表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

目的地まで、およそ8分です

作者: 木村乃村
掲載日:2026/05/21

街灯に照らされた、街路樹を眺めながら歩いた。

金木犀はもう香らない。

でも、一瞬だけ金木犀の匂いがした気がした。


緩やかな上り坂。

ヒールの音が響く。

ファミレスの看板が見える頃には、

少しだけ足が痛んだ。

スニーカーで来ればよかった。

 

1枚目の開き戸を開ける。

持ち手の冷たさが刺さった。

体ごと扉を引く。

 

2枚目の自動ドアをくぐった。

暖かい空気が通り抜ける。

空っぽだった胃が、少しだけ動いた。

 

レジには誰もいない。

目的のテーブルはすぐに見つかった。

少しだけ、胸を張って歩く。

片付けのされていない、

テーブルが何席もあった。


「久しぶり」

彼の頭に向けて言う。

「よう」

視線はハンバーグに落ちたままだ。

「わざわざ職場の近くまでごめんね」

「最近仕事が忙しくて」

ソファ席が異常に硬い。

足元に落ちている割り箸が気になった。

「なんか食う?」

4人がけのテーブルが広い。

「私は大丈夫」

「店入ってなんも頼まないのはダメでしょ」

丸い呼びベルを押す。

三回目でやっと電子音が鳴る。


左右に小さく揺れながら、女性の店員が来る。

「ドリンクバーを一つください」

「ドリンクバーは人数単位でお願いします」

彼に視線を向ける。

無言で頷く。

「じゃあ二つで」

「コップあちらにあります」

どちらか分からない。


「私取ってくるけど何がいい?」

「炭酸系」

「コーラ?スプライト?」

「ファンタかな」

何も言わずにドリンクバーに向かった。


白のティーカップと、

プラスチックのコップを手に取る。

製氷機から氷を取り出す。

何個もくっついていてコップに入らない。

もうこの店に来ることは無い。

 

コーヒーマシンが抽出している間に、

ファンタのボタンを押す。

ボタンを押す時間がやたら長かった。


「置いとくね」

何も言わない。

「食べ終わるの待った方がいいかな?」

「いや、続けていいよ」

鞄から封筒を取り出す。

中で小さな金属が動いた。

「これ、渡したかっただけだから」

彼は封筒を逆さにして、手のひらにそれを出す。

 

─鍵。

 

「こんなもん、ポストに入れるとかでいいのに」

「わざわざこんな時間に呼びつけて」

こちらを一瞬見て、すぐ逸らす。

「これは私のケジメだから」

「ケジメって…」

馬鹿にしたように笑う。

「ケジメの割には、返すのに一ヶ月もかかったね」

「それは…」

正面を向けない。

テーブルの調味料に視線を逃がす。

息を吐く。

 

「待ってたんだけどね」

 

彼がこちらに視線を向ける。

「そんなの伝わらないよ」

テーブルを右手の人差し指でトントンする。

機嫌が悪くなるといつもこれだ。

 

私も視線を合わす。

「もういいよ、もう無理だよ」

「そんなの意味分からなすぎる」

食べ終わった食器をテーブルの隅に寄せる。

「私、これ飲んだら帰るから」

裏で雑談する店員の声が耳につく。

窓の外で殺虫灯が紫色に光っている。


「実家に帰ってゆっくりしてるの?」

爪楊枝の入った容器に手をかける。

「私もう実家に居ないよ」

「じゃあどこにいるのよ?」

「もう…関係ないでしょ」

爪楊枝を取らずに元の位置へ戻す。

「まだ荷物残ってるんだけど」

「面倒だけど、全部捨ててくれる?」

「もう、戻ってこないの?」

「だから、最初からそう言ってる」


─長い沈黙。


「私そろそろ行くね、終電だし」

立ち上がり、伝票に手をかける。

時計の上から、彼の手に捕まる。

 

重りがついた腕を振り払う。

彼の腕が力なく落ちた。

 

「送るよ」

今日の会計は彼が払った。


私が先に店から出る。

自動ドアをくぐる。

扉を押す。

開き戸が異常に軽かった。

 

冷たい空気を吸い込む。

白い息が空に消えた。


ピピッと音がして彼の車が点灯する。

助手席を開ける。

嗅ぎなれた芳香剤の匂い。

私の形に少し沈んだシート。

「家どこ?」

「ここから近くの駅でいい」

「いいよ、どうせ車だから」

「駅がいいの」


金木犀が揺れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