第三章 金の支配02
「ああ……し、しんどい……」
ソファにぐったりと寄り掛かりながらロージーはそう愚痴をこぼした。疲労感から体が重く感じられる。ソファの隅で自身の尻尾を前足でペシペシ叩いているポチをぼんやりと眺めながら、ロージーは深々と溜息を吐いた。
「随分とお疲れのようですね」
紅茶の注がれたティーカップがテーブルに置かれる。ティーカップを置いたのはこの家の主であるノーマン・エッジだ。ロージーはハッとして慌てて居住まいを整えた。
「も、申し訳ありません。お客様の前で失礼な姿を見せてしまいました」
「いえいえ。こちらこそ急にお呼び立てしてしまい申し訳ありません。それにしても今日はお一人なんですね。男の方――デッドさんはここに来られないのですか?」
対面のソファに座るノーマンにロージーは「え、ええ」と頷いた。
「別の仕事が入ってしまったようで。すみません。私では頼りないですね」
「ああ、いえいえ。そういう意味で尋ねたわけではないんです。しかしなるほど。では今日の外回りはロージーさんが一人でされているのですね。大変だったでしょう」
顧客に気遣われるなど営業として失格だろう。そのぐらいは働いた経験のないロージーにも理解できた。だがあまりの疲労からロージーはつい「はい」と素直に頷いてしまう。
「お金を取り立てることがこんなにも難しいものだとは思いませんでした。こちらが頭を下げてお願いしているというのに聞く耳すら持とうとしない人ばかり。それで本当にお金がないのならともかく、お金があるのに払おうとしないのですから」
「理由はそれぞれですが、返済を滞納している時点で訳ありな方々ですからね」
「なんだか……デッドさんが暴力で解決しようとする気持ちが少し分か――」
倫理的に問題ある言葉を口にしかけてロージーは慌てて頭を下げる。
「す、すみません。お客様の前で詰まらない愚痴を……」
「いえ、本当に気にしないでください」
ノーマンが苦笑して頭を振る。ロージーはもう一度頭を下げて気を引き締め直した。
「それで本題なのですが、本日はノーマン様からお話しがあると伺っておりますが」
「ええ、お忙しい中、ご足労いただきましてありがとうございます」
「とんでもございません。早速ですがご用件はどのようなものでしょうか?」
「はい。でも……そうですね。何とお話しすればいいのか――とりあえずお茶をどうぞ」
ノーマンがテーブルに置いた紅茶を手で指し示す。複雑な話なのか言葉をまとめるのに時間がかかるようだ。ロージーはそう判断してテーブルの紅茶に手を伸ばした。
「お姉ちゃあああああああん!」
ティーカップに指先が触れようとしたその時、弾けるような声が聞こえてきた。思わず紅茶に伸ばしていた手を止めて声に振り返るロージー。そこには部屋の入口からこちらにパタパタと駆けてくる黒い髪をボブカットにした少女――ノーラの姿があった。
「昨日ぶりだね。なになに? 今日もまたお家に遊びにきたの?」
ロージーの前に立ち止まりノーラが元気よくピンと右手を上げた。笑顔を輝かせている少女に「ああ、ノーラったら」とノーマンが慌てた様子で口を開く。
「このお姉さんは遊びに来ているわけではないんだ。ご迷惑をおかけしては駄目だよ」
「ノーラ迷惑なんてかけてないもん。パパはノーラのこと邪魔者あつかいするんだ。ノーラとのことはただのあそびだったのね」
「また変な言葉を……とにかく、パパとお姉さんは大事な話をしているからノーラは向こうに行ってなさい。すみませんロージーさん」
ノーラに出ていくよう合図しながらノーマンがロージーに向けて頭を下げる。
「ノーラは訳あってあまり家を出られず、お客さんと話ができるのが嬉しいようで」
「家から出られない?」
「すぐに追い出しますので。ほらノーラ。お姉さんだって困っているだろ」
ノーラがぷうっと頬を膨らませる。どうやら拗ねているらしい。不満げに部屋を出ていこうとするノーラ。その小柄な少女の背中を見てロージーは「ノーラさん」とつい声をかけた。足を止めて振り返るノーラ。きょとんとする少女にロージーは柔らかく微笑む。
「実は私、このあと少しだけ空き時間があるんです。ノーラさんさえ良ければ、その空き時間の間だけ私と遊んではくれないですか?」
ロージーの言葉にノーラが目を輝かせて「うん」と力強く頷いた。ソファから立ち上がろうとするロージーにノーマンが「そ、そんな」と狼狽しながら両手を振る。
「お疲れのところ申し訳ないです。ノーラの我儘は無視して構いませんので」
