第2話「冷たい指先と甘い毒」
王都の中央通りは、喧騒と埃の匂いに満ちていた。
照りつける午後の陽射しが、石畳に濃い影を落としている。
行き交う人々の熱気の中で、リアンは一人、冷たい汗を流していた。
路地裏の影に身を潜めながら、視線は広場の中央にある噴水に釘付けになっている。
澄んだ水が跳ねるその場所は、一見すると平和な王都の象徴だ。
だが、リアンの目には違って見えた。
水面のわずかな揺らぎの奥に、どす黒い瘴気が糸のように絡みついている。
影の派閥が仕掛けた、遅効性の呪毒だ。
前世ではこの水路から毒が蔓延し、多くの民が命を落とし、王都の機能が麻痺した。
その混乱に乗じて、王族への暗殺計画が実行されたのだ。
悲劇の連鎖を断ち切るためには、ここで毒の出どころを絶つしかない。
『僕がやるしかない』
リアンは周囲の気配を探り、足音を殺して噴水へと近づく。
冷たい石の縁に手をかけ、水面にそっと指先を浸した。
ひやりとした感触とともに、水に溶け込んだ呪いがリアンの指先から侵入してくる。
血管を氷の針が逆流していくような、鋭い痛みが腕を駆け上がった。
リアンの「癒やしの力」は、呪いを浄化するものではない。
己の体を器として、対象から呪いを移し替えるだけの身代わりの魔法だ。
奥歯をきつく噛み締め、漏れ出そうになる呻き声を喉の奥に押し殺す。
水面を漂っていた黒い糸が、次々とリアンの指先に吸い込まれていく。
同時に、リアンの手のひらから急速に血の気が引き、死人のような蒼白に変わっていった。
心臓が不規則に脈打ち、視界の端が黒く明滅する。
「……っ」
浄化が終わり、リアンが水面から手を引き抜いた瞬間だった。
背後から、風を切る鋭い足音が迫る。
「何をしている」
背筋が凍るような、低く冷徹な声だった。
振り返るよりも早く、リアンの肩が強い力で掴まれた。
強引に振り向かされた視線の先に、怒気をはらんだエリアスの青い瞳があった。
「エリアス」
リアンは息を呑み、咄嗟に濡れた右手を背後に隠す。
その不自然な動作を、エリアスが見逃すはずもなかった。
「手を見せろ」
それは短い命令だった。
有無を言わさぬ圧力が、空気ごとリアンを縛りつける。
「なんでもない」
リアンは後ずさりしようとしたが、肩を掴むエリアスの指が万力のように食い込んだ。
「水に触れていただけだ」
「嘘が下手なのは昔からだ」
エリアスは冷酷に言い捨てると、リアンの背後に隠された右手を強引に引き出した。
濡れた指先が空気に触れ、かすかに震える。
エリアスの大きな手が、リアンの冷え切った指を包み込んだ。
その瞬間、エリアスの顔からスッと表情が抜け落ちる。
「……なんだ、この冷たさは」
声が震えていた。
氷のように冷え切ったリアンの手から、尋常ではない異常を感じ取ったのだ。
エリアスの親指が、リアンの手首の脈を乱暴に探る。
「脈が飛んでいる」
エリアスの目が、信じられないものを見るように見開かれた。
「お前、一体何をした」
胸ぐらを掴みかからんばかりの勢いで、エリアスが顔を近づけてくる。
彼の整った顔立ちが、焦燥と恐怖で歪んでいた。
吐息がかかるほど近い距離で、リアンは目を逸らさずに真っ直ぐに見返した。
「体調が悪いだけだ」
平坦な声を作って嘘を重ねる。
「神殿に戻って休めば治る」
エリアスの手から自分の手を引き抜こうとするが、相手の力は微動だにしない。
「休めば治る冷たさではない」
エリアスの声が、低く唸るような響きを帯びる。
「お前はまた、俺の目の届かないところで何かを被ろうとしているのか」
その言葉に、リアンの心臓が大きく跳ねた。
前世の記憶がフラッシュバックする。
彼を守るために全てを背負い込み、結果として彼を絶望の淵に突き落としてしまった過去。
同じ轍は踏まない。
「君には関係ない」
リアンは冷たく言い放ち、ついにエリアスの手を振り払った。
「僕の体は僕のものだ」
突き放すような言葉の刃が、エリアスの表情を強張らせる。
傷ついたような、それでいて激しい怒りを孕んだ視線がリアンを射貫いた。
路地裏の静寂の中で、二人の荒い呼吸音だけが絡み合っている。
リアンは背を向け、足早にその場を立ち去った。
背中に突き刺さる痛いほどの視線を無視して、ただ前だけを向いて歩き続ける。
呪いの冷たさよりも、彼を突き放した事実の方が、よほどリアンの胸を深くえぐっていた。




