』としての記憶。
「よかった、気がついたんだね……! 三日間も熱が下がらないから、もうダメかと思った」
視線を横に向けると、そばかすのある顔立ちをした、同い年くらいの少女が安堵の涙を浮かべていた。
ボロボロの服を着てはいるが、瞳には芯の強さがある。
「……アンナ」
無意識に、口が彼女の名前を紡いでいた。
幼馴染のアンナ。スラムで共に育ち、なけなしの食べ物を分け合ってきた仲間だ。
「水、飲むでしょ。ちょっと待ってて」
アンナが人差し指を立てると、その指先からチロチロと小さな火が灯った。彼女は手近にあった欠けたコップに水を汲み、その火を近づけて少しだけ温めてから、私の口元に運んでくれた。
「……魔法?」
「何言ってんの。私の魔力じゃ、こんな『生活魔法』がせいぜいだけどね」
アンナは自嘲気味に笑った。
その温かい水を飲み込みながら、私は混乱する頭を徐々に整理していく。
むせるような石炭の煙と、鼻を突く鉄の匂い。
隙間風の吹く窓の外に目をやれば、重厚なゴシック調のレンガ建築と、空を覆う無数の煙突が見える。通りからは、歯車と蒸気音を響かせながら石畳を走る「魔力駆動」の巨大な装甲馬車の音が聞こえてきた。
蒸気機関と近代法が芽生えつつある産業革命期のような文明。
しかし、人々の生活と権力の基盤には『魔法』が深く根付いている。
私は、ルーカスという名の15歳の少年に転生したのだ。
二つの記憶が完全に統合され、私は現状のすべてを理解した。
「……ごめんね、ルーカス。私にもっと魔力があれば、ちゃんとしたお医者様を呼んであげられたのに」
「気にすることはない。……私は大丈夫だ」
私は身を起こし、自分の細くひ弱な両手を見つめた。
アンナが謝る必要などない。なぜなら、私――ルーカスには、魔力が『ゼロ』なのだ。
火の粉一つ起こせない。魔力量で絶対的な身分が決まるこの世界において、魔力ゼロの孤児とは、文字通り道端の石コロ以下の最下層である。
だが、絶望はなかった。
二つの記憶が融合した瞬間、まるで脳裏に直接「契約書」が刻み込まれるかのように、私に宿った一つの【ユニークスキル】の存在とその使用条件を理解していたからだ。
スキルとは、魔法とは全く違うメカニズムで発現するもので、『神からの贈り物』とも、『希望を騙る絶望』とも言われる。なぜなら、使用に際して必ず理不尽な「制約」が伴うからだ。
例えば、体を透明にするスキルがあったとする。しかし、体を透明にできるのは息を止めている間だけ。しかも着ている服まで消せるわけではないため、結果的に使いどころが非常に限られる、使い勝手の悪い能力となってしまうのだ。
そして、私のスキルの名は『説得力』。
洗脳や精神支配のような、対象の意思を強制的に奪う魔法ではない。
この能力の本質は、対象の認知バイアス(偏見・感情・プライド)を完全に排除し、私が提示した論理を純粋な情報として脳裏に直接届け、深く納得させるというものだ。
例えば、平民が貴族に正しい意見を進言しても、「魔力を持たないゴミの戯言など聞けるか」という感情的な壁に弾かれてしまう。だが、このスキルを発動すれば、その壁をすり抜けさせることができる。筋道さえ通っていれば、相手は「確かにその通りだ。これは私自身が導き出した賢明な判断だ」と錯覚にも似た納得に至る。
ただし、神からの授かりものには、必ず理不尽な代償が伴う。
私に突きつけられたスキルの『発動条件(制約)』は、極めて厳格だった。
『本スキルの発動中、行使者はいかなる嘘(虚偽・欺瞞・憶測)も発言してはならない。万が一、事実と異なる発言をした場合、即座にスキルは解除され、行使者は激痛と共に一定期間の発声能力を失うものとする』
試しに、私はアンナから顔を背け、心の中でスキルを起動状態にし、声に出さずに口パクで呟いてみた。
(……私は、魔力を持つ大貴族だ)
――ギチッ!!
「っ……!!」
途端に、喉の奥を焼け火箸で押し当てられたような激痛が走り、私は咄嗟にむせた。
口パクで、しかも自分に対する明らかな嘘でさえ、この制約は容赦なく発動する。つまり、ハッタリも、都合の良い嘘も、甘い言葉も一切使えない。
「ルーカス!? 大丈夫!?」
「あ、ああ……なんでもない。少し喉が渇いていただけだ」
(アンナには、絶対にこのスキルは使わない。打算のない彼女の前では、私はただの私でいたいからな)
痛む喉をさすりながら、しかし心の中で私は酷く冷たい笑みを浮かべていた。
神は私に呪いを与えたつもりかもしれない。
だが、思い上がりも甚だしい。
法廷において、最大の武器は口八丁の詭弁ではない。
相手の逃げ道を完全に塞ぎ、有無を言わせず屈服させるのは、いつだって「徹底的なリサーチによって組み上げられた、揺るぎない客観的真実」だ。
感情論でゴネる相手に、完璧な論理だけを強制的に押し付け、納得させることができる?
それは弁護士にとって、この上ない『最強のチート能力』だった。
強大な魔法が全てを解決するこの世界は、皮肉なことに「法律」や「経済」、そして「論理的交渉術」がひどく未熟だ。
弁護士としての知識と、嘘偽りのない真実だけを撃ち込む『説得力』。
この二つがあれば、魔法などなくとも世界をひっくり返せる。
「アンナ。ちょっと出かけてくる」
「えっ、ちょっとルーカス!? まだ寝てないと――」
「心配ない。少しばかり、『世界を動かす準備』をしてくるだけだ」
私は立ち上がった。
私の、第二の法廷劇が幕を開ける。
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