「いいえ、私がそうしたいんです。なんかこう……今は体よりも心のほうが疲弊しているようでして、ノーラさんのような方と遊べると心が癒されるような気がするんです。もちろんノーマンさんがご迷惑なら、そうハッキリと言って頂いて構いませんが」
「僕が迷惑と言うことはないのですが……」
ノーマンがちらりとノーラを見やる。表情に満面の笑顔を咲かせているノーラ。娘のその嬉しそうな様子にノーマンが「分かりました」と表情を綻ばせる。
「ではお言葉に甘えさせて頂きます。なにかご迷惑になるようなことがあれば、ノーラに注意しますのですぐに教えてください」
「分かりました。ではノーラさん。一緒に遊びましょう」
「うん。えっとね、じゃあノーラの部屋に行こ。ノーラの宝物たくさん見せてあげる」
ロージーはポチを胸に抱くと、ノーラに腕を引かれるまま部屋を出ていった。
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「ここに3Sの連中がいるんだな?」
目的となる倉庫を遠目に眺めながらデッドは今一度そう確認した。物陰に隠れているその彼の背後から「そうですよお」と気の抜けた返答がされる。
「もう一度説明しますとお、すでに使用不可になったと思われていたスコールズ・ファミリーのコネクションに応答があったんですう。それでこちらもきちんと自己紹介をして、その倉庫で話をする約束を取り付けたんですう」
そう説明するのは緑髪をツインテールにしたニキータだ。緊張感なくニコニコ笑顔を見せているニキータ。その彼女を後ろ目に一瞥しつつデッドは「ふうん」と眉をひそめる。
「こちらからの呼びかけを一度無視しておいて、時間を置いてから今度は向こうから接触してきたわけか。どうにも解せないな。会社はそこのところどう考えてんだ?」
「もちろんバリバリに怪しんでますう」
ニキータがツインテールをピョンピョン跳ねさせながら和やかに言う。
「うちは3Sと良好な関係を築きたいだけなんですけどねえ。ただ3Sからすれば犯罪者である自分たちに積極的に接触してこようとする会社を危険視してもおかしくありません。その証拠に一度はこちらからのアプローチを無視していますしい」
「こちらに敵意がないと判断したのか。或いは俺たちの思惑が何であろうと、取引したほうがメリットも大きいと判断したのか」
「それか――あたしたちを罠に嵌めようとしているか――ですねえ」
ニキータの言葉にデッドは「そうだな」と嘆息混じりに頷く。
「3Sの実態を探ろうとしている俺たちは連中にとってひどく目障りだろうからな」
「その時はきちんと説得してくださいねえ。こんな優良株を見逃すなんてないですよお」
「そいつは相手の出方次第だな。俺はもう行くけど、ニキータ、お前はどうする?」
「あたしはここで待ってますう。デッドさんにもしものことがあったら、きちんと死亡退職の手続きをしますのでご安心くださいねえ」
「シャレにならねえっての」
デッドはそうぼやくと物陰から出て倉庫へと歩いていった。特に焦ることもなく倉庫へと近づいていくデッド。歩きながら周囲の気配を探るも特に異変は感じない。
倉庫の前で立ち止まる。シャッターで閉じられた搬入口。その横に設置された人が出入りするための扉。そのドアノブに手を伸ばす。ドアノブが抵抗なく回る。鍵は掛けられていないらしい。デッドは扉を開くと躊躇なく倉庫へと足を踏み入れた。
倉庫の中は空気が冷えていた。デッドは倉庫内を歩きながら周囲を観察する。倉庫内には荷物が置かれてなく伽藍洞としていた。恐らく現在未使用の倉庫なのだろう。照明は点灯されておらず、明かり窓から差し込む光だけが倉庫内を薄暗く照らしている。
「ここなら目撃者を出さずに人ひとり消すことも容易だろうな」
デッドはニヤリと笑い――素早く前方に身を投げた。
直後、地面にズシンと強い衝撃が叩きこまれる。体勢を立て直して背後を振り返るデッド。彼の視線の先には身長二メートル強の大柄な男性がいた。上半身が裸の筋骨隆々の体格をしており、地面に突き刺した男の右腕には太い血管が不気味に浮かんでいる。
「なるほど……やっぱ警告というわけか」
デッドは懐から拳銃を取り出して大男の顔面を見据えた。見上げる位置にある大男の顔面。そこには無機質な鉄仮面が張り付いている。
「気味の悪い奴だな……まあ何でもいい。やるつもりならこっちも容赦しねえぜ」
大男に拳銃を突きつけてデッドはその口元に笑みを浮かべた。
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「うう……つ、疲れたあ……」
ノーラの部屋からリビングへと戻ってきたロージーはソファに腰を下ろしてそう独りごちた。子供の体力はまさに無尽蔵だ。気分転換に少しだけ遊ぶつもりが体力を根こそぎ奪われてしまった。ロージーはヘトヘトになりながら胸に抱いたポチに視線を落とした。
「ポチもお疲れ様」
気持ちグッタリしているポチにロージーはそう声をかける。ポチもまたつい先程までノーラと鬼ごっこ――一方的にノーラが追いかけていただけだが――していたのだ。舌を出して呼吸しているポチの頭を撫でながらロージーは深呼吸する。
「お姉ちゃん、はいコレ」
リビングに戻ってきたノーラがソファで休んでいたロージーに何かを差し出す。ロージーは怪訝に思いながらノーラの差し出したモノを受け取った。ノーラから手渡されたモノ。それはゴムにビーズを通して手作りした可愛らしいブレスレットであった。
「ノーラが作ったブレスレット、お姉ちゃんに一つあげる。ノーラとおそろいだよ」
ノーラが頬を赤く染めながら自身の左手首をかざして見せる。少女の左手首にはロージーに手渡されたモノとよく似たビーズのブレスレットがあった。少女からの思いがけないプレゼントにロージーの頬が自然と緩む。
「つけてみて、お姉ちゃん」
ノーラに促されてロージーはそのブレスレットを自身の左手首にはめた。左手に巻かれた玩具のブレスレットをしばし眺めて、ロージーはニッコリと微笑む。
「ありがとう。大切にするわね」
「かほうにしてだいだいひきついでいいよ」
「そ、そうするわ」
「はいはい。ノーラももう満足しただろ」
誇らしげに胸を張っているノーラに、ノーマンがパチパチと手を鳴らしながら近づく。
「そろそろお昼寝の時間だよ。お姉さんとはサヨナラしてお部屋に戻りなさい」
「ええ、イヤだよ。ノーラまだお姉ちゃんと色々お話ししてたいの」
「ノーラの気持ちは分かるけど、パパとの約束だろ? きちんとお薬を飲んできちんと体を休める。そうじゃないと、いつまでも体は治らないよ。体調がよくなればお姉さんとももっと遊べる。お友達とだって遊べるんだ。ノーラもそれがいいだろ?」
「……うん」
不承不承という様子で頷くノーラに、ノーマンが「いい子だ」と優しく微笑む。
「それじゃあ、お姉さんにちゃんとサヨナラしようか。ほら、ノーラ」
「お姉ちゃん、バイバイ。また遊ぼうね」
「う、うん。またね、ノーラちゃん」
ノーラが手を振りながら部屋を出ていく。少女の姿が廊下の奥に消えたところで、対面のソファに腰掛けていたノーマンが「すみませんでした」とロージーに頭を下げた。
「仕事とは関係のないことをさせてしまい……でも久しぶりにノーラのあんな楽しそうな笑顔を見ることができました。本当にありがとうございます」
「いいえ、ノーラちゃんと遊べて私も楽しかったです」
ロージーはそう言いながらテーブルに置かれているティーカップに手を伸ばした。カップに注がれた紅茶を飲もうとするロージーにノーマンがやや慌てたように言う。
「あ、紅茶いれなおしますよ。もう冷めているでしょう」
「お気遣いしなくても大丈夫です。少し冷めているぐらいの方が飲みやすいので」
喉が渇いていたこともあり紅茶を一息に飲む。そして空のカップをテーブルに置きつつ、ロージーはやや躊躇いながら口を開いた。
「あの……無神経な質問かと思うのですが、ノーラちゃんはどこか体が悪いのですか?」
「……はい。その通りです」
ノーマンの表情に悲しげな苦笑が浮かぶ。
「先天性の心臓の病です。薬のおかげで日常生活に支障はさほどないのですが、いつ病状が悪化するかも分からないので、家からは出ないよう娘には言い聞かせています」
想像していたよりも深刻な内容にロージーは息を詰まらせた。つい先程まで元気よく遊んでいたノーラが心臓の病。俄かには信じられずロージーは疑問を口にする。
「し、しかし私が見ていた限りでは普通にしていたように思えますが」
「今はそうですね。だけど三年前に一度、危険な状態にまでなったことがあります。集中治療室での手厚い治療により、奇跡的に一命を取り留めることができましたが」
「そう……だったんですか?」
「ヘヴンズライフにお金を借りたのは娘の治療に多くのお金が必要だったためです」
ノーマンが深々と頭を下げる。
「もしあの時にお金を借りることができなければ、娘はそのまま亡くなっていたかも知れない。娘の命を救っていただきヘヴンズライフの方々には感謝しています」
「あ……いえ……そんな、とんでもないです」
ロージーは戸惑いながらそう返事した。お金に執着するなど最低であり借金をしてまで大金を得ようなど論外だ。これまでロージーはそう信じてきた。だがその借金がなければノーラは死んでいた。ならばお金を求めることはそれほどに悪いことなのだろうか。
(人の命や人生が換金できるのなら、その逆もまた然りってことだ)
以前にデッドから言われた言葉。当時はその言葉の意味が分からなかった。だが今なら少しだけ理解できる。人の命さえお金に変えることができる。それはすなわち、人の命をお金で救うこともできるということだ。ノーラの命がお金で救われたように。
「娘の病は遺伝性のもので、私の妻も同様の病に侵されていました。残念ながら妻はその病が原因で亡くなってしまいましたが、娘だけは僕が何としても守るつもりです」
「……ノーマン様ならきっとノーラちゃんを守ってあげられると思います」
それが根拠のない慰めであることはノーマンも気付いていただろう。だがそこには触れず「ありがとうございます」とノーマンが笑顔を見せる。
「ところで……僕からも一つだけ質問よろしいですか?」
「私にですか? え、ええ、もちろん」
「実はずっと気になっていたんですが……」
ノーマンがズレた眼鏡を指先で直しつつロージーの胸元を見つめる。
「ロージーさんが連れているその犬……ちょっと変わっていますよね? というよりも……もしかしてその子犬は――魔獣ですか?」
「え……分かるんですか?」
ポカンとするロージー。驚く彼女にノーマンが「ええまあ」とコクリと頷く。
「これでも魔女科学研究所の元研究員なので、魔獣の見極めぐらいはできるつもりです。しかしやはりそうなんですね。魔獣が人に懐いているのは珍しいな」
「私に懐いているかは分かりませんが」
スヤスヤ寝息を立て始めたポチを見下ろしながらロージーはふっと微笑する。
「恐らく優しい子なのだと思います。ただ初めて出会った時はすごい形相でこちらに襲い掛かってきたんですよ。すぐに大人しくなりましたけど本当にびっくりしました」
「魔獣が大人しく……そんなことが」
「何か奇妙なことでもあるんですか?」
ロージーが怪訝に尋ねると、ノーマンが「いえ」と戸惑いながら話をする。
「僕の把握している魔獣はとても好戦的で特別な理由がない限り大人しくすることなどありません。それだけに研究所でも魔獣の管理は最新の注意が払われていました」
「え……でも」
「もちろん全ての魔獣がそうだとは言い切れません。その子が特別な魔獣である可能性は十分にある。しかしもしそうでないのなら、大人しくしている理由があるはずです」
「理由……ですか?」
「例えば――魔女の上下関係が上げられます」
ノーマンが瞳を静かに細めていく。
「魔女には人間よりも遥かに強制力のある上下関係――爵位が存在します。魔女は自身より爵位が上の魔女には決して逆らうことができない。そして魔獣とは魔女の細胞により製造される人工生物です。ゆえに彼らもまた魔女が有する爵位の制約に縛られている」
ズレた眼鏡をまた直して、ノーマンが何かを思い出すように視線を僅かに上げる。
「魔女科学研究所ではその制約を利用して魔獣の制御を試みました。魔獣の製造段階で高位の魔女に擬態して命令を刷り込ませるのです。ただしそれをするには高度な設備が必要ですし、運用時にその魔獣に刷り込ませた命令を上書きされる恐れもありました」
「命令の上書き……それはつまり」
ロージーは自身の胸元に視線を下す。ロージーの胸に抱かれて呑気に寝息を立てているポチ。子犬に似た異形の生物。ノーマンの視線がその魔獣にピタリと固定される。
「その子が急に大人しくなったというのなら、その際にその子に刷り込まれていた命令が何者かに上書きされた可能性があります。例えば――貴女を襲わないようにと」
「でも……その時にそのような命令があったとも思えないのですが」
「そうですか。それなら私の思い違いでしょう。変なことを話して申し訳ありません」
ノーマンが真剣な表情をふっと緩めて「それに」と軽い口調で話を続ける。
「先程話したように、魔獣に命令できるのは魔獣より高位の魔女だけです。しかし魔女は300年も前に滅びている。つまり過程そのものに無理があったんですけどね」




